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見えない歴史を継ぐということ。言葉にならない想いを遺すということ。

40歳にもなって、未経験で目立った実績もないのに無謀にも表立って「編集者」と名乗る決心をしました。初noteでは、この想い、初心を忘れないために、日記方々綴っておきたいと思います。

ちなみに、プロフィールのところに編集者を“目指す人”と記載しているのは、経験が浅い状態であることの「逃げ」のように思われるに違いないのですが、これは先人たちの「そう簡単に名乗るな、プロを舐めるな」という声への自分なりの敬意です。若葉マークは1年だから、そのくらいを目処に付けておこうかと。


歴史が途絶えるということ

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工業大学出身の私が、なぜ編集者を目指したいと考えたのか。もともとは、ファブレスメーカー(自社工場を持たない製造業)のベンチャー企業で、生産管理/品質管理を担当していました。

簡単にいうと、自社で企画・開発した製品を、各地の協力工場(原料メーカー、部品工場、組み立て工場など)と力を合わせて、品質を高めつつ、納期に合わせて納品する、段取り屋(調整役)のような立ち位置ですね。

原料の手配から、製品になるまでの製造工程が3ヵ月かかるものもあり、月間50万個以上の製品を納期通りに納品できたときは、協力工場みんなで喜びに沸く…みたいな楽しさもありました。

また、各社、それぞれ専門特化した領域を持っていたので、こちらの無理難題へ応える職人技を見せていただいたり、それによってお互い技術力が向上していくという経験をしたりと、公私ともに学びの多い環境でした。

協力工場の中には、下町でひとりの職人が守り抜いていたり、比較的高齢のご夫婦が営んでいたりと、確かな技術を持ちながら、後継者問題に直面しているところもありました。高度な技術なので、容易に技術を伝えられない一方で、担い手が育つ時間が保てないという状況だと考えています。

日本国内で担い手が賄えない場合、状況によっては、海外へと仕事が流れてしまうことも出てきます。結果として、国内で技術力が保てず、技術力をも流出していくことも考えられます。

そういった事実を目の当たりにしつつ、どうすることもできず葛藤を抱えたのを覚えています。


消えてなくなる家業

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そんな状況のなか、自分より年下の親族が不治の病を患い、視力のほとんどを失うという事態が発生しました。身内として、自分に何ができるのか。そう考えたときに“思い出した”のが、父の出版社「甲陽書房」でした。

ちなみに、“思い出した”というのは、「寝ているだけで倒れていない(=休止状態だけど、倒産してない)という、名言なのか迷言なのか、なんだかよくわからない主張で、名前だけ残っているという状態でまったく機能してなかったから。

視力が失われたら、就ける仕事もだいぶ限られてしまうだろうし、そもそも仕事があるのかわからない。親族一同もサポートで、今までどおりにはならないだろうと感じました。

であれば、家業として、なんらかの仕事があれば、それをそのままやる/やらない別として、仕事という観点を含めてサポートできるだろうと考えたのでした。

そこで、それまで勤めていた会社にはワガママを聞いていただき、まったくの未経験ながら、出版社を立て直すという暴挙に出ることにしたのでした。


書物の中で今も生きる祖父

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甲陽書房は、祖父(石井計記)が1948年に創業した出版社で、山梨と長野を中心に自費出版などをサポートしていました。祖父の存命中は、長野と東京の2拠点で活動しており、長野を祖父、東京を父が担当。祖父の他界後は父が継ぎ、事業を続けていましたが、父に癌が見つかり療養へと進んだところで結果として休止状態となりました。

消えゆく運命
わたしは長男ですが、幼い頃も本に関心を示さなかったようです。父からも「出版方面にはまったく才能がない」というある意味“お墨付き”をもらっていて(苦笑)、まったくもって継げる氣も、継ぐ氣もありませんでした。そもそも、わたしは恥ずかしながら、父がどういった仕事をしていたのかも知らず、父もおそらく、このまま消えゆく運命と思っていたに違いないのです。

