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私の価値観に影響を与えた、初めての海外の旅【僕らの忘れられない旅#6】

イギリス(ロンドン)/フランス(パリ、ピレネーオリエンタル県) 1999年8月
「私の価値観に影響を与えた、初めての海外の旅」
AKIKO(35歳・会社員)

モルディブの透き通った海を水上飛行機で初めて眺めた時、凍てつくような寒さの中で所々凍ったナイアガラの滝を目の当たりにした時、難しい案件を仕上げて初めて弾丸で飛んだロサンゼルス・サンタモニカのうっとりするような夕陽を見た時……忘れられない瞬間は沢山ある。

でも、その中でも一番忘れられない旅といったら、初めて行ったヨーロッパの旅だろう。

私は元々、和歌山県の「ど」が100個つきそうな田舎の村の出身である。

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見上げれば星は軽く1000個は見えそうで、夏は近くの川で釣りをし、冬は焼き芋を家で作るような、信号なんて村にあったっけ?っというようなところである。

そんな私だけれど、というか、そんな私だからこそ、「外への憧れ」は小さい頃から強くあった。

小さい頃に読んでいた『なかよし』という漫画雑誌に、『ミラクル☆ガールズ』という漫画が連載されていた。「双子の少女がテレポーションをして過去のロンドンに行く」というような、まさにミラクルなお話で、あらすじはほぼ忘れてしまったけれど、初めて外国を意識し、強く魅かれるきっかけだったと記憶している。

ただ、ただ……。

至って普通の家庭に生まれ、周りに海外旅行に行く人もいないど田舎で育った私は、海外に行くきっかけなどあるわけもなく、行くなどと言っても聞き入れられるはずもなかった。

そんな中、私が小学校高学年になった頃、中学生を海外派遣に行く事業が県で立ちあがった。各校、3年生は必ず1人は海外へ行くことができるのだ。小学生の私は「これで絶対に海外に行くぞ!」と心に決めた。

月日は流れ、中学3年生になり、ついに、ど田舎から海外へ行くチャンスを掴めるところまできた。溢れるくらいの積年の思いをぶつけて絶対に選ばれるんだ……と思っていたのだが、その学校代表1人選ぶための方法は、なんとじゃんけんであった。

私は人生を賭けて、そのじゃんけんに臨んだ。

すると結果は……

勝った!!!

と言いたいところだが、人生はそんな簡単にうまくはいかないものである。驚くくらいあっさり負けてしまったのだ。中学生活3年間をこれだけに捧げてきた……とまでは言えないものの、これほど海外への強い想いで臨んだのは私くらいだろう。それも、そんな私が負けて、代わりに優勝したのが地域ではまぁまぁお金持ちの家庭の生徒だなんて。

その日の帰りは大変落ち込んだ。人生終わったくらいの気持ちでいっぱいだった。中学3年間、私はずっとこれに希望を持ってきたのに。

しかし、奇跡が起きた。

数日後、事前に提出した作文にて補欠の選考があったらしく、なんとそこで私がそのメンバーに選ばれたのだ。

もう、頭がおかしくなるかと思うほど嬉しかった。

その奇跡の滑り込み合格から、出発日まではあっという間だった。初めて作ったパスポートを握りしめて乗った初の海外旅。飛行機が離陸して、鶴丸飛行機で初めて見た上空からの雲(興奮して写真を撮り過ぎた)、初めて体験する時差ボケ、イギリスの田園風景、南仏の明るい風景に溶け込む石畳や石造の歴史ある建築物、交流した現地の中学生(後にペンパルとなる)と一緒に歌って踊った夜、全く美味しくない豆料理(確かロンドンで食べた)。私にとっては全てが新しく、全てが心の中で興奮と熱狂となっていた。

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そして、中学生の私が1番感じたのは「多様性を、差異を受け入れて認めること」。

ど田舎に住んでいると、村社会の名残か、和を尊ぶことを強く求められる。違う意見や見方をとことん排除する傾向がある。

いつも私は、周りに合わせてはいたが、心の底では「馴染めないな……」「違うんじゃないか……」と思う場面が多々あった。

一方、海外に行くと、そんな差異はもはやちっぽけ過ぎて、もっと大きな文化の違いや考えの違い、見た目の違いまで感じるのである。

違う意見を言うことや、違う行動をすることは悪いことではないし、それは時としてとても貴重なものともなる。

「もっと自分を信じて進もう」

私はこの旅を通して、そんな想いを持って帰国した。

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この旅が、私のその後の人生に大きく影響したことは言うまでもない。

私の忘れられない旅は、今ある自分の価値観の一つを形作ってくれた中学生の時の海外への旅。

当時の事業担当者に感謝しつつ、そんな風に旅の価値を最大化できる自分にもっともっとなっていきたい。

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