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「愛着づくり」について考える

愛着:慣れ親しんだ物事に深く心を惹かれ、離れがたく感じること。

今日は「愛着」について考えていきたい。

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”周囲を巻き込む力”、何か物事を起こすとき必要になってくれる力だと感じている。

自分一人で何でもできるならそれでいいのかもしれないが、そんな簡単なことじゃない。

また例えいくらいい「モノ」をつくったとしても、それが誰かに届かなければ、実際に使われなければそこに価値は生まれにくい。作った本人にとって背景があることに異論はない。しかし世の中的に見たときには、なかったことになっていると言っても過言ではない。


そういった巻き込む力をつけるために必要になってくるのが「愛着づくり」であり、ファンを増やすことだと考える。

では、愛着とはどうすれば生まれるのか。

こんなことを耳にしたことがある。

「人は人が集まっているところに集まる」

「野次馬」という言葉があるくらいなのだから真理なのだろう。

そしてもう一つ印象に残っていること。

「ヒットするものは、それを「語る」場所がある」

例えば学校で。例えば職場で。

「昨日のテレビ見た?」「あの芸人のギャグおもしろかったよね」そうやって誰かが出した話題から話が広がる。そしてそこで知らなかった人も興味を持つ。

上記の集団真理にもつながるが、”自分だけ知らない”というのは恥ずかしいから帰って調べる。知ろうとする。


語る場所。ここでは学校や職場と限定したが、運がいいことに今の時代SNSが普及し、語る場所が増えてきている。

従って考えなきゃいけないのは「どうすれば語られるのか?」という部分。

そのために必要と考えるのが①ストーリーと②余白


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①他の人にしゃべりたくなるストーリー

誰がどんな思いでつくっているのか可視化されていることって結構重要。

質のいいモノが増えてきたからこそ、内容だけでは差別化が測りづらい。
そこに込められている想い、プロセス、人、そういった「質」以外の部分で差別化が生まれるはず。

またそのモノやサービスを使っている、そのストーリーを応援している人が、自分自身を誇らしく思えるようなものを、周囲の人に自慢したくなるようなものを提供できているかどうか。

作った人が語ることも大事。

だけど、その人だけが語り続けたとしてもそこに信憑性は生まれない。

第3者が語ることで、初めてその言葉に重みが生まれる気がする。


②埋めたくなる余白

だけど完全完璧なストーリーってどこかつまらない。と私は思う。

もちろん完璧なのは素晴らしいが、ツッコミどころもないと息苦しさもある。よく、「今はみんなで一緒に作り上げるのがいい」とか「自分もストーリーの一部になることを望む人が多い」などと耳にする。


従っていかに「余白」を作れるか。

一緒に考えてもらう部分だったり、広めることに協力してもらったり。あえてツッコミどころを作ったり。

正しい「余白」がなにかはわからないけど、入り込む障壁を低くするという意味でも、余白は大事になってくるのかもしれない。


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周囲を巻き込むためにはまずはファンを増やさないといけない。

ファンになってもらうためには、愛着を持ってもらわないといけない。

そういった流れで今回は「愛着づくり」について考えてみた。

そして「愛着づくり」のためには、”語られる”ことが必要
”語られる”ためには、①他の人にしゃべりたくなるストーリー、と②埋めたくなる余白が必要だという結論に行き着いた。


最初からこれが完璧に出来るとは思っていない。

なおかつこれが正しいのかもわからない。

でも、わからないから動かない、そんな選択はとりたくない。

わからないから動いてみる。確かめている。

そんな思いを大切に、日々精進していきたい。






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