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原書のすゝめ:#2 Travail soigné

今回は、Pierre Lemaitre の『Travail soigné』を読んでみる。原書はフランス語である。この時点ですでに少ない読者がさらに減った気がする。

くどいようだが、原書を読むといっても語学学習が目的ではなく、原書に触れる愉しさをお伝えしたいというのが目的なので、フランス語に抵抗を示さず読んでいただければと思う。あるいは、これをきっかけにフランス語への一歩を踏みだしていただける方が増えると嬉しい。


本題に入る前に少し紹介をすると、ピエール・ルメートルは本国でもベストセラー作家で、『天国でまた会おう』はゴンクール賞を受賞、映画化もされた作品である。実はまだ読んだことがないのだが、手元の本が尽きたら読もうと思っている。ルメートルの作品は英語訳も出ているので、気になった方はそちらを読んでいただいてもよいと思う。

さて、前回作者がもっともこだわりを持つのはタイトルと冒頭だと述べた。

『Travail soigné』というタイトルだけをみると『髪結いの亭主』のようなイメージが湧いたのだが、本を読んだ後でこのタイトルが持つゾッとする恐ろしさがわかった。これを何のセンスもなく和訳すると、『入念な仕事』となる。一見すると、どこにもゾッとする要素など見当たらない。

この作品は3部作のシリーズになっており、その第1部にあたるのが本書である。フランス語のタイトルはそれぞれ『Travail soigné』、『Alex』、『Sacrifice』と題されているのだが、邦題は『悲しみのイレーヌ』、『その女アレックス』、『傷だらけのカミーユ』と訳されており、フランス語を知らない方でも明らかに原題と異なっていることがわかるはずである。

原題のとおりに訳すと『入念な仕事』、『アレックス』、『生贄』となる。


ミステリー作品のタイトルは、読者の興味を引くように謎を暗示するものが多い。しかし、絶対にネタバレになってはいけない。そのため、訳出する際には相当な配慮が必要になる。

今回の場合、上述したように訳すと、『アレックス』はともかく『入念な仕事』はダサいし、『生贄』となるとホラー作品のようである。タイトルの付け方が非常に難しい。


そこで、英訳されたシリーズのタイトルを見ると、『Irene』、『Alex』、『Camille』となっている。これは非常にスマートである。一見して3部作とわかるうえに、それぞれの作品でメインとなる人物がそのままタイトルになっているからだ。邦題はおそらく英語訳から拝借したと思われる。ただし、英語とは異なり、人名だけではインパクトが弱くミステリーっぽくないので、それぞれに修飾語をつけたのかもしれない。あるいは、日本での刊行年は『その女アレックス』が最も早く、1968年に映画化されたニコス・カザンザキスの著作『その男ゾルバ』(原題は『Zorba the Greek』)というタイトルをもじって『その女アレックス』としたために、その後のシリーズにも修飾語がつけられた、とも考えられる。

私の勝手な推理なので、真相はわからない。
だが、いずれにしても『Travail soigné』のニュアンスがここで完全に消し去られてしまったのは、個人的に残念であるという感が拭えない。

 

何故かといえば、この作品の中の犯人は名作ミステリーを忠実になぞった犯罪現場を再現する、いわば『入念な仕事』をする連続殺人犯だからである。細部にこだわる犯人の執着はまさに狂気で、この狂気が『Travail soigné』というタイトルに凝縮されているからだ。


それでは次に書き出しを見てみよう。


Lundi 7 avril 2003
1


——  Alice… dit-il en regardant ce que n’importe qui, sauf lui, aurait appelé une jeune fille. 
  Il avait prononcé son prénom pour lui faire un signe de connivence mais sans parvenir à créer chez elle la moindre faille. Il baissa les yeux vers les notes jetées au fil de la plume par Armand au cours du premier interrogatoire : Alice Vandenbosch, 24 ans. Il tenta d’imaginer à quoi pouvait normalement ressembler une Alice Vandenbosch de 24 ans. Ça devait être une fille jeune, au visage long, aux cheveux châtain clair, avec un regard droit.



フランス語のilは、英語のheにあたる。Aliceと呼びかけているのは「il=彼」であるが、まだ名前が出てこないので、誰だかわからない。Aliceという24歳の女性を尋問している場面から始まっている。日本語の本でも同じだが、こんなふうに登場人物の名前が出てこないと、どんな場面なのかを想像するのは難しい。

作者は書き出しに凝る。
実は、この冒頭部分で私たちはすでに作者の術中に嵌っている。Agatha Christieの作品に見られる手法の変形版と言えるかもしれない。作品名を言ってしまうとネタバレになる恐れがあるので控えておくが、Christieファンならもう察しがついてしまったかもしれない。仮にそうだとしても、本作の結末にはあっと驚かされることになるはずなので、とくに問題はないだろう。ストーリーは、ぜひ読んで楽しんでいただきたい。


さらに面白い点がある。
先に本のタイトルが英語訳からのヒントではないかと推理したが、そう思った原因がもう一つある。

第1部の後半に原書と邦訳でずいぶん内容がずれている箇所があったので、もしやと思って英語版の該当のページを本屋で齧り読みしてみた(本屋さん、ごめんなさい)。すると、思ったとおり、英語の文章と邦訳の文章が一致していたのだ。英語訳は完全にパラグラフの順序が変えられており、邦訳もそれに倣った順で訳出されてあったと記憶している。それで、おそらく邦訳は英語版を底本にしたのではないかと思ったのである。あるいは、私が持っているフランス語の原書と底本にされた版が異なっており、いずれかに修正が加えられた可能性もある。

邦訳は友人に借りて読んだのだが、読みやすくて引き込まれる文章だった。ところが、原書を読んでみて、それが非常に大胆な訳であったことに驚かされた。例えば、次の文章である。

* * *

Louis regarda de droite et de gauche sans comprendre ce qui se passait, se leva précipitamment et suivi Verhœven qui marchait  vers l’escalier. Les deux hommes n’échangèrent pas un mot jusqu’à leur arrivée, de l’autre côté de la rue, dans la brasserie où ils prenaient de temps en temps à autre un demi avant de se quitter. Camille choisit une place à la terrasse vitrée, s’installa sur la banquette de moleskine, laissent à Louis la chaise dos à la rue. Ils attendirent en silence que le garçon vienne prendre leur commande.

