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「面白そう」が僕を突き動かす

「自分の人生における選択の基準」みたいなTHE 壮大なテーマは、これまで何度か書いてきた気がする。正直そこと重なる部分もあるかもしれないが、今の言葉で自分の選択の基準を綴っていきたい。

それが、

「面白そう」かどうか


もちろん全部が全部その基準にあてはめられるわけではない。中には「やらなきゃいけないこと」もある。

だけど何かに挑戦するときや、その決断が自分の意志次第のとき私の判断基準はそれが「面白そう」かどうか。やらなきゃいけないことに関しては、「どうすれば面白くなるか」を考える。


「面白い」って自分にとって結構大きなモチベーションの一つ。

めちゃくちゃ難しそうなことだったり、どんなに時間がギュウギュウだったとしても与えられたもの、興味を持ったものに関しては気づいたら

「面白そう」

と言っている。そして気づいたら取り組んでいる。迷わず「面白そう」と言えている自分が好きだ。


できるからやる、できないからやらない。
時間があるからやる、時間がないからやらない。

この視点も大切になってくる部分はある。

だけど私は思う。

できるかどうかなんてやってみないとわからないし、最初からできることの方が少ない

と。


「できるからやる」んじゃない。
「できるようになりたいからやる」「できたら面白そうだからやる」のだ。


やる前から限界を決めつけてしまっていては、その枠からはみ出せない人間になってしまう。

面白そうなことにガンガン手を出していくことで、自分の守備範囲はどんどん広がりを見せていく。そしてその広がりの可能性は無限大だ。


この選択の基準も徐々にブラッシュアップされて今がある。

ちょうど1年前くらい、自分の行動の選択の基準は「ワクワクする方」だった。だけどワクワクって実に抽象的な言葉。

そこでそれをもう一段階言語化したものが「面白そうな方」である。

面白そうな方も抽象的な言葉だと思うので言語化すると、

・時間をかけてでもできるようになりたいもの
・上手くいかない時も自分を肯定できるもの
・それが実現した状態に対して有効性を感じるもの

結局は自分のため。

面白そうなことに挑戦するのは、今の自分のご機嫌取りでもあるし、実現した未来の自分へのご機嫌取りでもある。「今」と「未来」どっちのご機嫌もとることが出来るのは、私の場合「面白そう」なことだけなのだ。




究極の目標がある。

それは世の中にある全てのものを「面白そう」と思えること

人間だから好き嫌いはある。その対象全てを好きでいることは厳しいかもしれない。

だけど嫌いでもやらなきゃいけないこともある。イヤイヤやるくらいなら、面白がってやった方がいい。面白さを生み出した方がいい。その中にある面白さを見つけた方がいい。


何か一点に絞り磨くことも大事だけど、より人生を楽しむなら幅を広げた方がいいなって。

それってつまりは自分が「面白い」と感じる幅を広げることかな、って。

だからいろんなことに挑戦したい。
いろんなことに触れてみたい。

今まで好きだったこと。
今まで嫌いだったこと。
なんだかんだ遠ざけてきたこと。
初めてのこと。

とりあえず面白いと思って、どこかに面白さはないか探して、食わず嫌いせずやってみたい。

そしてゆくゆくは、意識せずとも面白がれる人になりたい。

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