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師弟関係でエンパワーされるのは、師の方だったりする

人との出会いは、傲慢さをかき消す。
教えることは、教わること。

彼がある日、「弟子入りさせてください!」とメールをし、
家に押しかけて来た日から、2年近くが経ってしまう。

「彼と一緒に居すぎなせいで、彼女ができないんじゃないか」

そんな冗談めいたことを、少なくない回数言われるくらいには、常時一緒に過ごした。

手取り足取り教えるためには、自分を捧げる必要がある

はじめて顔合わせたときに、お互いに交わした約束はシンプルなものだった。

①即レス、②できないことを「できる」と言わない、③飛ばない

最初に振ったタスクは取材音源の「文字起こし」。

後から聞いた話によれば、彼は僕の家を出た瞬間、全力ダッシュで近くのカフェに駆け込み、最速で仕事に取り組んだのだという。

思えば、この瞬間から彼の成長は約束されていたのかもしれない。

それからの日々は、お互いに「できること」を確認しつつ、拡張していくことを繰り返した。

何かにつまづいたときには、二人で頭を振り絞りながら、原因となっているボトルネックを特定し、必ず仕組みで解決を図る。

僕が「当たり前」と思うことは、その都度、なぜ「当たり前なのか」の言語化・説明が求められる。

人を育てるためには、自分自身の深い内省と経験則の構造化が必要だからだ。

もちろん異なる人生を歩んできたのだから、考え方やできることのケイパビリティには違いがある。その距離感をなるべく短い時間のなか、密度を高めつつ、最小化するには仕組み化をさらに推し進める「気合い」が必要となる。

「マッチョイズム」「コミットメント」「モメンタム」から成る三角形

僕は彼と仕事をするようになってから、仕事の要諦は「マッチョイズム」「コミットメント」「モメンタム」の三角形から成るのではないかと思い至るようになった。

先日、学生向けのメディアのインタビューに答える機会があった。

このインタビューで喋った内容のエッセンスは、当然僕自身の体験からの気づきがベースになっている。それでも、そうした振り返りやエッセンスの結晶化は、彼と日々過ごすなかで、対話を続けるなかで、毎日のルノアール生活で絞り出されたものに他ならない。

会社名に入っている「モメンタム」には「勢い・弾み」といった意味があります。チャレンジと成功を繰り返すことが「モメンタム」を生み、また次のモメンタムが舞い込んでくる。学生時代はモメンタム・エンジンに薪をくべ続けることをイメージしながら仕事をしていました(笑)。

悲しい哉、人は忘れることを義務付けられた生き物であるから、一人で生きていると捨象されていってしまう記憶に溢れている。

師と仰いでくれている人には、短い人生のなかで、おぼろげながらも掴んだ確信や原理原則、黄金律を、もがきながらも伝えたいと思うものだ。

信じ抜くこと、人生をベットすること

二人で仕事を開始してから、関わってくれるメンバーがあれよあれよと増えていき、ついには法人化に至るまでに。

その間には、離れていってしまうメンバーも居れば、彼の説得によって残ってくれるメンバーもいた。仕事の進め方、働き方、組織としてのまとまりを持つこと。

さらに砕いて考えるなら、人に仕事を任せること、相手を思いやること、組織全体に目配せをすること、素直であることの意味、誠実さを体現する方法、なによりも“イマ”を信じ抜いて行動をやめないこと。

列挙したらキリがないくらい、たくさんのことを教えてもらった。

流れていく時間に自らの意思で楔を打ち、人生を変えようとしたこと、そして変えたこと。与沢翼さんではないが、宣言を貫き通すことは容易なことではない。

最大限の賞賛を送りつつ、新しい環境であくせく頑張る彼にエールを。困ったときにはいつでも手を差し伸べられる存在でありたいものです。


ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。