IT企業で4年働いて、絶望して、文書きになった私の話
「ごめんなさい、もう無理です。私もう頑張れません」
みっともないと分かっていても溢れる涙を堪えきれない。
社長は黙ってそれを眺めていた。
「2月末で退職させてください」
私は大切な人たちを裏切った。
今でもこの十字架を棄て去る気持ちにはなれない。
***
26歳、初めての転職。
IT企業で営業職を務めて3年。20代後半になった私は「このままでいいのだろうか」とさめざめ泣いた。それもそのはず、進退に悩むほどの大問題があったからだ。
新卒で入った会社は穏やかで居心地が良かったけれど、いわゆる斜陽産業。右肩下がりが止まらない売上に焦りすぎたのか、途中から経営が迷走し始めた。
大好きで尊敬していたWebディレクターが、「他部署の頼れる先輩」から「直属の上司」になるアベコベ人事。その瞬間からすべてが崩壊した。
「お客さまに喜ばれるために、本当に価値のあるものを提供したい」と信念を掲げる私に対して、上司は極端に言えば「簡単に作ってさっさと売って金になるものなら何でもいい」くらいの非情なリアリスト。私の上司になってから、その意外な一面が色濃くなりだした。
私はその思想がどうしても許せなくて、「真にお客様の喜びを考えないサービスなんて無価値です。そんなものは営業職として売れません、売りたくありません」と抵抗したけれど、“権力”の前では全く歯が立たない。今ならもっと説得力のあるデータを集めて徹底抗戦するのだろう。けれども、ビジネス世界の大海をまだ知らない新卒の蛙には荷が重すぎた。
「こんな会社でセールスなんてやりたくない」
打ちひしがれた私はさめざめ泣いた。
***
転職の軸は決まっていた。
「魅力的なサービスに携わりたい」
「スキルの高い営業マンと同じチームで切磋琢磨したい」
「営業マンとして成長してキャリアアップしたい」
「お客様に対して誠実な人たちと共に働きたい」
勤務地や給料よりも貫きたい思いがあった。
そんな私に1通のオファーが舞い込む。
オンライン面談でいきなり社長が出てきたのには驚いたし、ラフな出立ちと若さにもびっくりした。けれどもその目を見れば、その口ぶりを聞けば、芯の通った誠実な人であることはすぐに分かった。自分で言うのも何だけれど私、人を見る目は結構あると思う。
「……ずっと女性の営業マンを採用したかったんだけど、5ヶ月くらい見つからなくて。でも、初めて採用したい人に出会えました」
内定、それは茨の道の始まりだった。
***
それからの日々は、思い出して書くのも苦しい。
スタートアップ企業の実情をよく知らずに入社したのは愚かだった。
上司たちは私のことを苗字にちゃん付けで呼び、親しく歩み寄ってくれた。けれども全く優しい人たちではない。
私がした提案営業のロールプレイングはあまりにもボロボロで、その日社長のTwitterには私への痛烈な批判が書き込まれた。
皆揃って体育会系で鬼軍曹のように恐ろしく、数字を積めない私に発言権はなかった。きつい叱咤が恐ろしくて胃が縮み上がり、休み時間に食べながら仕事しよう、と持ってきたカロリーメイトすら喉を通らない。勤怠には響かなかったものの後日になって栄養失調で倒れた。
毎日残業、帰宅しても持ち帰り仕事。余裕のない朝のタクシー出社。不眠、肋間神経痛、胃痛。いつも胃が気持ち悪くて、仕事中も頻繁に席を立ってトイレでえずいた。
最初に上司となったのは、カッコイイ兄貴分のような先輩。けれども、私の商談録画を見て「クオリティ低すぎ」と真顔で罵る怖い人。後から聞けば彼は女性部下を持つのが初めてで、対応に苦慮していたらしい。初の女性部下がこんなに軟弱者だったのは運が悪かったとしか言いようがないが、申し訳ないことをした。
正直、気質的にも男の部下のほうが合う人だと思った。
そんなギスギスした上下関係を見かねたのか、あるいはシンプルに組織効率化のためなのか、途中で私の上司は交代になった。
次の上司はクールな人。けれどもお客様と話すときはいきいきしていて、かつ肉食獣のようなアグレッシブな営業で圧倒的な数字を積み上げるプロフェッショナル。それでも私の前では優しい表情を見せてくれた。
「〇〇ちゃんはやり方が分かればすごく伸びるタイプだと思うから。頑張って!」とSlackでメッセージをくれた嬉しさは今でも忘れられない。
とはいえ彼も営業の鬼。
「〇〇ちゃん、この数字どういうこと?」「達成プランと稼働考えて。俺に提出して」
無理に決まってる、と風前の灯のようになりながら私はハイと答えるしかなかった。
それでも上司たちは、私に対して「要らん奴」「辞めちまえ」とは一度も言わなかった。
くずポンコツが相手でも毎朝営業ロープレに協力し、終業後にはその日のフィードバックをし、数字進捗が芳しくないときは「これあげるから死ぬ気でテレアポして」と徹夜で作ったアタックリストをくれた。
誰も私を見捨てなかった。
皆、ポテンシャルと成長を信じてくれていた。
***
「CSかマーケに異動させてください」と泣いた。
火曜日に「週末まで耐えられません。心療内科に行かせてください」と懇願して水曜の午前休を貰った。
薬局で出てきたデパスの束を見て、何もかも終わったな、と心が冷めた。
***
もう辞めよう、と思う決定打になった出来事はいくつかある。
その内の1つは適性診断の導入。「採用で使うから既存社員は受けて」と取り組まされたとき、私の採用みたいな失敗をもう繰り返したくないんだな、と心の中で呟いた。
ベンチャー企業らしく「達成」「論理」「ハードワーク」「競争」辺りのスコアの高い社員が大勢を占める中、私の結果はあまりに悲惨だった。
「貢献」「抽象」「感情」「感性」「ワークライフバランス」「平等」「多様性の尊重」「思いやり」「信念」「内向的」「クリエイティブ」「芸術」……
ある日の定期ミーティングで「みんなの診断結果を見る会」が開かれたときも、さすがに皆コメントしづらそうだった。ごめん。正直に答えたらこうなったの!
