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「和賀英良」獄中からの手紙【完全版】

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2024年は映画「砂の器」公開からちょうど50年の節目。 ようやくその事件の全貌がここに明らかになります。 有罪判決を受け収監された犯人「和賀英良」は獄中で死亡。 当時捜査に当…
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記事一覧

「和賀英良」獄中からの手紙(49)   和賀英良、最後の手紙 【最終回】

―和賀英良、最後の手紙― 今西 栄太郎様 桜の咲く季節となりました。 引き続きご健勝のこと…

「和賀英良」獄中からの手紙(48)  今西の書いた手紙 

―今西の書いた手紙―(和賀には未発送、下書きかと思われる) 和賀英良殿 裁判も終わり刑が…

「和賀英良」獄中からの手紙(47)  刑務所での会話  

―刑務所での会話―   刑務所では午後五時の夕食以降は自由時間となる。 夜九時の就寝時間ま…

「和賀英良」獄中からの手紙(46)  宿命への入り口 

―宿命への入り口― 約束した時間に田所邸に着いた吉村は、すぐに応接室に通された。 田所は…

「和賀英良」獄中からの手紙(45)  ロサンゼルスの奇跡

―ロサンゼルスの奇跡― 夏も終わろうとしていた日曜日の午後、吉村は高校の同窓会に出席する…

「和賀英良」獄中からの手紙(44)  ユタの予言  

―泡盛古酒とユタの予言― 銀座のギャラリーで田所重喜と出会った数日後、吉村は田所の秘書に…

「和賀英良」獄中からの手紙(43)  ギャラリーでの出会い 

―佐知子の個展― 銀座の「ギャラリー古藤」はすずらん通りの中ほどにあった。 外に面したガラス窓には車に貼るようなやや暗いフィルムが張ってあり、外からは中の様子があまり見えない。 ギャラリーらしくないブロンズ色のアルミドアをあけると、そこは十坪ほどの空間があり、中央にいくつかあるデコラ張りの小テーブルの上に、作品がさりげなく並べてあった。 田所佐知子は東京藝大彫刻科を卒業後は、等々力の実家で小品などを作って懇意の方々に見てもらっていたが、その人たちに勧められて銀座のギャ

「和賀英良」獄中からの手紙(42)  丹下の憂い

ー丹下恭二の憂いー 「ねえあなた、裕太の学費って振り込んでくれたんですか?」 丹下は夕食…

「和賀英良」獄中からの手紙(41)  吉村の推理

―吉村の推理― 蒲田操車場の事件では和賀英良が殺人罪で逮捕され裁判の結果、懲役15年の刑が…

「和賀英良」獄中からの手紙(40)  紙吹雪の女  

―理恵子の役割― 小田急線の百合ヶ丘駅に近い高木理恵子の家は、踏切の音がはっきりと聞こえ…

「和賀英良」獄中からの手紙(39)  パナマ帽の協力者 

―パナマ帽の協力者― 蒸し暑い夏の夜。時間は深夜十二時になろうとしていた。蒲田のトリスバ…

「和賀英良」獄中からの手紙(38)  京都・亀岡での生活  

少年時代のお話になりますが、少し書いてみます。 長くなりますがお付き合いください。 ―京…

「和賀英良」獄中からの手紙(37)  秘密の広場  

―上野公園は「好色の森」― しばらくご無沙汰しております。 今日は少し上野公園のことを書…

「和賀英良」獄中からの手紙(36)  田島藍子との対話 

■ 田島藍子さんとの対談【世田谷区太子堂田島家にて】   ◇初めまして、私は『和賀英良からの手紙』という本を執筆中の今西遼平と申します。本日はよろしくお願いいたします。 「こちらこそよろしくお願いいたします」 ◇事前にご説明しておりますが、和賀英良宛の田島さんのお手紙が先日発見されました。まずは和賀氏とのご関係を教えていただけないでしょうか。 「はい、私は和賀先生の大ファンでした。そのきっかけは国鉄※現在のJR(筆者注)の食堂車で働いていた時に偶然に車内で先生たちのヌーボー