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人生の夏休み

日本で心を失うまで働きすぎなくてもいいと思うんです。まあ日本に限った話じゃないかな。ぼくの世界の友達たちを見ていてもそう。ぶっ壊れちゃう前に、人生の夏休みが必要なこともありますよね。無理しすぎない方がいいこともあります。ぜんぶ放り出したっていいですよ。必ずだれか助けてくれるから。

こんな呟きをしたら、思ったよりも多くの人が共感してくれたみたいだ。

ぼくも、ちょうど一年前は日本でぶっ壊れる寸前だったから、最近日本の知人たちが同じような病に苦しんでいるのを見かけると、心が痛む。だからこそ、冒頭で投げかけた言葉はぼくの本心だ。

正直なところ、“絶望のレンズ”からしか世界を見れなくなっている人に、言葉ほど虚しいものはない。ぼく自身、その境遇にあったから、その無力さが痛いほど分かる。

なので、ぼくらから言えることは限られている。時間が解決してくれる。困ったら、なにができるかは分からないけれど、まずは頼ってほしい。それくらいのものだ。

とりあえず、今回のnoteでは、ラムの旅から帰ってきて、いまの生活や習慣について、日常的に取り組んでいること、いまちょっと先の未来について考えていることなんかについて記してみたい。

ポーカーを休んでみる

ナイロビからラム島までのドライブ旅から一週間が経った。ケニアに来てから基本的に毎日ポーカーをやっていたから、ラムから帰ってきて、またポーカー戦線に復帰したのかといえば、そうではなかった。

基本的に毎日行動を共にしていた中国人の師・ジェイソンと、ラムから帰ってきてからランチミーティングをした。今後の行動方針を話し合うためだ。ぼくらにはいくつかのオプションがあった。いろんな事情があって、ここで、それらについて詳述することは控える。結論として、今年に関して、ぼくらは休息を取ることにした。

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ぼく個人としては、来年まで、ほとんどポーカーは休もうと思っている。これまでは週7毎日、しっかりとポーカーを打ち続けてきたけれど、今年に関しては、気が向いたときに週に一回くらいやればいいかなと思っている。

幸いなことに、先月それなりに勝ち切ることができて、二ヶ月ほどであれば、生活費なども気にせずに生きていけるくらいのお金は貯めれた。とはいえど、全体としてそれほどお金を持っているわけではないので、依然として経済的なゆとりがあるわけではないけれど。

読書から、日常を物語に転換する想像力を抽出する

じゃあ、どうやって日々を過ごしていこうか。

日常からポーカーを取り除いて、残るぼくの習慣はこんな感じだ。まず、朝は早めに起きる。だいたい6時前後。それからジムへ行く。週に二回パーソナルトレーナーをつけていて、彼とセッションがある日は負荷高めのサーキット・トレーニングにウェイト系の種目を混ぜて、有酸素・無酸素バランスの良いトレーニングを一時間弱こなす。

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彼とセッションのない日は、ひとりで黙々と有酸素運動だけする。だいたいにおいてトレッドミルで一時間走るくらいの、軽めの運動だ。いずれにしても、トレーニングを終えると、そのままジムに併設されたサウナで汗を出し切る。サウナはだいたいぼく一人しかいないから、ロウリュをガンガン回して、室内を最大温度に保つようにする。

最近では、サウナに入っているあいだ中国語のフレーズ集を聴き流しながら、半分瞑想している。中国語を勉強し始めたのは一週間ほど前からで、ポーカーもお休みすることだし、一日に最低2時間ほどは中国語学習に充てたい。その記録については、また別途noteにまとめるつもりだ。

サウナを出てから、プロテインを飲み、少し読書する。昔は、10冊くらいを同時に多読するスタイルを取っていたけれど、最近は2冊を交互に読む程度に収めている。1冊はビジネスやら思想書やら学術書やら実用書で、もう一冊は意識的に必ず小説を読むようにしている。

二週間ほど前に「ケニアで中国人マダムの性奴隷になった話」という、少々俗っぽい(まぁ、ほんとうなのだから仕方ない)タイトルのnoteを出した。

このnoteを読んでくれた人が」「この本を読むといいですよ」と勧めてくれた『チョンキンマンションのボスは知っている』を翌日、すぐに読み終えた。香港に重慶大厦チョンキンマンションに集ったのはタンザニア人だったけれど、ぼくがいま生活しているケニアに集っているのは、まったくの正反対である中国人たちである。

日本で暮らしていると気づきずらいけれども、世界には母国を飛び出し、異国の地でネットワークを張り巡らしながら、組成しながら、懸命に、知恵を絞らせながら暮らしている半移動民がたくさんいる。当たり前だけれど、世界はぼくらが思うよりも広いのだ。

