見出し画像

青木真也は「オワコン」だ。

久しぶりにさいたまスーパーアリーナに しかも大晦日じゃん

ちょっと衝撃的なタイトルで書き連ねてみようと思う。

昨日給料日だったのと、年末は東京に帰るので勢いで年末の大晦日のチケットを購入してしまった。

RIZIN. 20だ。

大晦日のさいたまスーパーアリーナに出向くのはいつ以来だろう。

RIZIN. 20に興味ある方は下記を参照ください。↓

で本題に戻っていこう。

2012年以来だ。DREAM. 18 & GLORY 4以来だ。しかも1部の途中で帰ったからGLORYは全く見ていない。

第6試合を見届けて岐路に。

今年の大晦日はこの時のなんとも言えない感情とどう自分が対峙するのだろう。

あの日は青木真也を観に行った。今年は彼はいない。

青木真也は「オワコン」だ。

そうだ、彼(青木真也)は大晦日にさいたまスーパーアリーナに居ない。

そうだ、彼(青木真也)は2012年から大晦日にさいたまスーパーアリーナに居ない。

2015年のRIZIN開幕興行に出ているが12/28なので大晦日には出場していない。


本当に個人的な周波数が合ったから大晦日にさいたまスーパーアリーナに脚を運ぶことにしてみた。

本当は来年(2020年)の4月5日に脚を運べると見込んでいた。

の3度目の東京大会。

今年、満を辞して3月と10月に東京大会が開催された。

メインイベントはかつて取られたベルトを取り返すというマッチメイク。


ベルトを再び戴冠し、

「35歳になって、好きなことやって、家庭壊して、ひとりぼっちで格闘技やって、どうだお前ら羨ましいだろ!」

「俺はな明日もこうやってなコツコツ生きていくんだよ」

と叫び

「おれたちはファミリーだ!」

鼓舞した。


ショートスパンの5月にタイトルマッチを行い、防衛は失敗してしまうが、


秒殺圧勝し、

「36歳になって、家庭壊して、好きなことやって、どうだお前ら羨ましいだろ!」

と叫ぶ。

彼はリング、ケージで闘う以外に多くの表現をしている。

最近SNSで話題の技術書であったり、

DDTでプロレスのリングにあがったり。

”世界観”を大事にしている。

ビジネス書籍/自己啓発に近いような本を執筆し、
noteを書いたり、多くの媒体で多岐にわたる執筆も行っている。

彼は格闘家でファイターでありそれ以上に優れた表現者だ。

彼は格闘家でファイターでありそれ以上に優れた表現者だ。
主戦場をもち、軸を持った中で多岐にわたる表現をしている。

彼がこれだけの表現ができるのは主戦場で
多くのいろいろな意味での修羅場を乗り越え最前線で闘い続けている。

また彼は自分自身の弱さを知っていて、そこが彼の強さでもある。

卓越したテイクダウンとサブミッションのテクニック、
それを活かすためのその他のスキル

何よりも格闘技が好きで誰よりも真摯に真剣に向き合っている。

しかしながら、格闘技だけをやっていない。

ライフイズコンテンツを掲げカラダを駆使し、
頭とこころから発せられる言語化された彼のコトバを紡ぐ。

今年のONE Championshipの日本大会2大会では
彼はプロモーションも含め、闘うこと以外でもつくりあげて来た。


修斗、PRIDE、DREAMと日本のメジャー団体を経て、

アジアを市場としたONEへ身を置く。

2013年に2代目ライト級チャンピオンに戴冠したあと、
3年間チャンピオンとして日本を離れ、
ONE及びアジアの格闘技を牽引してきた。

今年の3月に取り返す形となるエドゥアルド・フォラヤンに破れ、
その後の試合はひと階級上のチャンピオンに挑戦するなど
自身初の連敗を喫するなど日本で闘っていた以上に
アップダウンのあるキャリアを積み重ねたのかも知れない。