それに中途採用で入って活躍している社員が、私とほぼ真逆のタイプだったことも身に堪えた。この人たちが評価されるなら私はもう無理だな、とその時点から諦めモードは始まっていた。
***
苦しかった。傷つくことも沢山言われた。
それでも彼らが間違っているとは一度も思わなかった。
彼らは真っ当で、仕事に情熱を注ぐ素晴らしい人間。まさに転職時に望んでいた通りの、“一緒に働きたい人たち”だった。望み通りの会社に入れたのに。なのに。
私は営業職に向いてない。スタートアップ企業で無形商材を売る法人営業なんて一番向いてない。気付くのがあまりにも遅すぎた。
彼らが正しいからこそ、また転職しても意味はないんだろう。逃げ延びた先できっと同じことを繰り返す。だったらもう、辞めようか?
むしろこの世界を——
事実、細々と趣味で続けていたnoteから有償のオファーがいくつか来ていた私は、独立して文章で食べていくことへの可能性と勝算を見出していた。
入社半年。心はぽっきり折れた。
***
「あのさ。本当にいいの?」
退職の意思を告げた数日後、社長は淡々としていた。
「……達成できたじゃん」
そう、達成できた。
2度目の四半期に私はまぐれで達成した。
期末ギリギリまで数字の進捗は最悪、達成は絶望的だと思っていた中——たまたま良い関係のクライアントから大きな紹介受注をいただけた。商談や交渉では上司がかなり手を貸してくれたものの、最終的には私の手柄として転がり込んだのだ。
社長からその言葉を聞いてむしろ清々しかった。この世界では過程がどうであれ結果が大事。まぐれだろうと私は結果を出した。だからこそ、数字でしか見られていない現実を受け入れられた。
「辞めてどうするの。次は決まってるの?」
「はい、転職はしません。フリーランスになって文章を書きます」
「どういうことか分かってる? 簡単な世界ではないし、今よりもっとつらいかもしれないよ」
私は社長の忠告をネガティブには受け取らなかった。心配して厳しい言葉をかけてくれていることに、優しさと愛情を感じた。
「この決断に迷いはありません。たとえ上手くいかなかったとしても、この会社に泣きついて戻ってくることはしません」
今思えばよく言えたものだ。
信じて採用し、育てようとしてくれた会社を私は裏切ったのに。
***
菓子折りを持って最終日の挨拶。お世話になったメンバー全員にメッセージも書いた。
私に退職書類を書かせる上司の凪いだ表情が、優しい目が今も脳裏に焼き付いている。私が同じ立場なら、おそらく部下の顔なんてまともに見られなかっただろう。
「みんな! 〇〇ちゃんが帰るよ」
社長の一声で、フロアにいた全員が仕事の手を止めて起立する。
お世話になりました、と深々頭を下げて去る私を、彼らは姿が見えなくなるまで見送ってくれていた。この光景を決して忘れることはないだろう。だって私は——彼らのそういう生真面目な誠実さとか、義理人情に厚いところが好きだったのだから。
***
宣言通り私はフリーランスとなり、独立した。
文筆家(ライター)のさつま瑠璃と名乗り、事業2期目を終えて3期目に突入した。
正直に言って、私は圧倒的にこっちの方が向いていた。思えば幼少期から1人で何かをすることが好きだったし、ビジネスが嫌いなわけではない。
「仕事は好きなことじゃなくて、できることをやったほうが価値が出る」と社長は仰った。今ならその意味が分かる。私は好きを仕事にしたわけじゃない。文章が書けるから仕事にした、ただそれだけのこと。もっと言えばそれしかできなかった。他にやれることなどなかった。
今でもずっと、仲間を裏切って逃げた自分を恥じている。
今の私の幸せは、犠牲の上に成り立っている。
それでも前に進みますか?
“それでも前に進まなければ、私には何も残らない”
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