曖昧に生きれてしまうからこそ、10年後具体的にどうなってたいか考える意味あると思う

「10年後、具体的にどうなってたい?」

これは2月に京都で参加したアーティストインレジデンスで、他の作家さんと飲んでいた時に上がった話だ。

僕は、というか多くの人は、この質問に答えることに無意味を感じていないだろうか。実際たったひとつの新型ウイルスの出現で、世界がこんなことになるとは去年の頭まで誰も考えていなかったし、この変化の激しい時代に、10年後の将来像を考えることに意味なんてあるのだろうか。それよりも、いまこの瞬間瞬間を全力で生きることが大切ではないだろうか。僕自身ここ数年はこの考えで生きてきた。(自分がアーティストになるなんて思ってもなかった...)

だからか、この質問が上がったとき返答できない自分がいた。結局その場で答えてないのだが、質問した作家さんが続けて「曖昧に生きられちゃうからこそ、10年後どうなっていたいか考えたいんだよね」と言った。それがなぜか2ヶ月経ってもずっと残っていた。

ミレニアルにとって2010年代とは、ネットを駆使して曖昧に好きなことで生きていける時代だったと思う。「無職」ですら逆説的に仕事になっていたし、振り返れば20代は本当にフラフラしていた。ブレイクダンス、NY留学、旅、新卒でアパレルメーカー、Airbnb、独立、ゲストハウス運営、ブログ、SNS、アート...。「キャリアのVSOP(20代はバラエティ/30代はスペシャリティ/40代はオリジナリティ/50代はパーソナリティ)」という言葉があるが、アイデンティティが不安定な20代は好奇心の赴くまま手当たり次第やっていた。

それで生活出来たのは、間違いなくインターネットが大きい。情報が毎日無限に飛び交い、他人の生き方をさも自分のように重ねてしてしまいがちなそんな時期であり、時代だった。3ヶ月後自分は30代を迎えるが、これまでのように曖昧に生きようと思えば生きられるだろう。でもそれで、10年後も同じ感じは絶対に嫌だと思った。

「10年後、具体的にどうなってたい?」

曖昧にフラフラと生きたからこそ、ずっとこの問いが残っていた。それから2ヶ月経ち、回答が出たと思う。10年内の目標はアートマーケットに参入し、結果を出すこと。プライマリーの取り扱いとコレクターが増え、展示やコミッションを手掛け、自分の作品が世界中に供給されるようにしていく。それはアーティストとして商業的に「売れる/売れた」というゴールではなく、むしろここからがスタート地点だと考えている。やりたいことはもっともっとたくさんある。

ってなわけで2020年代は美術の世界に一層のめり込んでいく。次回は具体的にこの10年でどういうことをやっていくか、考えて記したい。

ここから先はなぜ「10年後の目標」がそうなったのか、クローズドで深ぼる。

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