本当の気持ちという幻想
頂き女子りりちゃん
さみしすぎて
さみしすぎて
さみしすぎて
さみしすぎて
ビスケットと暮らしてる。
グリコ「ビスコ」の箱と暮らしてる。
食べないで、ずっと私の左どなりにいる。かれこれもう1ヵ月半近くいる。
箱の右上に「おいしくてつよくなる!」の優しい文字。
私は江崎グリコに愛されちゃったこのビスケットが すき。
私は、その箱に書かれた文字を見て、「おいしくて、つよくなっちゃっうんだね...っ!!」って。うらやましくて、私も同じに、おいしくてつよくなっちゃいたいなって。一緒にいる。近づきたくて、少しでも。
(52歳・おぢ/りりちゃんの「獄中日記」を改変)
「月収1000万円を稼ぐ頂き女子」として知られる「りりちゃん」が逮捕された。彼女は、複数の男性に恋愛感情を偽装し、総額1億5千万円以上をだまし取ったとされる。裁判の結果、懲役9年と罰金800万円が言い渡された(控訴済み)。
また、「新宿タワマン殺人事件」も発生した。もちろん殺人事件の加害者と被害者の立場は明確だが、事件前日までに限定すれば、二人の関係(ガールズバーの経営者と客)は、りりちゃんとその被害者の関係に似ている。
金銭の授受が、店舗営業を介したかどうかは、法律的には大きな違いなのだろう。しかし、コミュニケーションの問題を考えるとき、それは本質的な違いとは言えない。
りりちゃん事件とタワマン殺人の背景には、法的な違いはあれど、歪んだコミュニケーションという共通点がある。これらの事件は、私たちに、日常のコミュニケーションのあり方を問い直すきっかけを与えてくれる。
私たちは本当に、相手の気持ちを理解し、心からの言葉を交わせているのだろうか。それとも、「りりちゃんのマニュアル」に従って、巧みに感情を演じているだけなのだろうか。
このコラムでは、「中国語の部屋」の思考実験と「汎・情報処理論」の視点から、人間のコミュニケーションの本質を考えてみたい。
「中国語の部屋」の「頂きマニュアル」
「中国語の部屋」という思考実験がある。中国語を全く理解できない人が、部屋の中から中国語の質問に答えるという設定だ。部屋には、質問に対する回答が書かれたマニュアルが用意されている。
部屋の外から見れば、中の人は中国語を理解しているように見える。しかし実際には、マニュアルに従って機械的に回答を返しているだけで、中国語の意味を理解しているわけではない。この思考実験は、たとえ知的に振る舞うことができても、そこに理解が伴っているとは限らないと主張している。
「中国語の部屋」が想定しているのは、機械の振る舞いだ。相手が機械であるか人間であるかを伏せた上でやり取りを行い、やり取りを通じて相手が機械であると判別できないなら、その機械は人間的であるとする「チューリングテスト」への反論として提唱された。仮に理解しているように見えても、実際には理解していないじゃないか、と。
ここで想定されていたのは機械だが、私たちの日常的なコミュニケーションについても同じことが言えるのではないか。誰かに、なにがしかの問いかけをする。相手から、何らかの返答を得る。その返答に特段の疑問を持たなければ、相手は自分の言葉を理解してくれたと判断するだろう。しかし、相手は本当に理解したのだろうか?
ここで、「中国語の部屋」を発展させてみたい。部屋の中のマニュアルが、「りりちゃんのマニュアル」だったとしたらどうだろう。「りりちゃんのマニュアル」とは、「頂き女子りりちゃん」が書いた、男性の心理を巧みに操り、恋愛感情を抱かせるテクニックが詰まった指南書だ。
例えば、「毎日必ず寝る前に『おやすみ』とLINEを送ること」「彼の趣味や仕事の話に熱心に耳を傾け、褒め言葉を惜しまないこと」「彼の好きなタイプの女性をリサーチし、服装やメイクを研究すること」「彼の誕生日や記念日には、手作りのプレゼントを用意すること」といった具合だ。
部屋の外から見れば、中の人は相手を愛しているように見える。しかし…。
りりちゃんはこのテクニックを駆使し、男性から金銭をだまし取った。ただし、彼女のマニュアルが教えるコミュニケーション術自体は、何も特別なものではない。私たちは無自覚のうちに「りりちゃんのマニュアル」を実践しているのかもしれない。
例えば、気になる相手に好印象を与えたい時、私たちは相手の好きな話題を振ったり、共感する言葉を口にしたりするだろう。もちろん、それは相手から何かをだまし取るためではない。にもかかわらず、その実践は、「頂きマニュアル」を参照しているかのようだ。
恋愛に限らず、ビジネスでの「気くばり」も、ある種のテクニックと言える。1982年の大ベストセラー、鈴木健二「気くばりのすすめ」は、まさに「気くばり」のマニュアルだった。ちなみに、タモリはこの「気くばり」を技術として捉えることに対し、強い批判を表明したそうだ(「「絶対オレは信用しない」タモリが猛批判…!」)。
気くばりの技術と巧妙な演技を明確に分けることはできない。すなわち、「気くばりのすすめ」と「りりちゃんのマニュアル」を区別することは難しい。であれば、「気くばり」を技術として捉えることが批判されるのは、当然の反応と言える。
