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“孤独”はいつか強さを与えてくれる

“自分の言葉”を手にするために

仕事柄、あらゆる業界のトップランナーの人にお話を伺う機会がある。

「なぜ今の場所にたどり着いたのか」ーー。

皆さん口を揃えておっしゃることがある。

数ヶ月、数年、己とだけ向き合い続けた”孤絶”の時間があった、と。

とりわけ、孤絶し静謐な時間のなかで、多くの人が「読書に埋没した期間」を持っている。

人生は比べられないけど、かなり高い精度の仮説だと思う。

数百にわたる読書体験を通じた著者との対話を通じ、言葉を手にし、“自分の言葉”で話せる術を身につける。

風雪のあとの経験と方法論

孤独をどこまで引き受けられるかが、別軸の成長分を創出できることは間違いない。

ある時点でまとまった時間の閉じた暗い空間で自問自答や思索を時間を人生で取っておく。すると、気づいたら立ってる地点が高いところにいた。そんな人も何人もみている。

自分はやはり、インドでぷらっぷらと修行をしていた期間が大きい気がする。

社会通念上の平均値の薄膜を突き破り、頭角を表す人間は長短を問わず、”静かな時間”言い換えるなら”風雪の時間”を耐え忍んだ経験を持つ。

充電でも冬眠でもなく、孤絶下で己と向き合い切る。果てに生まれた経験値と方法論。そこだけにしかレバレッジはかからない。

人生における修行期間は、必ず後のジャンプの助走になる。

「闇と絶望」が美しいのは何故

「闇」を感じる人ほど、また同時に「美しさ」も感じるのは何故だろう。

潜り抜けた孤独は、いつかオリジナリティに転化して、その人だけが放つ輝きに変化している。

孤独や隔絶が、クリエーションの原液を形作る種として重要だからこそ。
あいみょんが(少なくともゼロイチにみえる)フィクションをベースに作品を量産する才能に無限の可能性を感じる。

それでも彼女の歩みを知れば、その過程において確実に闇があったこともまあ事実だ。だからこそ、その詩は美しい。

孤独や絶望はいつか美しさに転化するから、それが作品の隅々に滲み出てるあいみょんが好きなのかも。その種の性質のクリエイティブがニッチで支持されるのは分かるけど、マスの膜を破ったのが、あいみょんの凄味でポテンシャルなんだと思う。そんな御託は置いて、あいみょんをBGMに今日も原稿を書こうと思う。


ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。