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子供達へ。能天気な自分で突き進め!

Aloha!

イーマサウンド®︎バイオチューニングへ興味を持ってくださる方が、じわじわと増えてきてくださってて、とても嬉しいなと思っております。

私は、日テレの局内で派遣社員として働いていたことがあるのですが、その当時、子供を産んでみたいという強い想いをずっと持っていたにも関わらず、結婚もしていなかったので、産める体力のある間に産めるのかな??と少し焦っていたのと、諦めみたいな気持ちも持っていたと思います。

そんな中、子供にフォーカスしていたせいか、子供たちに関するニュースや映画などが自然と飛び込んでくるようになりました。

その中でも、強烈に心に焼きついたのが、映画「闇の子供たち」でした。

何故か、これは観ておかなければいけないと思って、一人でレイトショーを観にいきました。
当時住んでいたのが渋谷区だったので、渋谷の映画館だったのですが、映画の内容が強烈で、体は恐怖と緊張でカチカチになってて、いつもの渋谷の街に出て歩き始めてもその緊張はなかなか弛まなかったのを、当時の街の風景と共に鮮明に覚えています。

この映画がきっかけで、こんな状況の子供たちが世界にはいて、実は日本にも大変な想いをしてる子供たちがいるんだと思うと、もう胸が押しつぶされそうな気持ちになって苦しくて仕方がありませんでした。

出来ることは何かないかと思って、とにかく、ずっと独身できているし、子供のことなんて、何も知らないで生きてきているので、まずは知ることが大切だと思って、調べていたように記憶しています。

そして、乳児院に電話をしてみたり、支援団体などにコンタクトしているうちに、具体的にボランティアをしたり、子供たちと関わりを持って行くには、子育ての経験があるか、保育士などの資格がないと、まともに取り合ってもらえないのだと感じることが多くなりました。

そこで、自分でも、今までの自分を考えると、びっくりですが、保育士の資格を取れないかと考え始めました。
本当は、資格自体には興味はないのですが、入り口を通るライセンスのように、あったほうが便利であるということが一番の取りたかった理由だったと思います。

子供たちの今、そして未来のために、何かしたい・・

もしくは、支援したい・・・

と、いつも思っていました。

お金での支援は、少ないながらも、色々と調べている中で、共感が大きかった団体にさせてもらっていました。

実は、テレビ局を思い切ってやめたのも、職業訓練校で、保育士の資格をとれると知ったからでした。(まずは、求職中にならなければ資格がえられなかったのです)
ですが、会場に行ったら、さすが東京・・・
物凄い希望者の数!!
とても、入学できそうもない気がしました。
面接でも、子育ての経験や、子供たちと過ごす経験はないんですねと言われてしまったりして、そこが大切なら、だめだろうな・・・と思っていたら、案の定入学資格は得られませんでした。

でも、当時、気内臓療法とも言うチネイザンを学んだり、瞑想を習っていたのですが、その師匠に話したら、涼子ちゃんが、子供たちのためにできる事って保育士って言う形じゃなくていいんじゃないかなあ。セラピストとしてできることがあるんじゃない?と言われて、そうか、そう言う道もあるなと気持ちを切り替えていました。

そんな事を話していた矢先に、東日本大震災がありました。

そのあと、私はその大地の揺らぎに乗るかのように、人生の波が押し寄せ、お腹に念願の子供を授かりました。

その辺の話は、これまた濃い部分なので(笑)、別の機会にするとして、その当時に、思っていた保育士とか、子供たちと関わる事をしたい・・・と言うのが、子育てして行く中で、自然とご縁ができていきました。

と言うのも、私がずっとやってきたお仕事は、昼夜問わずのハードなお仕事だったので、同じような業界に、子育てしながら入る気はなかったのと、離婚して千葉にきてからは、私の今までの経験を活かせるような仕事はあまりないなと言う感じだったのもあったかもしれません。

でも、まっさらな気持ちで、職安に行った時に、放課後等デイサービスの非常勤職員の募集を目にしました。
試しに、これまでの熱い気持ちを抱え、面接に行ってみると、施設長が私と同じ高校の一つ下の方だと知り、きっとご縁があるし、いい関係になれると思いますよと理事長にも言っていただき、楽しく働かせていただいていました。
今考えると、まだ娘が1歳半にもならない時期で、母乳をあげながらだったので、心が痛い・・・と言う部分もありましたが。

放課後等デイサービスは、やりたいと思っても、実際に働くと、気持ちよく働けず、続けられなくなり辞めてしまう人も結構いるそうなのですが、私にとっては、何もかもが新鮮でしたし、子供たちと過ごせる時間がとても楽しく充実していました。