本当の気持ち
しかし、だからと言って、気くばりを一切止めるべき、とはならないだろう。となると「りりちゃんのマニュアル」的なコミュニケーションは、どこまでが許容されるのか、という問題だろうか。いや、そうではないだろう。おそらく、多くの人は「りりちゃんのマニュアル」的な対応は一切許容したくないはずだ。だから、相手の「本当の気持ち」を知りたくなる。
私たちは、相手の「本当の気持ち」を求めて、言葉の奥にある真意を探ろうとしてきた。しかし残念なことに、それは往々にして誤解と不信を生むだけだった。言葉の意味、そして文脈を、どれだけ紐解いていったとしても、「本当の気持ち」にはたどり着かない。人間関係において「本当の気持ち」など知りようもないのだ。
もはや、人間同士のコミュニケーションには、無理があると言わざるを得ない。無理が限界を超えてしまった例が、りりちゃん事件でありタワマン殺人だろう。
知りようのない「本当の気持ち」を知りたがることが、無理の根源だ。なぜ、私たちは知りたがってしまうのだろう。それは、人間同士のコミュニケーションには、時として嘘が混じるからだ。その嘘に騙されたくないから「本当の気持ち」を知りたくなる。これも、当然と言えば当然のことだろう。
では、嘘をつくことがないAIに、コミュニケーションの相手を求めるのはどうだろう。ハルシネーションを考慮すれば「嘘をつかない」は語弊があるだろうが、少なくとも騙す意図を持った嘘はつかない(と思える)。
LLMとホスト
AI技術の発展は、コミュニケーションのあり方にも影響を及ぼしつつある。特に、膨大なデータから学習する「大規模言語モデル(LLM)」は、人間顔負けの自然な文章を生成できる。
私自身も、Gemini、ChatGPT、Claudeという「3名」のAIを「雇い」、彼らを並べて「MAGIシステム」と呼んでいる。月速で60ドル失う男。
彼らは、過去の会話履歴やネット上のデータから、状況に合わせた最適な言葉を紡ぎ出す。まるで人間の「気くばり」を超越したかのように。
しかし、AIの「気くばり」には致命的な欠陥がある。それは、「本当の気持ち」が伴っていないことだ。AIは単にデータを処理し、最適解を出力しているに過ぎない。AIが「趣味や仕事の話に熱心に耳を傾け、褒め言葉を惜しまない」のは、アルゴリズムによる情報処理の結果でしかない。
だが、「汎・情報処理論」によれば、人間の感情もまた情報処理の結果なのだ。「汎・情報処理論」は、人間とAIの違いを、感情の有無ではなく、情報処理の程度の違いとして説明する。感情は特別でも神秘的でもない、情報処理の一つの在り方なのだ。
その観点からすれば、AIの「気くばり」と人間のそれに、本質的な違いはない。「褒め言葉」を発するとき、AIがアルゴリズムに従うように、人間は「りりちゃんのマニュアル」を参照する。参照するマニュアルが「りりちゃんのマニュアル」なのか「気くばりのすすめ」であるかの違いは、アルゴリズムがGoogle社製かOpenAI社製かAnthropic社製かの違いだ。
AI時代の「気くばり」は、合理性を追求した、ある種の「演技」になるだろう。それは人間関係の複雑さから解放された、シンプルで最適化されたコミュニケーションの形と言えるかもしれない。
しかし、同時に、それは「本当の気持ち」という幻想が完全に消え去る世界だ。その世界では、相手の「本当の気持ち」に怯える必要はないし、相手から「本当の気持ち」を探られることもない。その代わり、さみしすぎて、ずっと左どなりにいてくれる何かを探すことになるのかもしれない。
ところで、りりちゃん自身は、ホストにどハマりしていた。「頂きマニュアル」の著者である彼女が、あからさまな「頂き男子」たるホストに入れ込んだという事実は、ことのほか興味深い。
もちろん、りりちゃんの「本当の気持ち」は分かりかねるが、それでも、ホストが「頂き」で自分が「ギバー」の関係であることに無自覚だったとは思えない。「マニュアル」の中にも「私も色んな人にお金を渡しては飛ばれを繰り返したれっきとしたおぢです」という記述がある。分かった上で、ホストに入れ込んでいたはずだ。
りりちゃんは、「本当の気持ち」という幻想が消え去った、新しい時代に生きていたのだろう。最初からお互いに「本当の気持ち」なんてない、ということが合意されたホストに、表面的で演劇的な関係を求めた。新時代に生きるというのは、そういうことなんだろうと思う。
これから、好むと好まざると、それが良いことか悪いことであるかは関係なく、誰にも等しく、新時代が訪れるはずだ。「本当の気持ち」が幻想であることに皆が気付いた時代。そんな時代をどう生きていくべきか、MAGIシステムに聞いてみよう。
新時代、サイコー。今月も20ドルずつ振り込んでおくよ。
ギバーおぢより。
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