一貫していないように感じられる言動が物議を醸すことも多く、
煽りVだけでなく、最近ではSNS上の言動も話題になることが多い。

彼はコトバのチカラを理解している。

有言実行という陳腐な意味でなく、
リング・ケージだけでなくコトバを発することで
物語を紡ぎ、繋いでいる。


「空気を読んではいけない」
はフォラヤンに負ける直前に書かれ、
勝ち続ける中での孤独の頂天の最中での
彼の「コトバ」であるし、

「ストロング本能」
はフォラヤンに勝ち再びチャンピオンに返り咲く、
負けた後の闘いや生きる中でのもがき、
足掻きが表現されているモノであるのかもしれない。


もう10年以上彼を観ることがボクの格闘技観戦になっている

2000年12月17日 東京ベイNKホールで初めて格闘技観戦をし、
宇野×ルミナで2つの衝撃、
その前にはマッハの大逆転。

PRIDE. 23で髙田延彦が田村潔司に右フックで負け、
「田村、お前は男だ!」
と東京ドームで伝える場に居て、

そこからは首都圏開催のGPシリーズとナンバーシリーズ、
男祭りに脚を運んだ。

2006年12月31日・大晦日、
場所はさいたまスーパーアリーナ。

彼はここに居た。第二試合ライト級ワンマッチ、
のちにDREAMでも対峙する
『北欧の処刑人』ヨアキム・ハンセンとの試合だ。

彼(青木真也)は
トライアングルチョークで1R 2分ちょっとでハンセンを退ける。

ボクには東京NKベイホールで観た
宇野薫が佐藤ルミナに右フックで勝った衝撃を
上回るインパクトだった。

当時PRIDEはヘビー級、ミドル級と重量級中心で興行が行われる中、
ライト級の試合やファイターに心奪われた。

その時から格闘技観戦は彼を観に行くことに形が変わって行く事となる。

PRIDEが消滅し、大晦日を除くと会場に脚は遠退いてしまう時期もあった。

2009年大晦日、勝利後中指を立てた彼に熱狂した。

DREAM. 15 川尻達也とのタイトルマッチを観に行った後から、
DREAMに脚も運ぶように戻る。

その年の大晦日、
Mixルールで1Rはリングを駆け回り、
2R膝蹴りを被弾した姿も見届けた。

「肩の荷を下ろさせて楽にしたいと思う」
と言及した北岡悟を非常なまでに完封し、

DREAMを離れ、DREAMが消滅した先には、
両国国技館へ大晦日は脚を運んだ。

そこから(2014年を最後に)、今年まで会場に脚を運ぶことがなかった。

今年(2019年)3月31日場所は両国国技館。

彼は帰ってきた。
闘って居なかったわけではない、日本ではMMAの試合が無かったのだ。

生で観るリング・ケージ以外での彼の表現を追い続け、
闘いはパソコンやタブレットの画面で観る状況、
格闘代理戦争といった自身の闘い以外の活動している状態を
プロレスも含めて観る機会が増えていた。

もちろん書籍も読んだし

今年の3月の両国国技館は熱狂した。
「おれたちはファミリーだ!」とも叫んだ。

10月の両国国技館の試合も観た。
「おれたちはファミリーだ!」と叫んだ。


ふと思い返した。彼がいなくなったらボクは格闘技を観るのであろうかと。

きっと彼が闘う場以外の表現が増えていっても
追い続けることは変わらないであろう。


しかし、格闘技は観なくなってしまうかも知れない。

特に会場へは脚を今までで一番脚を運ばなくなるだろう。

彼が日本で試合をしていなかった時は運ばなかったのでなく、
運べなかったのだし。

さいたまスーパーアリーナに立つ彼を観たら感慨深いの一言で済まない。


青木真也は「オワコン」だ!という表現者に出逢いたい。

かつてのボクの(格闘技における)アイドル。
宇野薫は44歳でまだ闘い、
青木真也に負けてからは彼に師事を受けたりしている。

かつて親父狩りだと称した桜井マッハ速人は当時34歳、
当時のマッハの年齢を超え今も彼は第一線で闘っている。

青木真也はボクにとって偉大な表現者で、ヒーローである。

ボクはきっと青木真也は「オワコン」だと言うような
ファイターに巡り合わなければ格闘技を観ることは辞めてしまうだろう。

もう少し、と言うよりも
もしかしたら、
あと10年は立っているかもしれない。笑

それまでに
青木真也は「オワコン」だ!と言うようなファイターに出逢いたい。

時代が令和に変わったからではなく、
戦うこと以外で表現するファイターが稀有になってしまっているので
無理そうな気がするが。

Youtuberとかそう言うことじゃなくね。
格闘技が表現の一つの選手が増えてきたり、
多くはなりそうだけど。

なんとなく徒然なく書いてみた。

また、彼について書いてしまうことがあるのか、ないのか、


この話はこんなところで

気にいていただいたり、興味を持っていただいたり、いいなと思っていただけたらサポートいただけると大変嬉しいです。 サスティナブルなコーヒーワークの実現に役立てます!