その後、現在のサロンとなる場所が借りられる事になり、退職したのですが、その後も、少しお手伝いに行かせてもらったりもしています。

そして現在は、なんと昔はあれだけだめだと言われていた、保育の現場をお手伝いさせてもらっています。
「勿体無い!保育士取ればいいのに!」と、園長先生には言っていただけたりもして、当時の私から見たらびっくりです。笑
とは言え、今になって思いますが、やはり私自身は保育士向きではないなあと実感していて、あの時、入学できなかった理由が今はわかるんです。
子供たちは、もうとっても可愛いんですがね。
やっぱり、保育士の先生たちって、すごいパワフルだなって思うんです。
心から、尊敬します。

そして、気がついちゃったのですが・・
私って、どちらかと言うと、気分的には、子供たちと一緒だと言う事。(笑)

一緒って言っちゃうと、少し乱暴だけど・・・
私は、どちらかと言うと、子供たちのしたい事をもっと時間をかけて一緒になって感じたいし、天真爛漫に笑ってわんぱくなことをしてる姿なんて、とっても癒されちゃうので、注意しなきゃいけないのだろうけど、むしろ、大いに弾けちゃえ!と思ってしまう方で・・・先生という立場としては、きっとダメダメなんですよ。だから、全然保育士向きじゃない。

自分の子供も含め、子供たちを見ていると、子供たちの素敵な部分を、大人の都合で蓋をしてしまう部分って、結構あるなと感じるんです。

それで、天真爛漫に笑って遊びまくってるより、相手の問題を見つけては、監視してる方が、すごい!えらい!みたいな風に、子供たちが思い込んでしまうという部分があるように思うんです。

だから、もしかしたら、大人にとっては都合悪いですが、全然大人の言うことが理解できないのを、しっかりと表現して、抵抗しまくってる、問題児くらいの子供の方が、これからの時代はいいんじゃないかと、感じたりもしているんです。

そのために、今、いわゆる発達障がいとか、グレーゾーンとかって、括られている子供たちがたくさん出てきているのではないかなと、個人的には思うんです。

放課後等デイサービスでは、知的な障がいがある発達障がいという子供たちが放課後を過ごしています。
みんな、それぞれなんだけど、とってもみんな素敵でした。
もちろんね、時間の感覚がなかったりする子も多いから、関わるには工夫が必要で、こちらでうまく工夫できないと、大変なことがあります。
でも、それぞれみんな、こちらをよく見ていますし、心の交流もとてもあたたかくユニークですし、予想もつかないような素敵な個性をいっぱい持っています。

保育園にいる、小さな子供たちも同じです。
感情に任せて、大騒ぎしちゃったり、わんぱくしちゃったりするけど、とってもユニークで、大人にはないピュアな心を持っています。

私は、そんな子供たちと接するたびに、自分の心で誇りをかぶっていた部分が揺さぶられ、押しつぶされていたエネルギーが復活して、キラキラと表に出てくるような、そんな癒され方をしていて、子供たちって、なんてありがたい存在なんだろうと思うんです。

私が、大学生の頃に話は飛びますが、当時の私の住まいは、参宮橋にあったのですが、その年代を感じられる狭いけど味のあるマンションが、気に入っていました。
そこは、渋谷からも新宿からも歩いて帰れるほどに、とても便利のいい場所だったので、友人が、友人を連れてくるなんてこともよくありました。

私は、写真学科に通っていたので、風変わりな人たちが集まる傾向にもあったと思います。
そんな風なご縁で、ミュージシャンや、写真家や俳優なども、あの狭い私の部屋には遊びに来ることもありました。

ある、ミュージシャンが、友人に連れられて遊びに来ていた時に、私の友人で今は写真家になってる友人が、

「りょうちゃんはさ〜能天気なの!」

と、ご機嫌に言っていたのですが、大学生の頃、どうしても自分の子供っぽさが、周りの人たちの中に入ると、目立ってしまい浮いているように感じられ、嫌だったのもあり、

「そんなことない!私だって、色々考えたり、悩んだりしてるんだから!」

と、恥ずかしくなって、ムキになって言い返しました。
まあ、実際に、小さい頃から、感受性は人一倍だったので、人知れず色々考えたり、心を砕いたりしてきていたのも事実で、10代から20代の頃は、ずっと内側と外側のギャップが苦しいと感じていたので。

そんな私と友人の会話を聞いていたミュージシャンの男の子は

「え?能天気って、すごくいいじゃん。」

って言ってくれたんです。そして、すごくいい事なんだから、素直に出せばいい、みたいなことを言ってくれて、私としては、衝撃だったんです。

全く違う角度から、バシーっとやられた感じです。

まあその方が、私からみたら、ちょっと別世界の憧れちゃうような人だったから、ますます心に響いたのかも知れませんが、とにかく、それまでとは違った角度から、自分が見えた感覚になった瞬間でした。

別に、隠すことでも、悪いことでもないし、実は周りの人たちも、それをバカにしているわけでも、嫌ってるわけでもなかったと思うのに、勝手に、そう言う自分はダメだと思っていた。

大人の仲間入りしたいのに、何故かうまくできない。
みたいな、人とコミュニケーションが苦手なのを、自分の容姿のせいにしたり、育ってきた環境のせいにしてしまう・・・などの傾向が強かったんだと思います。

でも、あれ??違うのか??
このままの子供っぽい自分でもいいのかな??

