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自分は海外で差別を経験したことがあるのか?

アメリカ生活は個人的に20年近くになります。親の仕事の関係上で家族で共に渡米したこともあれば、単身で向かったこともあります。地域もアジア人が多いロサンゼルスから大学時代は日本人と遭遇することは少くなかったクリーブランドなど多岐に渡ります。

そんな中で現在暴動から略奪へと発展してしまっているミネアポリスにも仕事の関係上1年ほど住んでいたこともあります。

こういうニュースを目にする度に考えます、「自分は差別を経験したことがあるのか?」ということを。実際、人生で命の危険を感じるような差別的なシーンには出会ったことはありません。

それでも今の差別だよな?という場面にはおそらく何度も遭遇しています。ですが個人的には大学時代にこれは「差別ではなく、無知」であるという風に捉えるようになってしまっていました。日本を知らない。アジアを知らない。世界を知らない。だからこそ差別的に聞こえる質問が飛び交う。え?というような発言が出てくるんだなと。

それがブラックジョークという一言で片付けられることもあります。マジョリティー(多数派)がマイノリティー(少数派)に対して、面白おかしく発言してそれがジョークで済まされるというのはおそらく世界中で見ることなのではないでしょうか。

日本でも海外の人を迎え入れた番組やステレオタイプ(固定観念)を”笑い”としてジョークにすることは少なくありません。それは受け取る側の思い一つで変わるのではないかなと思います。

これは2008年にスペイン代表のバスケットボールチームがスポンサー企業の写真撮影で撮った1枚が物議を醸した例です。選手達がアジア人の目の形を指で表現したものでした。参加した選手達はスポンサーによる指示であり、差別的な意味合いを持ってやったつもりはなかったとコメントしています。

2017年のMLBプレーオフでの出来事は多くの方の記憶にまだ新しいものかと思います。当時もアメリカに住むアジア系アメリカ人の方々がコメントしていましたが、これは海外で育つ中で残念ながら遭遇する出来事のように捉えていました。

これらを考えると、私も差別は経験したことがあります。ですがアメリカだけでない。小学生の時に日本へ夏の期間だけ一時帰国し、日本の小学校に体験入学をしたことがありました。その時に私は完全なる日本人顔にもかかわらず、同級生から”アメリカ人”として揶揄されました。その時は全てを意識していませんでしたが、おそらく色んな陰口も叩かれていたでしょう。

大学時代も日本人の少ないオハイオ州クリーブランド付近にある大学へ通いましたが、無知による一瞬差別的に聞こえるような質問も多く受けました。ですが大学でのスポーツインフォーメーションオフィス(大学内のスポーツ広報室)で仕事を求めた時に言われた言葉が非常に印象に残っています。

「マジョリティー(白人)が中心で成り立ってしまっているこのオフィスにマイノリティー(少数派)の学生が自ら働きたいと来てくれることは少なかった。それなのであなたが自分から行動をしていることは嬉しい。日本人のあなたがここに加わることは間違いなく、マジョリティーのみんなに大きな影響を及ぼす。」

この言葉に救われたことを思い出します。人は相手を知らないと色んな固定観念を持ってしまいます。それは人種においてもそう。相手を知る。相手が生まれ育った文化を知る。それによって近寄ることが出来ます。

おそらく世界から差別がなくなることは一生ないでしょう。ですが相手を知ろうとする行為を意識することで無闇に人を傷つけることは減るのではないでしょうか。そう信じたい。

最後にナイキという競合他社のメッセージに共感するアディダスの驚きのツイートを紹介します。

「前進するには共に歩むことが必要。共に歩むことで変化を起こすことが出来る。」

アメリカ本土で今起こっている事実を蔑ろにするのではなく、こういった出来事が起こっているからこそ改めてみんなが”知る”ことを意識することが大切なのではないでしょうか。無知だから。見識がないからでは済まされない。そろそろみんなで知ることを意識して、前へ進んでいけることを切に願いたい。

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