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気づかない場所

「身体表現性疼痛」という言葉を初めて
聞いたのは、アロマセラピーのセミナーで
メンタルヘルスケアの授業を受けた時でした。

現在の病名は「身体症状症」といい、検査などで
身体的な疾患が認められないものの、症状が続く
というものだそうです。

抱えきれないストレスが症状となって表れる、
という説があるそうです。

その言葉を聞いた私は、頭の中に、ある出来事を
思い浮かべるのでした。


その痛みは突然やって来ました。
右足付け根のあたりに、いきなり激痛が
走ったのです。

あれ?と思っていたらその激痛は走っただけ
では治まらず、激痛のまま留まるのでした。

まるで足をねじられているかのような痛みで、
立っていても座っても、どうにもならない
日々が続きます。

わずか数メートル先にも歩けない状態で、
左足で自転車を漕ぎ、病院へと向かいました。

痛がる私を見ながら、先生が首をかしげます。

レントゲンはなんの異常もなく、炎症もなく、
「あとはMRI検査ですね。」と言われて
痛み止めと湿布薬をもらう。

ちょっとびっくりする状況に、自分でもネットで
調べてみたのです。そうすると、
血の流れかもしれないという記事を見つけ、
少しの希望を持ち、次にたどりついたのが、
隣りの駅にある、検査の出来る病院でした。

待合室にいる間、痛みでじっと座っていられない
私に、見兼ねた看護師さん達が心配そうに声を
掛けてくれていたことを覚えています。

検査を受け、しばらくして名前を呼ばれて
診察室に入ると、
先生は「ごめんね」と言わんばかりの表情で、
何の異常もなかったことを話してくれました。

また、たくさんの湿布をもらって自転車に乗り、
片足漕ぎで、失意のまま家に帰ることに。

そのまま原因が特定されず、湿布と痛み止めで
過ごし、何週間か経ったある日のこと、
痛みは不意に、消えて無くなったのです。

突然来た痛みは、突然去って行き、私は、
不安と苦悶の日々から解放されたのでした。


自身の体験がその病気と何か関係するのか、
それは全くわかりません。
診断を受けても病名は特定されませんでしたし。

ただ頭の中であの時の体験と、この病気のことが
結びついたのには、理由がありました。

抱えきれない悲しみとなる出来事として、
思いあたることがあったからです。

それは、いつか会えなくなるとわかっていた
友達との、突然の別れでした。
そして、ちょうど1年後の同じ季節に、
その痛みは、やって来たのです。

何事もなく振る舞ううちに、いつのまにか
乗り切れるつもりでいて、気づかない場所
にしまいこんでしまったのだろうか。
そう思った時「ごめんなさい」と、小さく
言葉にしました。


その授業がきっかけで、
なんとなくわかっていたつもりでいた「無意識」
という存在を、あらためて意識したのです。

辛いことに気づかない、辛いと言わないことを、
日常の中で自然と身につけてきたのだとすれば、
自分との対話がおろそかになることも
あるのだろうと思います。

何も考えない時間、目をつぶって深呼吸、
立ち止まってみること、そんな少しの時間を持つ
ことは、難しくても大切なことだと思います。

まだ精油をそれほど知らなかったあの頃、
そこからひとつひとつ、出来事が重なるたび
「精油を身近に」という思いは強くなって
いくのです。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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