大学院博士課程、辞めるべきか?続けるべきか?~理系博士学生が自問自答する~

はじめに

 大学院博士課程って修了するの難しいです、大学(学部)、大学院修士課程と比べると。きつい、つらい、もう辞めたい…。こう思っている人も少なからずいると思います。かく言う私も、これまで何度も大学院博士課程を辞めるべきか?続けるべきか?自問自答してきました。そこで本記事では、私がなぜ博士課程を辞めたいと思ったかを記していきます。
 ここで、簡単に自己紹介をしますと、私は博士課程3年の学生です。大学生活を、同じ大学で8年半続けてきました。研究活動についても、同じ大学、同じ研究室で5年半以上行ってきました。 
 なお、本記事に表題の件に関する明確な答えはありません。あくまで、執筆者自身があれこれ考えて悩んだことを文章化しただけです。それでも、今回の記事を最後まで読み進めたら、共感できる点、参考にできる点があるかもしれません。「ふーん。こんなに迷って苦しんでる人もいるんだ」くらいに読んで頂けると幸いです。

大学院博士課程を辞めたいと思った理由

私がなぜ大学院博士課程を辞めたいと思ったか、理由は3点あります。

1.指導教官とのディスカッションが億劫になった

 この件について、予め断っておきますが、誰かを非難したり責めたりしたいわけではありません。
 まず、私の指導教官がどういう人か、特徴を3点述べます。1点目は、超合理主義です。彼の発言は理路整然としており、論理的に破綻した発言を聞いたことがありません。2点目は、頭の回転が速い点です。学生の問い、研究室のトラブルなどに対して素早く的確な指示を出します。3点目は、超神経質です。大学教員の仕事が多いのも問題だとは思いますが、基本的に常にイライラしています。細かいことに気づく反面、こだわりが強いため私はしばしば指導教官の指示に振り回されました。思い通りにならないと気が済まないのです。また、人の間違いや誤りにも細かいので、少しのミスでも指摘したり、強く叱責する傾向がありました。
 以上書き記した通り、客観的に見て、指導教官は研究者やビジネスマンとして優秀であり、畏敬の念すら抱いています。
 しかし、凡人の私には、彼の要求を満たすことが次第に困難になっていきました。修士課程までは、研究テーマが1-2つと少ないためなんとかなっていました。博士課程から、研究テーマを3‐4つと複数抱えるようになり、それに伴い指導教官の要求も増えていきました。私は余裕がなくなっていき、精神的に追い詰められることが多くなりました。すると、研究活動に対するパフォーマンスがみるみる低下していきます。そんな中、2020年4月、コロナウイルスの影響で、原則、全学生は大学入校禁止となります。私は研究活動のため入校許可証を発行してその期間もほぼ毎日大学に登校していました。研究室は、私と指導教官の2人だけとなりました。指導教官は私の研究に関する一挙手一挙動について、いつも通り詰めてきます。私は「こんな苦しい、つらい思いをしてまで、研究する価値があるのだろうか?」と疑問に感じ始めます。それに伴い、研究に対する熱意も弱くなっていき、「何を言っても詰められるんだ、非難されるんだ」と思うようになりコミュニケーションが減っていきます。ディスカッションが億劫になってしまったのです。さらに、「自分が頑張って研究について調査したりアイデアを出しても、無下に扱われるだけだ。頑張る意味なんてない」と考え始めます。そして、私は本当に大事なこと以外は、指導教官への報告を怠るようになります。小さなことでも間違っていると執拗に訂正を求められるからです。その時点で、私は「博士課程修了するの厳しそうだ」と思い始めました。博士課程を修了するためには、経験が浅く右も左もわからない駆け出し研究者の私の力だけでは厳しく、経験の豊富な指導教官の手助けが不可欠だからです。これは私だけではなく、多くの博士課程の学生に当てはまることだと思います。自力で査読付き学術論文を複数投稿して、予備審査(プレゼンを行い、複数の教授から質問を受ける)を通過して、博士論文を作成して、本審査も通過する。これはとびぬけて優秀な学生を除いて、まず不可能です。
