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「親ガチャ」という言葉を聞いて、価値観はより、画一化しているのかもしれないと思った話

皆さん、こんにちはー!

今日は、『「親ガチャ」という言葉を聞いて、価値観はより、画一化しているのかもしれないと思った話』です。


親ガチャなんて当たり前

僕は、最近、ニュースで「親ガチャ」という言葉を知りました。あとYouTubeのひろゆきさんのコメントがニュースになったやつでも知りました。

で、「親ガチャ」という言葉に、何も思いませんでした。

・・・昔から、親ガチャって当たり前じゃなかったです?

言葉こそ違えど、

「親は選べない」

「配られたカードで戦うしかない」

「生まれた環境で人生が大きく決まる」

っていうのは、1000万年前から当たり前なんじゃ・・・?と思いました。

おそらく、環境を選んで生まれてきた時代は、人類の歴史上、無いと思われます。


正直、現代になって、急にこの言葉が議論になる意味が、僕にはわかりませんでした。

「ガチャ」っていう、最近の言葉なのが問題なんです?言葉の乱れの話??

なんて思いました。


でも、色々と記事や解説を漁ってみると、どうやら言葉の乱れの問題ではない様子。

結構真剣に、「親がダメだったら、人生が辛いものになる」とか、「お金持ちの家に産まれれば教育にお金をかけてもらえるが、貧しい家に生まれるとそうはいかず、格差は遺伝する」とかそういう話をしているようです。


正直、僕は余計に何が何だか分からなくなりました。

僕らだって、高校生の時とか、受験を前にして、圧倒的な資金力のある友達や、コネクションのある友達を見て、羨ましいと思ってましたし、親ではないけど、生まれながらの才能に恵まれ、苦労なく志望校に受かったり、親の都合で帰国子女だから英語は最初から完璧な友達を羨んだり・・・

それは醜い、嫉妬という嫉妬をしてきたじゃないですか。

もしかして、皆さん違う・・・?

人は生まれながらにして、環境も含めて平等であるって、思わないですよね。ダメな親や貧しい家に生まれても、お金持ちの親や、健康的な親の元に生まれた人と同じなんて、ありえないです。


もちろん、法律に触れるような、暴力や虐待を仕方ないというつもりはないです。格差の遺伝問題も、機会の平等は成し遂げなくてはいけないと思います。もしくは、学力は努力次第という前提の社会を変えたほうが良いのかもしれません。

ただ、親ガチャに代表される、「生まれるときに、自分の環境や才能は選ぶことができない」という事実は目をそらないようにしないとおかしいよなと思います。



価値観は画一化しているのかもしれない

当たり前のはずの「親ガチャ」が、なぜ話題になるのでしょうか。

僕は、2つの理由考えられるのではないかと思っています。


①全体的に貧しくなっている

これは、本当にただの仮説ですが、僕が学生だった20年前(おそらく、生まれの差を一番呪うであろう、受験時代)よりも、現代のほうが、相対的に貧しい家庭が増えたのかもしれません。

というか、格差拡大はデータ的に間違いなさそうなので、そうなのでしょう。

だからといって、「親ガチャ」が急に問題になってしまうというのは雑ですが、共感する人が増えて、話題になりやすいということはあるのかもしれません。


②価値観が画一化している

そして、2つめは、「価値観が画一化している」ということです。

これは、現代にあるまじきことのように思いますが・・・

僕は、学生の頃、「生まれで人生の難易度は変わるよなぁ」って確かに思っていました。しかし、学生時代が終わると、色々な価値観に触れることが増え、そもそも、スムーズに大学進学できることや、親が医者だから医者になりやすいみたいなことが、良いことだとは限らないという考えになりました。

何となく、誰もが、そういう風に価値観が変わっていくのだと思い込んでいたのですが、皆さんはいかがでしょうか。

学生の時は、近くに住んでいたり、近い属性だったり、偏差値が同じくらいだったりと、かなり画一的な価値観の中で過ごすことになります。でも、世の中には、肌の色が違って、使う言語も、価値観も何もかも違う人がいて、基本的に僕らは自分で何一つ選ぶことなく生まれてくることを、社会に出ることで学んでいくのではないでしょうか。


「親ガチャ」という言葉も、親を選べないという想いも、より良い親や環境というものが統一した形で存在しないと成立しないはずです。(あと、人生が上手く行っている姿も共有できてないとですね)

法律に触れるような話(虐待、ネグレクト)は別にして、親の良しあしを決めることができるということは、例えば、お金があるなどのモノサシが、より一層強固な価値として、僕らの中に芽生えているということなのかもしれないと感じました。


①全体的に貧しくなっているというのも、望ましいとは思いませんが、②価値観が画一化しているというのが、本当に傾向としてあるとすれば、時代に逆行するような感じがしてとても心配ですよね。

何かが平等であることよりも、様々な価値観の全てにOKと言える世界になって欲しいな、なんて思います。


最後に

今日のnoteは、『「親ガチャ」という言葉を聞いて、価値観はより、画一化しているのかもしれないと思った話』をしました。

親ガチャなんて、当たり前ですよね。

何かの価値観に基づいて、平等であることを願うよりも、色々な価値観が認められて、色々な生き方ができる世の中であろうとする方が良いかもしれないと思いませんか?

では、また!




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