【邦訳】カミーユはルイを引き連れて庁舎を出ると、通りを渡り、カフェレストランへ入った。二人がたまに帰宅前に一杯やる店だ。ガラス張りのテラス席を選んで模造革の長椅子に座り、向かいの椅子にルイを座らせた。そしてボーイが注文を取りにくるまで黙っていた。

* * *

両者はかなり違った文章になっている。例えば、邦訳の冒頭にある「カミーユ」の名前が出てくるのは、最初の文の後半(Verhœvenはカミーユの苗字)だ。翻訳指導のテキストなどを読むと、原文のまま頭から訳出していくようにというアドバイスがある。そのとおりである。なぜなら、文章を行きつ戻りつする必要がなく、むしろその方が自然と頭に入るからである。私たちも当たり前のように日本語を上から下へと読んでいるはずで、文の前後に目線を移動しながら読んだりはしない。しかし、英文を読む時は、語順が異なるためにどうしても日本語の語順に置き換えて読んでしまいがちである。漢文の返り点も日本語読みにするための技法だ。原書を読む時はその国の言語脳に頭を入れ替えた方がよい。

ところが、ここでは明らかに原文の語順に倣っていない翻訳になっている。
正確でない部分があることを承知で、この邦訳の最初の2文を訳出してみる。

【拙訳】ルイは何が起きたのかわからないままキョロキョロしていたが、すぐに立ち上がって、階段の方へ歩いていくカミーユの後を追いかけた。二人とも言葉を交わすことなく通りを渡り、帰宅前にたまに一杯やる店に入った。

この本の邦訳では主語が完全に入れ替わっているうえ、訳出されていない箇所もある。これは原書を読むまではわからなかった。それほど違和感がない翻訳だったからだ。


このように両者を比較したのは翻訳の良し悪しを語ろうとするためではなく、こういうことも原書を読まないとわからないということをお伝えしたかったからである。文体も原書から受けるイメージとはだいぶん違う。やはり英語訳からの重訳なのかもしれない。

ついでながら、英語圏ミステリーファンの必須単語に関して面白い記述がある。

* * *

La reconstitution du modus operandi, expression dont raffolent tous ceux qui n’ont jamais fait de latin, allait évidemment prendre davantage de temps.

【邦訳】当然のことながら、モドゥス・オペランディ(手口)ー ラテン語を学んだことがない人々が好んで使う表現だ ー の詳細はもっと時間をかけなければわからない。

* * *

この modus operandi であるが、英語圏のミステリーでは「犯罪の手口」という意味で一般的に使われており、上記のように「ラテン語を学んだことがない人々」云々といった説明がされているのを、少ない読書経験からいっても私は見たことがない。英米ドラマでは、略して「MO」と言い方でよく出てくる。This is his usual MO (これは奴のいつもの手口だ)のように使われている。英語の辞書にも普通に掲載されていて、英語圏ではとくにラテン語として意識されているという印象を受けなかった。ところが、ここではラテン語圏であるフランス人が語源にこだわっているところが面白い。ラテン語に対するコンプレックスがあるのかもしれない。

この作品には、犯人が傑作ミステリーと呼ぶ作品がいくつか出てくる。すでに読んだことのある作品もあったが、タイトルしか知らない本もあった。このうち1冊はKindleで仏語版(原書)と英語版(英訳)が無料になっていたので、早速買ってみた。これらの本については、また次の機会にご案内しようと思う。


読者レビューでは、多くの方がこの作品を面白いとしながらも、その残虐性(そもそも犯人がお手本とした作品が残虐なのだろうが)に嫌悪感を示している。この点については、私も同感である。

これも、原書を読んで感じたことだが、犯罪現場の惨状は邦訳でも十分に背筋が凍るものであったが、原書の方がさらに強い視覚的インパクトがあった。Louisでなくとも嘔吐しそうになるほどの迫力があり、思わず血の臭いでむせ返りそうになった。私の目の前にあるのは芳しいアロマを漂わせているコーヒーなのに、である。

『ダ・ヴィンチ・コード』の冒頭の殺害シーンでも同じような感覚があった。邦訳よりも原書(ここでは英語)の方が恐かったのだ。理由はわからない。

海外では犯罪ドラマの殺害現場や検視のシーンがリアルに放送されていることがあるのに対して、日本で放映される場合には、ぼかしが入っていたり、カットしてあったりすることがある。ひょっとしたら、翻訳の過程でも同じような作用が働いているのかもしれない。

ただし、確かめる術はない。その場面を詳細に検討することなど、恐ろしすぎて私にはできない。

しかし…。

そもそも検討する必要などないのかもしれない。
誰からも答えを求められている気がしないからだ。


<原書のすゝめ>シリーズ(2)

※<原書のすゝめ>シリーズのコンセプトはこちらの記事をご覧ください。


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