ファイナルファンタジーXIV 漆黒のヴィランズ感想文:『Shadowbringers』は己のシャドウを統合する物語

この記事はふせったーで2019年7月に公開した記事を筆者本人がnoteに転載、加筆修正したものです。オンラインゲーム『ファイナルファンタジーXIV』の最新エクスパンション、『漆黒のヴィランズ』のメインシナリオクエストクリア後の感想+弱い考察記事となります。

私が『漆黒のヴィランズ』(以下、英題の『Shadowbringers』で表記します)のメインクエストを体験して思ったのは、「これは心理学でいうところのシャドウの物語であるのかもしれないな」ということです。シャドウとは「禁じられた願望を抱く自分」、「実現不可能な望みを持つものとして淘汰された自分」、厨二感を持たせて表現するならば「封印された自分」です。ここからは、私の持つカウンセリングの知識を交えてお話します。

あなたの心の中には必ず、禁じている望みがある。「自慢は悪いこと」、「わがままなんて許されない」、「自分の意見を言ってはいけない」などその内容はさまざまです。あなたは大人になるために、あれもだめ、これはいけない、こんなことを考えるなんて許されないと、いろいろな望みを持つ自分を切り捨てて成長してきました。それはきっと、とても痛いこと。痛くてつらくて、あきらめないといけない自分が悔しくて、恥ずかしくて、その多くは抑圧され、忘れられてしまいます。でも、どんなに押し殺しても、自覚があってもなくても、捨ててしまったはずのその望みは他人に投影されて現れます。自分がこんなに我慢しているのに、あの人は平気な顔で望みを叶えている。それが辛くて、多くの場合、人はシャドウの映った相手を苦手と感じます。うらやましい、悔しい、なんて恥知らずな。強い怒りや軽蔑を以って投影相手を見ることも少なくありません。

例えばSNSで自慢やイキりをみて不快に感じる時こそ、投影されたシャドウを感じ取っている瞬間です。周りにどう思われるかも気にせず、自分のアピールをしまくれるメンタルに、認めたくはないもののある種の憧れを見るわけです。欲しかったアイテムが簡単に取れたと喜ぶフレンドに素直におめでとうと言えない時、「そんなふうに素直に喜びを表現したかった」「けどできない」ことに居心地の悪さを感じます。もっとストレートに「私だって自慢したい!」という望みが眠っていることだってあります。

シャドウに対する対処は基本的に2つしかありません。無視するか、受け入れるかです。人の心は感じたくない感情を麻痺させる仕組みがあるので、嫉妬も怒りもなかったことにして、自分のシャドウに気づくことなく「あいつむかつく」と投影先を憎んで終わる場合が多いでしょう。実質、シャドウを無視することとなります。もう一つは、「自分にもこういう心があったのだ」、「これだけ投影相手が憎いということは、そんなにも私はこの望みを切り離すのが辛かったのか」とシャドウを受け入れ、己と統合させることです。しかしこれには気付くためのきっかけ、あるいは向き合う明確な意思が必要です。前者は問題を永遠に先送りにし、後者は痛みを伴うもののシャドウを消し去り、心を一段階成長させます。『Shadowbringers』の物語は、シャドウを統合できたものとできないものが対決する物語であると、私は受け取りました。

おそらく光の戦士であり闇の戦士である主人公(以下、主人公と表記します)にもシャドウがあるでしょう。しかし、彼または彼女は私たちそれぞれの分身であるため、性格もみな異なります。なので主人公の心情がダイレクトに描かれることはなく、もっぱらその様子は行動によって表現されていました。プレイヤーのみなさんそれぞれの物語があるはずですから、ここでは主人公のシャドウについては語りません。

主人公自身の心情は細かく描くのが難しい。なので代弁者として選ばれたのは闇の戦士アルバートです。メインクエストをクリア済みのみなさんならご存じでしょうが、彼は文字通り主人公の一部となる存在。いわば生シャドウです。かつては互いを敵と認識し、激突もしました。

さまざまなイベントと交流を経験し、プレイヤーがひょっとして自分たちは似ているかもしれないと気づくころ、アルバートもまた気づきます。主人公は「よく似ているが、俺たちにはなかったものを持っている存在」「だからこそぶつからざるを得なかった存在」であるということに。今まで何でも、どんなものを犠牲にしても、闇の戦士パーティだけで頑張り続けてきたアルバートはついに、かつて決してできなかった「託し、委ねる」という選択をし、主人公と統合されます。光の戦士と闇の戦士は(恐らく、互いの)シャドウと統合され、より一層強く、大きな存在となります。ふたりが一つとなった瞬間のあの表情がすべてを物語っています。

厄介で、痛みに触れる存在ではあるものの、心の自由と大きな成長のきっかけをもたらすシャドウ。これに対処できなかった者もいます。その名はアシエン・エメトセルク。絶望的に長い時を生きてきた”真なる人”である彼は、いったいいくつの自分を押し殺し、切り捨ててきたのでしょうか。

