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知識や経験のシェア

最近思う。

知識や経験ってどんどん共有されるべきだと。

「べき」論はあまり好まないので言い方を変える。

知識や経験ってもっといろんな人にいろんな形で共有されてもいいんじゃないか、と思う。

もちろんそれが全世界の人にとっての「正解」だ!として広めるのではなく、そして受け取る時も「これが絶対正解」として受け取るのではなく、「選択肢の1つ」として広まり受け取ることを前提として。

これは自論なんだけど、一人だけずば抜けて走るレースよりも周りと切磋琢磨して走りぬけるレースの方が好みで。自分だけ得することに魅力を感じなくて、だったらみんなで得しようよと思う質で。

選択肢が多いことが人生の良い結果に必ずしもつながるとは思わないけど、知らないで選べないくらいなら知っていて選ばない方が個人的にはいい。

それに「共有してしまったら手の内が、、」とか「自分が苦労して得たものが、、」みたいな感情が生まれることもあるかもしれないけど、私が思うに”真似るだけ”が”オリジナル”を上回ることってないと思っていて。上回った瞬間はもうそれはそのひとにとってのオリジナルになっていると思っていて。

確かに何事も始まりは真似から入る。
でも真似だけで上手くいかないのってポイントがわからないから。言葉にされていない部分の感覚がわからないから。

そしてこの感覚って実際にやってみないと、そしてやってみて言語化してみないと浮かばないと思う。だけど一番大事な部分こそこの言語化されていない部分だと思っている。

ただただ真似をしたい人って即効性を求めるから、この言語化にあまり重点を置かないと思っている。したがってすぐに上手くいかず「なんだ上手くいかないのかよ」って離れていく。

本気で変わりたい、身につけたいと思う人はこの言語化を厭わない。
そういう前向きな人ってきっといっぱいいて、そういう人にいっぱい知識や経験が広まってほしいし、それに負けじと自分自身も成長したいという思いがある。

自分以外の誰かはただの「敵」ではなく、似た表現をするなら「ライバル」でいてもらいたい。

過去の自分がモチベーション上がっている時、頑張りたい!って思うときって大抵目の前に高い壁、尊敬する誰かが立ちはだかっている時で。この人に追いつき追い越せが目標だった。それは裏を返すと「自分が先頭にいる」という感情になると途端に不安になる。常にメンタルはチャレンジャーがいい。


だからnoteという場もある種、自分の経験や考えのシェアをしていると捉えていただいても構わない。

全員にとっての正解になるなんて到底思わないが、誰か1人の正解になっていればそれだけでシェアした意味があるんじゃないかと勝手ながらに思う。私自身もこのnoteで自分の人生の指針となるような記事と出会えたからなおさら。

今後はもっと多岐にわたるジャンルで経験したきた経験や知識を共有したい。その最たる例が就活。または自己分析。

新卒採用に携わるという立場上、学生の気持ちも採用の気持ちも経験している。だからこそ言語化出来るものもあると思っているから。


何はともあれ、私はこれまでいっぱいの知識や経験をこのnoteから受け取ってきたから、恩返しになるかどうかはわからないけどどんどん共有していきたい。

そう思ってる。

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