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「和賀英良」獄中からの手紙 ダイジェスト版

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和賀英良「獄中からの手紙」本編のエピソードが49編と長いため 気軽に読めるように編集した短縮版です。 お時間が無いかたはこちらをご覧くださいm(__)m
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「和賀英良」獄中からの手紙(1)   吉村刑事の回想

//////////////////////////////////////////////////// 【あらすじ】 2024年は映画「砂の器…

「和賀英良」獄中からの手紙(2)   今西栄太郎の残したもの

吉村 弘様 拝啓 突然のお便り誠に失礼いたします。 私は以前に警視庁捜査一課におりました今…

「和賀英良」獄中からの手紙(4)  核心に触れる事実

―和賀英良からの手紙― 今西栄太郎様 しばらくご無沙汰しております。ご健勝のことと拝察い…

「和賀英良」獄中からの手紙(5)   ピアノ、作曲、衆道と男色

―なぜ作曲家になったのか― 今西栄太郎様 季節も移ろいもう秋風が吹く時期となりました。 …

「和賀英良」獄中からの手紙(6)   美校と音校

―美校のバタ丼― そのパーティーは上野の不忍池のほとりにある老舗のレストランで開催されて…

「和賀英良」獄中からの手紙(11)  食堂車での出会い

―田島藍子の書いた手紙― 拝啓 突然のお便りを失礼いたします。 私は以前に国鉄の食堂車に…

「和賀英良」獄中からの手紙(13)  さすらう、その役割

―ある宮司の言葉― 父の千代吉は無学ではありません。 今考えるとその当時にしては教養があり、放浪の中でもよく地面に漢字を書いてくれたり、算数や計算の方法を教えてくれました。 私たちの旅は山の中を歩くだけではなく、必要あれば街に出て物乞いをしたり、民家の前では祈祷をして施しを受けたりしておりました。 また神社や寺の境内で夜を過ごすことも多く、山から街へ降りる間は、そういった少しでも雨露をしのげる場所を目指して歩いておりました。 ---------------------

「和賀英良」獄中からの手紙(14)  とほかみえみため

―放浪のなかで― 父と私は二人で家の戸口に立ち、祝詞の言葉を唱えて物を乞い歩きました。 …

「和賀英良」獄中からの手紙(15)   親子の宿命

―真夜中のご神託― 広島県三原市の神社で宮司様から、私たちが放浪しさすらっているのは、人…

「和賀英良」獄中からの手紙(16)  心を込めてお祓いをする

―罪穢れをお預かりする― 一般的に人々の罪汚れを祓ってそれらを吸い寄せるものは「大幣」お…

「和賀英良」獄中からの手紙(17)  『砂の器』その本当の意味

―砂の器とお流し神事― そのようなことを繰り返しながら、やがて海や川など水辺も近くに参り…

「和賀英良」獄中からの手紙(18)  芸術家への階段

―東京藝術大学の思い出― 世の中で特に関東で「藝大」といえば上野にある国立の東京藝術大学…

「和賀英良」獄中からの手紙(19)  創造と破壊

―コントラプンクトとはなにか― 烏丸先生にはあまり基本的な作曲技法は教わったことがなく、…

「和賀英良」獄中からの手紙(20)  音楽家への道

―作曲は天からの「ご神託」― 何度もご説明しておりますが、自分は前衛音楽の作曲家であってクラッシック音楽の基礎はほとんどありません。 この前衛音楽というのは俗にいう「ドレミ」の楽譜を使用しないことも多く、先端的な演奏では「図形楽譜」と呼ばれるモダンアートのような抽象的な譜面を使って、その譜面に示された形状からインスパイヤーされた音を演奏家が奏でていく、そんなことが演奏会でおこなわれていました。 私が放浪していた時、ある神社で「大祓使徒」のご神託を受けたことは、以前書いた