 何をやっても注意されたり怒られるするばかりの日々。今に始まったことではないのですが…。「しっかりしろ、しっかりやれ」「もっと考えて物を言え」。指導教官からの𠮟責が続きます。精神的苦痛が溜まっていきました。今まで、自分以外に学生が5-8人いたのでダメージが分散されていたことに気づきます。このことに関して、指導教官を擁護すると、「博士学生を修了させて博士号を取得させてあげたい」という思いがあったと思います。それゆえ、厳しい指導が続いたと考えられます。当然、博士号取得者を輩出すると研究者としてのランクが上がるから、という自身の地位向上のためもあると思います。
 ここから、さらに私の心が折れるエピソードを3点紹介します。
 1点目。ある日、指導教官に書類を提出したところ、「誤字がある。先生が直してくれると思わないで真面目に書け。」と言われ、接続詞を間違えた時は「日本語の勉強でもしたら」 と言われました。確かに、私は誤字脱字などの細かいミスをしていました。しかし、それに対して明らかに不機嫌な態度で強い命令口調で指摘されることに、強いストレスを感じました。「ここ間違えてるよ」で済む話です。
 2点目。投稿してリバイスされた査読論文の記載ミスに気づきました。引用文献が異なっていたという些細なもので論文の内容に直接的な影響はありません。修正した内容を再投稿するまでにはまだ時間があったので、2週間ほど報告せずにいました。その時期は就職活動もしていて忙しい時期でした。2週間後に報告したところ、「なぜすぐに報告しなかったか」執拗に責められました。それに対して自分はうまく返答できませんでした。すると指導教官は強い苛立ちを見せ「おかしいよ」と私に強く言いました。指導教官の指摘は常に合理的です。しかしここでは人格否定と私が受け取ってもおかしくない態度で接してきました。5年以上同じ研究室で共に研究を行ってきただけに、とても悲しい気持ちになりました。なぜそこまで責められなけらばならないのか、納得できませんでした。教授自身も、論文投稿の際appendixの添付を忘れるなどのミスをしています。そのことを彼は私に報告していません(指導教官の机上のメモを見て知った)。それなのに私のミスに対しては厳しく責め立てるのです。
 3点目。ある日、指導教官に研究の相談に行きました。指導教官の質問に対して適当な回答が思い浮かばず、数秒思考していたところ、「聞いてんだけど」と明らかに不機嫌で高圧的な態度で言われました。
 最終的に、ストレスが高まり負の感情が増大した私は、指導教官に対する不満が募っていきます。例えば、博士論文執筆時、修士論文の作成時に議論が終わった内容について今更突っ込んできたときには、「いや、それ修士の時に言ってよ。忘れたし、また一から文献調べ直すの面倒だよ」と思いました。また、博士論文作成について、神経質なほど細かい注文があります。提出した書類は、教官の赤ペンによる内容や誤字脱字に関する修正指示で真っ赤になっていました。納得することがある一方、「そこどうでもよくない?本筋に関係なくない?」と思うこともありました。そして、博士論文の修正時に私はこう思いました。「もうどうでもいい。めんどくさい。大学辞めたい」と。ここで大学を中退するのも一つに選択肢だと考え始めました。一方で、「なんとか今携わっている研究の実験結果を出したい。中途半端な形で終わりたくない」という思いもありました。同じ研究室、指導教官の下で辛くても5年以上も頑張ってきました。ここで中退するのはあまりにも今更すぎます。
 ここまでお話しした通り、私は指導教官との意思疎通が億劫になり、博士課程を辞めたくなりました。念のため申し上げますが、悪いのは私自身です。人の顔色や態度をいちいち気にせず、自分がやるべきことを淡々とこなしていければよかったのです。更に言うと、私自身に研究に対する熱意、意欲、興味関心がもっとあれば、苦しくても自分事だと思って乗り越えられるはずです。

