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主観を客観にまで落とし込む

「主観と客観はバランスが大事だ」
「主観と客観はわけて考えなくてはならない」

といった一般論を聞くことがある。

実際過去にもこの「主観と客観のバランス」について記事にしたことがある。

復習するとすれば、

主観:その人一人のものの見方。
客観:当事者ではなく、第三者の立場から観察し、考えること。

主観と客観を分けて考えなさいと言われる所以は、きっと主観で進み続けると個人的感情が入って論点がごちゃごちゃになってくるからだろう。それでは冷静な判断は生まれない。

「それってあなたの感想ですよね」

というような状況になり、説得力が生まれない。個人でやっていることならいいけれど、それがチームでやっていたり何かを背負っていることであれば個人的感情ほど厄介なものはない。

だから主観から一歩引いた、俯瞰で見る力「客観」が求められるんだと思う。当事者ではなく、第三者的な立場での意見という意味で。個人的な感情で冷静な判断が欠けた主観ならば、一般論の視点に立った客観の方がまだいい。

だけど、最終的に目指す姿は”主観と客観をわけること”ではないと思う。
なぜなら一般論に基づいた客観は”正しいけど、どこか冷たい”から。

やっぱり人間ってストーリーに共感する、感情に共感する、そうやって巻き込まれていく。人が変わればストーリーも変わる。それが人間ならではの良さだと勝手に思っている。

正論に基づいた客観であれば、いずれそれAIにとって代わられる。

人間ならでは、私たちならではという部分で目指す姿は「いかに主観を客観にまで落とし込んで説明できるか」だと思っている。


ただこれは一朝一夕でなるものではない。

私だって大学時代からnoteを書き始め、「文章のつながり」だったり「文章構成」だったりは意識に意識を重ねていたつもりだったが、自分の家族のエピソードを誰かに話そうとうするとついついごちゃごちゃになってしまったものだった。

それは大変だったり辛かったり感情的になってしまうものであればあるほどそうなってしまう。

そこの壁をどう乗り越えていくかというのは、もう「繰り返し繰り返し話す」しかないと思っている。

思い出すのは辛いし聞いてもらうのも申し訳ないと思うこともある。でも話すことでしか整理されない部分でもある。

繰り返すことでやがて整理されてきて、客観の境地にまで達する。
そうすれば主観に基づいた客観の完成だ。


今ではこのnoteの場を「主観→客観」に落とし込む練習にしている。

正直私が書く文章はほぼ一般論には基づいてない。
自分が思ったことを、心の中でため込まず、ダラダラと吐き出している。

だけど読んでくださっている皆さんがいるから、読んでいてごちゃごちゃしないように、辛くならないように主観の色が強くなりすぎないように言葉を紡ぐことを心掛けている

主観を客観にまで自由自在に落とし込めるようになったら、それはもう「あなたにしか言えないこと」の完成だ。

私はそこを目指している。

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