彼もイノセンスのように「なんでだよ! ひれ伏せよ!」と恥ずかしげもなく欲望をさらし、泣き、暴れることができたらどんなに楽だったでしょう。しかし彼は誰もが冷静で理知的、尊重しわかり合える高度な世界に生まれた古代人でした。自分にも感情はあると認めながらも、それは「なりそこない」の主人公たちのものとは違うと強調します。この強固な抵抗は、シャドウの否定と考えられます。たとえ14に分かたれることはなくとも、長きにわたる時の流れで自分が擦り切れ、「なりそこない」のような人間臭さを獲得してしまっていることが、彼にはどうしても認められません。真なる人もまた人、感情を持つ人間である以上これは避けられないことなのですが。

闇の使徒たるエメトセルクに生まれてしまった「影」。おそらく心のどこかでは気づいていても、否定するしかなかったのだと想像しています。彼の迷いは、これが望郷でなくてなんなのだという美しき幻影のアーモロート、親友の再現に生じたゆらぎ、それを見てしまった時の驚愕、主人公を化け物、なりそこないと呼びながらも猶予を与え続けるなどの不安定さを感じる行動に強く表れます。

自分のただ一つの望み、そのための画策は邪魔されてばかりで、独りぼっちだ。なのに「あの人」の欠片である主人公は、邪魔の首謀者であるばかりか「なりそこない」の仲間に囲まれて、心から信頼され支えられている。そして自分のことは欠片も覚えてくれてなんかいない。何度エメトセルクは「裏切られた」と感じたことでしょう。終盤の「失望した」という言葉が印象的ですが、そもそも失望は希望なくしてはできないもの。エメトセルクにないものを得て前進し続ける主人公は、彼にとっての最大のシャドウであったに違いありません。

エメトセルクのすべての行動の裏には「私にも未来がほしい」という渇望が感じられました。しかし過去にとらわれている彼には変化のきっかけが与えられず、くすぶる気持ちは大きな影となります。その影は水晶公の存在によってさらに強調されます。水晶公もまた、エメトセルクにとって逃れがたいシャドウのひとつであったと私は思っています。

水晶公自身には己のシャドウと葛藤するシーンが見られません。敢えてネガティブな要素を削って描かれているように思えます。「オレの英雄、光の戦士を必ず救う」というただ一つの目的に向かって、揺らぐことない意識を以って邁進する。それが彼の役割です。水晶公は迷いません。自身のネガティブな要素を誰かに投影して、うじうじしている暇なんてないのです。あるのは主人公への強い憧れ。愛と言ってしまってもいいでしょう。カウンセリングで愛について扱う時、愛とは強弱関係のできる支配や犠牲などではなく、「隣に自分はいられないとしても、それでも好きな人の幸せを願うことができる」気持ちだと学びました。水晶公の主人公への傾倒ぶりはさまざまな場面で確認できますが、とりわけ私が恐れ入ったのはフェイスを伴ってIDに行った時でした。主人公がどのロールで来てもパーティに参加できるようにオールラウンダーになったのかと思うと、その努力に笑っていいのやら泣いていいのやら。ゲーム的な都合だけでない、制作サイドの愛をも感じました。

水晶公は主人公への思いひとつだけで、天才たちの技術を背負い、体を塔の一部と化し、時空を跳躍して主人公を待ち続けました。英雄たる主人公ただ一人のために、いままでの時間、己の未来、そして体すら投じたのです。エメトセルクが水晶公に目をつけたのは、アシエンですら見通すのが難しい、未来の未知の技術を有していたからだけではないでしょう。きっと、憧れを行動に変え実行してしまう馬鹿正直な強さを許しがたい脅威と感じたから。痛くて辛くて、目の前にいることすら許せない、叶わなかった自分の望みが人の形をして存在しているのです。はっきりとは描かれていませんが、エメトセルクは本能的に水晶公を憎んだだろうと思います。そこには「私だって、大切な者のためにこうできたらよかったのに」という無力感が潜んでいます。

そのほか細かなシナリオについては語るまでもないでしょう。互いを認め、結ばれた一つの魂となった主人公とアルバート、水晶公。そして彼方より来たりし稀なるつわものたちの助力。強い光を放つシャドウたちに照らされ、闇の使徒であるエメトセルクは敗北します。人を食ったような態度は仮のもので、彼が非常にまじめな性質であったのはすぐにわかりました。ヒントトークでは常に真実を話し、対決にあたってはあれほどこだわっていた座の名を捨てて真の名を明かし、全力で真正面から挑んで、その結果を受け入れた。どのような気持ちでいたかは想像するしかありません。親友の幻影を見るぐらいに心が摩耗しているのに、長い長い時を画策に費やしたのに、渇望するものは得られなかった。無念であったと思います。穏やかな顔の最期であったのは、そうするしかなかったからでしょう。怒っても泣いても、悔しがっても、決着はついたのだ。戦うことを選択したのは自分。その結果は潔く受け入れる。それが消えゆくエメトセルクに残された、たったひとつの矜持だったはずです。

弱くても、なりそこないでも、辛くても前に進んで幸せになれる。どうしてなんだ、その方法を聞きたい、知りたい、私も楽になりたいと表現できたら結末は違ったのかもしれません。

ねえエメトセルク。こんなにも「厭になる」相手ばかり立ちふさがったのは、あなたが望むものが彼らの中にあったから。長い人生の中で、同胞のためにむしり取って捨ててしまった、本当の願いが「気づいてほしい」と訴えかけていたから。

敵として現れたのだから、敵として戦うしかなかった。彼は本当にまじめです。一度決めたことを取り消せない、損な性格であったようにも思います。


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