目の前の窮状にただ絶望するのではなく、自分が持っている知恵や技術、あるいは社会関係資本を頼りに、なんとか現状を打破すること。夢を捨てないこと。なんとか地に根を張り、粘り強く生きようとすること。ぼくの知らない人々の生活の内情をすることで、日常と物語をつなぐための想像力を喚起してくれる。

読んで、書く 書いて、読む

読むことは、書くことに直結している。

プラットフォームとしての「note」を使い始めたのは、おそらく5年前くらいのことだったと思う。

ぼくは去年までライターとして活動というか仕事をしていたので、私的な文章を置いておく場所としてnoteを活用していた。有料マガジンの類はやったことがなく、あくまでも気が向いたときに、散発的に文章を書いてはnoteに公開してきた。

昨年は体調を崩しており、まったくと言っていいほどnoteを更新できていなかった。書くことはおろか、読むことすらできない始末で、大好きな読書すらまったくしなかった。

ただ、ダラダラとYouTubeなりNetflixなり、頭を使わなくてもいいコンテンツに救いを求めて、ただ時間を無為に潰していく生活に身を浸していた。

ケニアにやってきてら体調も徐々に上向いていき、このnoteで記しているようなルーティンを確立できたのも2〜3ヶ月前くらいのことだったと思う。ちょうど、二ヶ月前に一つのnoteを公開した。

「書く」ことについて書いたこのnoteを嚆矢こうしとして、今日に至るまで週に一度noteを書くという試みを続けている。公開を前提とした文章を決められたペースで書き続けるのは初めての体験だ。けれど、いまのところこの自分の勝手な取り決めを楽しめている。

株式投資を始めてみることで、ニュースの経済情報に敏感になったり、因果的な思考から物事を見つめるようになったりするのと似ているのかもしれない。

冒頭で「読むことは、書くこと」と述べたように、読書をしていても、自分の視点を更新できる新たな視点を探したり、日常を物語的に見つめるまなざしを方法論として取り込めたり、「書く」アンテナが立っているからこそ、感性や思考が、いい意味でフレーミングされているのを感じる。

「『書く』を習慣化してみる」の続編にあたる、「『書く』を習慣化してみたら」を、数ヶ月後に書いてみたら面白いかもしれない。いま軽く触れたような、書くことを習慣化することによる効用について、より深い考察を得られたら、筆をとってみようと思う。

人生の夏休みの宿題みたいな、小説づくり

ラムを旅している道中、とある依頼のような、提案のような、メッセージをいただいた。

1ヶ月以上、毎日コツコツ書き溜めた、6.5万字からなる「世界を相対化する技術」を読んでくれた、とある方が「とてもよかった。この物語をベースに小説を書いてみたら?」とおっしゃってくれたのだ。

じつは、このnoteを公開してから、似たような声をいただくことが多くあった。「まるで壮大な私小説のようだった」「とくにケニア編は疾走感がある青春小説のようだった」ーーぼく自身が書き手だから、わりに分量のあるこの文章を客観的に受け取ることはできない。

けれども、この文章を小説と言うことはできないだろう。noteの冒頭で注記したように、この文章の出発点となるインスピレーションを与えてくれたのは『あなたの人生の科学』であり『物語の哲学』だ。

文章のマクロの構造の部分のアイデアの着想を、このふたつの本からもらったわけであるが、コンテント(文章の中身)そのものは、すべてぼくの実体験であり、一切のフィクションが混ざっていない。とくに、ケニア編に関しては、諸事情により書けない事柄も多くあった。性奴隷になったくだりくらいであれば、さじ加減次第でどうにでもなるけれど。

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とうぜん、これまで小説を書いたことはない。経験もなければ、技術もない。けれど、物語を創作するにあたっての、初期衝動のようなものは芽生えつつある。具体的なプロットやその構築の仕方は、手探りだし、まだまだ詰めていかなければならない部分の方が多い。

しかしながら、物語を通底するコンセプトであったり、コアとなるアイデアはすでに措定そていできている。これらをいかに物語の形式に落とし込めるかが肝となる。まぁ、一言でいってしまえば、それなりに大きな挑戦になる。

ぼくのケニアでのいまの暮らしをまとめるなら、こんな感じだ。まず、基本的には早寝早起きを心がける。毎日なにかしらのワークアウトをする。読書をする、文章を書く、中国語の勉強をする。気分転換にポーカーをする。そして、新たにフィクションを書こうと思っている。まるで、人生の夏休みのようだ。

ある種の透徹とうてつした生活のルーティンを基軸に、自分なりのプリンシプル(原理原則)のようなものを打ち立てようとしている。なんだか、15歳の田村カフカ君のと同じようなライフスタイルである。

人生のなかに夏休みのような時間を設けるのか。それとも、人生そのものを夏休みのようなあり方に変質させていくのか。いまだ、この生活がどんなふうに転がっていくのかは見えない。

けれど、わずかな予感や「こうありたい」と願う自分自身のコンパスだけを頼りに、もう少しケニアで歩を進めてみるつもりだ。

ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。