と、ちょっと思えるようになった瞬間でした。

子供と接していると、時々、この時のことを思い出すんです。

大人に、正論を突きつけられる。

学校でも、これが正しいと言う言葉を、たくさん浴びる。

大人の都合で、これがいいこと、悪いこと、と括られ、個人のユニークな考えが恥ずかしいものと錯覚させられてしまう。

そんな事が、長い歴史の中で、ずーっと繰り返されて来てるんだなって。

子供たちは、その違和感や、反論を、表現できないと、心の中で、自問自答しながらぐるぐる思い続ける。
もしくは、あっさり洗脳されてしまう。

それで、表現する出口を失うと、いつの間にか、自由で純粋だった脳の回路が、正しさと言う大人がつくったシナリオに沿って書き換えられていく。

それが正しいとなると、自分から湧いてきたものとか、自分の持っているものが間違っているとか、恥ずかしいものだと思い始める。

そして、周りにいる大人があまりにも正論者だと、自分で考える力を奪われてしまったり、あるいは子供の性格によっては、考えすぎてしまう子になったり、するのだろうと思います。

そんな中でも、天真爛漫出会ったり、能天気だったりするピュアな自分も、同時に持ち続けているのが、子供時代〜20代前半なんだと思うんです。

だから、敏感だと、そのギャップが苦しくなったりする。

その感覚が薄れてくると、社会にすんなり適合できたり、コミュニケーションも上手くなったりして、心は楽になるかも知れない。

でも、時間差で、体が教えてくれるときがくるんですよね。

常に、魂と心と体のエネルギーには、それぞれ時間差があるから、
そのまんまにしておくと、人生の中でここぞと言うタイミングで、
自分の体が教えてくれる。

それは、いつだって、愛されている存在だという証拠。
(わかりづらいかも知れないけど)

私たちは、同じ海(宇宙)からきた魂。

それぞれの川から、そこへ向かっていく。

流れに乗っていれば、どんなに氾濫しようが、
最終的には、ふるさとの海(宇宙)へと流れ着く。

だからね、心配だったり不安だったりする事があっても、
深いところでは、安心してる自分ってのが絶対にいるんです。

ただ、人間に産まれてくると、一生っていうのは、
今の所、長くて200年くらい(!?笑)しか生きられない。

だったら、押し殺したり、隠してる場合じゃないよって思うんです。

魂の叫びを、自由に表現しようよって思うんです。

別に叫ばなくてもいいんだけど。(笑)

そのバリエーションの鮮やかさが、豊かさであり、
愛を育む、人間に産まれてきたからこそ味わえる部分
だと思うんです。

だからこそ、子供たちが、他者の存在を忘れてしまって、
自分の内面を表現している時の、自由な瞬間を、
「ダメだダメだ」と言うばかりではなく、
あたたかく見守っていきたいなと願うし、
生命や地球が美しく輝くために、何が大切なのかを、
鎮魂されたフラットな心で真剣に考えて、
自分を自由に表現して、真の自律を目指せる場所を、
これから大人たちが、丁寧に作っていくことが
とても大切なんだなと思うんです。

今、今までの当たり前とは違った意識が流れている、学校や場所が、
作られつつあります。

例えば、これとか↓

黒板に向く授業はしない!? 日本初の「イエナプラン教育」を導入した小学校が設立!

ですが、こう言う取り組みが広がっていくには、
何か魔法がかからない限り、時間がかかる事だと思います。

でも、子供たちは、そうこうしてる間にも、
この一瞬一瞬、生きています。

今、私たちは、未来から見た過去を作っている。
と、視点を上の方にして、時間軸を眺めてみると。
きっといい方向に変わってゆく・・・と思える流れがある。

大きな変化の間に育つ子供達は、きっと長く感じるだろうと思う。
大人たちの繰り返された歴史の中で蓄積された価値観が、本当に大切な事を探求するエネルギーを吸収してしまうような、実は結構過酷な環境下の中で、息絶え絶えの子供達も少なくないのかも知れない。

でも、そんな時、まだ絶対に見失っていないはずの、
自分の能天気さと繋がってほしい。
バカさ、といってもいい。
それは、バカじゃなくて、自分そのまんまの宝物なんだからさ。

そして、そのエネルギーを、今の環境の中で、自分で大切に育てて行くには、どうしたらいいか考えてほしい。

それが、必ず、この先の世界を救って行く事になるから。

多少は喧嘩したっていいけど、無駄な喧嘩をしろって
言ってるわけじゃない。

自分の、誰にも侵されない領域、ピュアな心と繋がったら、
頭でも一生懸命考えるんだ。

この光(能天気)を輝かせ、生かす(活かす)為に、
どうしたらいいのか?
どうしたいのか?