立て直しの方法
休止状態で営業もしていない状況の出版社を、未経験の人が立て直すなんてことは、当然できないわけです。なので、順序として、その時点で持っている出版社としての資産を現金へ替えていくという発想から、祖父と父が研究資料として集めた膨大な本を「古書店(甲陽書房 古書部)」として販売していくこととしました。そこで体力を付け、軌道に乗せようと思ったのです。

書物が伝える祖父の姿
膨大な数の本を整理整頓する中で、祖父や父が出版した本を手にしました。そもそも祖父とは、そんなに直接お話しした記憶もなく、夏休みなどにたまに遊びに行ったときの思い出しかありませんでした。

祖父が出版した本のあとがきなどから、祖父が活躍している姿が見えてくるのです。戦争を乗り越え、文学を後世に遺していこうと出版を志した祖父。寡黙で博学、多くの著者から信頼されていた祖父。お酒が好きな祖父。わたしの知らない、じいちゃんがそこに居るのでした。

あぁ、祖父がこういう仕事をしていなければ、何も知らずに(遺らずに)消えてしまったのだな…と、ショックを受けたのでした。

記憶や想いは遺伝しない
本は著者より長生きします。でも、人間の遺伝子には、記憶や想いは組み込まれない。だから、書物として遺さなければ、その人の記憶や想いが遺らないんですね。(デジタルデータで残るじゃん…と思うかもしれませんが、それは物質ではないので)

ここで、会社員時代に経験した、町工場等の後継者問題、“技術や想い”が継承されない、遺っていかないという問題とシンクロしていくわけです。

大切な想いや技術を遺したい

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時の流れとともに、想いや技術が消えてしまうというということ。生産管理をしていても、古書店をやっていても、同じように目の前で起こる、当たり前だけど切ない事実。自分に何かできないだろうか…と考えたとき、ふと、そもそも、祖父や父がやっていた仕事というのは、著者の想いを本にして後世に遺すという仕事じゃないか! …と氣がつくのです。(遅い)

生産管理と編集者の共通点
そう思ったら、急にいままで生産管理の技術者としてやってきたことと、祖父や父がやってきた編集者という仕事に共通点が見えてきたのです。それは「その人の大切にしている想い、本来の魅力や品質を引き出し、人とチカラを合わせてモノづくりをする」ということ。

持続可能かどうか
一方で、独りよがりの想いでは、意味がないと思うのです。ただ、失いたくない…ということだけだと、それはエゴイズムだし、悲壮感に繋がってしまう。だから、ただ遺すというのではなく、時流に合わせたカタチに調整し、適切に後世へと遺していくことが必要だと思うのです。そこに必要なのが「編集」という技術だと考えています。


後世へ遺すために

直面する問題
生産管理や古書店を経験して、技術や想いを後世へ遺したいと思ったとき、直面する問題はだいたい以下の3点だと感じています。

・やりたいこと・目指すべきことが感覚的すぎて、言葉で説明できない
・自分の得意分野以外の知識が足りなくて、選択肢がほとんどない
・得意分野に集中しすぎて、別の視線からの魅力に氣がつけない

そもそも、本来はもっと業績が良くてもよいハズなのに、充分な魅力が伝わっていないがゆえに、衰退してしまうということもあると思うのです。

どう解決するか
上記のことが問題だとするならば、客観的な視点を持った第三者とともに、いままで感覚的にこなしていたことを「言語化」し、あらたな魅力を発見していくことが解決の糸口になるに違いありません。

そして、その第三者として、私が「編集者」という立ち位置で、お役に立てれば…と思うのです。言葉にしづらい技術的なことも言葉にしていくという、技術者出身の私だからこそできることがあると自負しています。


まとめ

これからの時代に、大切にしている想いや本来の魅力を伝えていくためには、まずは言葉にしていくことが重要だと思うのです。そして、見えない想いを言葉にして、伝えていくというのが「編集者」の役割だと考えています。

価値観が多様化し、それぞれがみんな違っているのが当たり前の時代。だからこそ、互いに尊重し合い、協力し合えれば、もっと素敵な時代へと進むはず。チカラを合わせることによって、お互いに本来の魅力を引き出していける環境を作っていきたいと思っています。

言葉にならない、その大切な想いを、ぜひ一緒に、カタチにしていければ嬉しいです。

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