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”あの人”みたいになる必要はない

「どうですか?少し慣れてきました?」

入社して約1週間が経とうとしているパートさんにそう聞いた。

私がどういった人間で、どういったところで働いていて、、、という前情報をすっ飛ばした冒頭になってしまったが許してもらいたい。

そして改めて書くのは面倒だからこのまま続ける。知りたい方はぜひ過去の記事へ。簡単にまとめると私は現在障害福祉サービスというもののなかで「就労移行支援」という事業を展開している事業所に務める新卒2年目の社員だ。



話は戻して。

パートさんは答えた。

「はい!少しずつ慣れてきました!ただ塩浦さんみたいに利用者さんにパソコンの技術を教える自信はなくて、、、」

別に私は私の技術がすごいと思ったことはない。なんなら質問をされても「わからないので一緒に考えてみますか!」と言うこともある。ただ移行支援に来て半年近くたったおかげで、傾向というものが掴めてきて気づけば知識も増えてきた、そんな感じだ。

それでも新しく入ってきた人はすでにいる人の姿を見て

「あの人みたいにはできない」

という”壁”を感じる。

ちなみに私もそうだった。なんの装備もないまま「福祉」という世界に飛び込み、さっそく「支援」という現場に立つ。目の前には優秀な先輩方がいて、当たり前だがその方々と同じようなサービスの質を求められて。

「あの人みたいにはできない」

という劣等感がやがて、「しょうがない」という開き直りに変わってしまいそうな瞬間もあった。「しょうがない」ことなんてないのに。

私はなんとか踏みとどまった。負けず嫌いの性格が幸いしてか、「自分だから出来ることってなんだろう」というスタンスに立てた。運が良かったのかもしれない。


時を戻そう。

私はそのパートさんに偉そうになってしまうのは承知でこういった。

「全然!私たちが全部教える必要なんてないんですよ。むしろ教えてもらうのもいいかもしれませんね!その方が利用者さんにとっても知識の定着になるし」

そう、私たちは先生じゃない。あくまで支援員だ。

そして答えを教えることが仕事じゃない。度々言葉にしているが、究極の支援は「何もしないこと」だと今でも思っている。

でもパートさんの気持ちもわかる。

「何かしてあげる」ことが支援なんじゃないか、って。
それに対して「何もできない」「あの人みたいに出来ない」自分は何をしてあげればいいのか、って。

未熟なりにもこの1年とちょっとで私が感じたことを言うのであれば、支援において「何かしてあげよう」とすることは危ないということだ。

何かしてあげることで、それを受け取った相手は「あ、してくれるんだ」と思う。人間誰しも楽をしたい。「して」くれるなら頼りたい。そうすると依存する。自分で考えるということを放棄してしまいかねない。

ここがその人にとっての「ゴール」であるならば、それでいいのかもしれない。しかし多くの人にとってゴールではない。スタートでもない。スタートラインに立つための準備の場だ。

失敗しても、時間がかかっても「自分でやって上手くいった」という成功体験を積み重ねる必要があると私は思っている。


私には確かにある程度パソコンの技術を知っているかもしれない。その点で言えば「問題の解き方がある程度わかる」、という武器がある。

一方でそのパートさんには「わからない」という武器がある。

支援員の全員が全員、同じような人間である必要はないと思っている。むしろ切り口が違う方が、様々な視点から利用者さんを捉えることが出来、様々な視点から利用者さんに関わることが出来、事業所としての「支援の幅」が広がると思っている。

だから無理して「あの人」みたいになる必要はなく、そこに劣等感を覚える必要はなく、「自分は」どういった立ち回りが出来るか、「自分だから」出来る立ち回りは何か。そこに目を向けた方が健全なのではないかと生意気ながらに思う。

やがて年月が経って経験を積んでいく中で、また新しい支援員が入ってくる中で役割が変わってくる部分はある。その時はその時だ。

人それぞれ得意・不得意は違う。

教える/教わるは相互関係によって成り立つと思っている。

ある部分では「教える」立場かもしれないが、またある部分では「教わる」立場になる。そういったお互い様の関係で、信頼関係は築かれていく。



無理に誰かになろうとするんじゃなくて、自分だから出来る関わりを考え、実行する。

そんなことを伝えていきたいし、そうありやすい環境をつくっていきたい。

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