辛ければ辛い時ほど、その闇と向き合って。

体を傷つけて、楽にならないで。

死んだら楽になるかも知れないけど、楽になったらおしまいだよ。

死にたい!は、生きたい!だよ。

私なんか、死んじゃえばいい!!って泣きたい時は、

私を見て!!最高なんだから!!の裏返しだよ。

だからね。

絶対に、殺さないで。

能天気なピュアな自分を。

思い出して。

幼い頃、無垢に笑った時の、あの気分。

そうやって笑っていいんだよ。

外で笑えなかったら、お風呂か、トイレで笑ってみて。

殺してもいいのは、大きなエネルギーに飲み込まれた過去の自分だよ。

それはね、ナイフで傷つけても殺せないんだよ。

今、自分の体を大切にして、歓びで溢れさせる努力をする事でしか、殺せないんだよ。

殺したいと、憎たらしく思っていたその過去の自分(=他人)は、いつの間にか変わっているよ。

どうしてか、そう見えなくなるよ。

神にしか見えなくなるし、愛にしか見えなくなる。

・・・感謝の存在としか、見えなくなるよ。

だからね、自分の純粋さ、無邪気さ、能天気さを殺さないで。

そこだけは、胸を張って持ち続けて。

そして、子供達だけじゃ、どうしようも出来ないのが、
大人たちの存在(価値観や想念)です。

だからこそ、大人たちにも言いたい。

自分の、素晴らしい能天気さを思い出して!

嬉しい時は、屈託のない笑顔で笑ってもいいんだよ。

愛想笑いしなくていいんだよ。

自分からは逃げられないんだから、
人や場所からは、逃げたいときに逃げていいんだよ。

壁にぶち当たったときは、他人やものを頼っていいんだよ。

「じりつ」の意味を、勘違いしてはいけないよ。

「自立」って、書くと一人で立ってなきゃいけない感じするけどね。

「自律」なんだよ。

自分が、自分という人生の舞台の監督兼主演だからね。

だから、自分で操縦するんだよ。

そうしたら、依存も何もあったもんじゃない。

本当はね、これまでも、操縦はしてきてるんだけどね。

ただ、他人が出してきたマニュアルに沿って操縦してきてるだけだから。

マニュアルは、心が楽だからって、いつまでも握りしめてたらいけないよ。

勇気を出して、燃やしちゃうのがいいよ。

そうじゃないと、四角四面は、事故るからね。

大体のルールはもう身についてるんだから、
その局面でピピっと判断して、マニュアルは、
いつも自分の中で、書き換え続けるんだよ。

人生だって、失敗したら、よく考えて、作り直せばいい。

舞台だって、また新しい舞台を作れるんだから。

それにはね、強くてしなやかな意志が必要だよ。

自分の純粋さを活かすって、決めるんだよ。

それだけでいいからね。

歓びを循環させていくんだよ。

それが、豊かさであり、愛だからね。

監督は舞台に責任があるよ。

責任は、愛だからね。

私も、時々忘れそうになるけど、そんな時は、踏ん張るからね。(笑)

同じだよ。

私はあなた。

あなたは私。

違うから、面白いんだ。
違う自分が、世界中に生きてるんだ。

誰かが何か素敵なことをやったら、自分ごとのように嬉しくなるよ。

そして、誰かが苦しかったら、自分ごとのように悲しくなるよ。

そんなこの地球に生きてる、命の揺らぎを、感じよう。

全方向に無数にある、感情、想いの豊かさを、感じよう。

自由なんだよ。

選んで経験する自由があるんだよ。

それを、三位一体となって、表現していこう。

子供も大人も、ただただ、自分の能天気さを思い出せばいい。

無邪気に笑う自分を解放して。

そして、呼吸を通して、永遠の「私=海」を感じよう。

敵とか、味方じゃない。

正義とか、悪じゃない。

ただただ、この世界には、私(=他者)がいるだけだ。

だから、安心して、自分の能天気さを育て、突き進め!

私も、そうしよう。


with aloha
毎日を喜び溢れる地球時間に
HALE MĀLAMA
 Ryoco

HP:https://www.halemalama.com/


私がよく会いにいく樹💗


【追伸】
この本もぜひ読んでみてください。
私が中学の頃から大好きな山田詠美さんの新刊です。


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