2.家から大学まで遠い

 8年半以上同じ大学に通学してきた私にとって、この理由はかなり今更です。でも振り返ってみて、原因の一つではあると考えています。通学・通勤時間は短ければ短い程良いです。無駄な体力を消耗せずに済みます。私は大学1年から博士後期課程2年前期までの7年半、片道約1時間20分の電車移動を繰り返してきました。移動にかかる費用は、学割を適用して約10000円/月です。長時間の乗り物による移動が苦にならない人にとってはなんてことはない時間です。私自身も、それまで「そういうものなんだ」と割り切っていたのですが、冷静に考えて一日のかなりの時間を無駄にしていると思いました。睡眠時間が8時間として、起きている時間16時間の約2割が電車移動ってどうなの?と。その時間を勉強、読書など有意義に利用出来たらよいのですが、混雑していることが多く大抵音楽を聴くくらいしかできません。さらに、電車酔いもしますし、車内が眩しくて目が疲れますし、乗り換えのために20分近く歩きます。
 博士後期課程2年次の夏、3か月ほどマレーシアに研究留学したときは最高でした。徒歩30分またはバス(タクシー)で20分ほどで居住地から大学まで着くのです。それがきっかけで、帰国後「もう電車に乗りたくない!」と思うようになり、片道約1時間15分かけて電動自転車で通学するようになりました。距離にすると約20キロです。自転車は疲れますが、電車に乗らずに済むだけで大分ストレスは軽減されました。自転車を漕いでいる間、心拍数が120程度(平常時の約2倍)になり、有酸素運動にもなります。しかも移動にかかる費用50-150円/月程度と格安です。電動自転車のバッテリーを充電する際にかかる電気代は、一回5-15円であり、一回充電すれば2往復できます。問題は、冬がとてつもなく寒いということです。冬の冷たい風をダイレクトに受けることになるからです。ベンチコートを着て、靴下と腰にカイロつけても寒くて「これだったら電車移動の方が楽なのでは?」となりました。
 博士後期課程3年次から、片道55分かけて125㏄スクーターで移動するようになります。費用はガソリン代が2400円/月ほどです。電車や自転車と比べて20分以上早くなりました。気づくのが遅すぎたのですが、これが私にとって通学手段の最適解であると知ります。スクーターを用いた移動は、事故や違反など気にするべきことがあるので疲れることもあるのですが、慣れれば問題ありません。とはいえ、まだ遠いです。往復1時間以内が理想です。通学時間は短い方がいいです。そこで体力を消耗させてたら満足に研究活動できません。

3 博士号の必要性

 博士課程に進学したからには、全ての人が博士号の取得を目指すはずです。私もそのうちの一人でした。でも一旦落ち着いて、「なぜ博士号が必要なのか?」と考えて始めました。私が調べた限り、現状日本で博士号が必要となるのは大きく以下の3点です。①大学教員、あるいは高専などの教員②国の公的研究機関などの研究員③一部の民間企業の研究職。私の就職内定先では、上記①から③のどれにもあてはまりません。つまり、博士号を取得する理由がないのです。もちろん、今後欲しくなる、あるいは必要になる可能性はありますが。
 「取れるんだったら取っとけ」という意見もあります。確かにその通りです。でも、1.節で述べた通り、そんな簡単なものじゃないのです、少なくとも私にとっては…。
 ここで言いたいことは、上記①から③の職に将来就きたい人が博士課程に進学するべきだ、ということです。博士号は、あくまで公認会計士、司法書士といった資格のうちの一つです。私のように、もう少し研究してみたい、とか、就職活動を先延ばしにしたい、とか、博士号持ってたら何かしらに役立つかも、といった安易な考えで博士課程に進学するのは極めて危険です。私のような間違えを犯す人を一人でも減らしたいです。

おわりに


 ここまで、私が大学院博士課程をなぜ辞めたいと思ったか、というテーマで記していきました。1.節で記した指導教官に詰められて苦しくなる状態は、新入社員が上司に詰められて苦しくなる状態とかなり似ていると思います。そういった意味で、上司との関係性で悩んでる人にも共感できる点があるかもしれません。いずれにしても、大事なのは「生じた問題に対してどう対処するか」です。それについては、人それぞれ様々な方法があるはずですし、本記事では執筆者の都合上触れません。本記事が読んで下さっている方々の考えるきっかけとなったり、今後の活動のヒントになれば幸いです。

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