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好きこそ「難」の克服なれ

「好き」が持つエネルギーって凄まじいと思う。

「好きこそものの上手なれ」

有名なことわざだ。

意味としては、

「好きなことは上達しやすい」という意味。 どんな物事でも、上手くなったり深く知ったりするためには、その物事に興味を持つことが大切である。

好きなことをしている時間は楽しい。だから自然に没頭する。没頭は努力をも上回る力があると思っている。したがって上記意味にも書いてあるが、「 どんな物事でも、上手くなったり深く知ったりするためには、その物事に興味を持つことが大切」で。

好きにならなきゃ好きな理由はわからない。
だからまずは好きになってみるということが大切だと思う。

というのは今回の、前置きにすぎない。



今回の本題として、
似た感じで私が提唱したいのが「好きこそ「難」の克服なれ」
見てお分かりの通り、、造語だ。

冒頭で紹介した「好きこそものの上手なれ」が好きでいることが何よりも上達の近道、だとするならば、「好きこそ「難」の克服なれ」何か苦手なことやできないことに直面したとき、そこを打開するきっかけが「好き」にはある、ということ。

今の説明で理解できるだろうか。

簡単に例を紹介すると、例えばピーマンが苦手なAさんがいる。色も形ももちろんも味も苦手で。いつも食べるときはよけていたとしよう。

そんなAさんはチャーハンが好き。それを知っていたお母さんはピーマンを細かく切ってチャーハンに入れる。もちろんAさんには内緒で。するとAさんは何も気にせずパクパクとチャーハンを食べて「美味しかった」と言う。

「食べることができた」という経験が自信につながり、徐々に食べられるようになる、ということ。

こんな造語が思いついたのは普段就労支援の仕事をしていてある場面に出くわしたから。

その方は失語症の方だった。
失語症。皆さんは何だかご存じだろうか。

簡潔にまとめると、脳卒中等を発症した影響として言葉を忘れてしまう状態になること。理解できても話すことが苦手にな方もいれば、理解も難しい方もいる。

失語症の特徴の1つとしてあるのは、記憶喪失ではないということ。「前までしゃべることができていた」という事実を本人が自覚しているケースが多い。また障害受容をしていく過程で思い出す方も多い。

私自身、失語症になった経験がないので一概に気持ちを代弁することはできないが、「できていた過去が頭にありながらできていない今と向き合う」って相当つらいと思う。

だったらいっそ記憶がないほうがいいんじゃないかって。

でも事実として記憶があることは覆らない。
ただ失語症は、完全に元の状態とはいかなくとも訓練をすることで改善する可能性がある

それならその方の「好き」を何かのきっかけにできないか

そういった思いで訓練課題を作成している。

その方が以前働いていた関連の用語を並べた問題、その方の好きな食べ物やスポーツにまつわる文章問題。そして好きなことを紹介してもらう課題等々。

効果は歴然で、まず明らかに他の訓練課題への取り組みと熱量が違う。熱量なんて実に抽象的な表現だが、見ててわかる。雰囲気でわかる。

それに実際に結果として「好き」なものに対してのアウトプットの方が質が高い。それまでできていなかったことができるようになっていることが多い。

「あ、これこそまさに”好きこそ「難」の克服なれ”だな」

そう思った。



諦めることは簡単だけど、諦めたらそこからよくなることは絶対にない。
諦めない限り、なにかきっかけが転がってくることってあると思う。

最終的にやる/やらないを決めるのは本人の意志。
じゃあ周りが何ができるかって、それは相手を一人にさせないこと、一緒になって考えること。そのために相手を知ること。

訓練課題の提供にはいつも頭を悩ませる。
それは本気で目の前の方がよりよくなってほしいと思っているから。
かといって支援員だけ突っ走ってもいけないから、考えのすり合わせは頻繁に行う。

そしてたどり着いた1つの答えが「好き」をきっかけにすることだった。


そこで必要になってくるのが、
「じゃあ自分は何が好きなのか」
という話。

だから自己分析はずっと欠かせないんだ。

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