すばらしい1年は、相棒となる手帳とともにはじめよう。
今日は、何を書こう。
明日は。明後日は。1週間後には。
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高校生の頃からずっと、紙の手帳を使い続けている。
学校の時間割、部活の予定、アルバイトのお給料日。
時々、日記のように思ったことをメモ書きにする。気になったカフェやファッションブランドの名前を書き残してみる。
後ろのポケットに、旅先の思い出の小さなリーフレットを挟み込む。
そうやって、私の手帳はリアルタイムの営みをそっくり映し取っていた。
手帳を持たない派の知人に「アナログ派なんだね」と言われても、悪い気はしない。それどころか、なぜ手帳なしで大丈夫なの?とむしろ不思議なくらい。
私の生活にはデジタルだって根ざしていて、アプリもキャッシュレスもよく使う。それでも、手帳だけは毎年買ってしまう。
10月の暮れ頃、行くのはだいたい東急ハンズかLOFTの店舗。
手に取って、近くに鏡があれば手帳を持った自分の姿を映してみる。何がどうしてしっくりくるのか、その法則性は大人になってもまだわからない。
運命の相手は見逃さない。この子だ、と確信が持てたらレジへ連れて行く。
——そんな私の2023年の相棒は?
良い機会だと思って、今までのバディにも登場してもらいながら振り返ることにした。
2023年の黄色い子
マークスの手帳「EDiT」は、“書く”という手帳の本質を大切にしているところが素敵。1日1ページ。持て余すかな?と思ったけれど、バーティカルの時間軸に合わせてすらすら書き残せば、意外と埋まる。埋まらなくてもそれはそれで良くて、丁度いい余白が心にクリエイティブの余力を生み出してくれる。
黄色を選んだのは、実は初めて。けれども、色がいいなと思った。よく焼けたサツマイモの美味しそうな、蜜たっぷりの断面みたいに明るい山吹色。置いておくだけでデスク周りが華やぐ。革のような手触りを時々確かめる。
2022年の茶色い子
この手帳で2022年を始めるにあたって、当時のSNSにこんな言葉を残していた。
相棒となったのは可愛らしくモダンなブラウン。今までのメンツの中では最も機能面が充実していたこの子。「仕事を頑張りたい」という思いがそういう部分にも表れたのかな、なんて。
2021のグレージュの子
当時の自分は2020年のことを深く反省していて(この話はまたいつか)、コロナ禍を理由に自粛しなくてもいいことまで足踏みしていた自分を情けなく思っていた。
この写真を撮った年始にはまだ知らない。同じ1月、ついに退職を決意して文筆家の道へ進むことを。私は慎重派な一方、一度スイッチが入って決断したら二度と引き返さない節があるらしい。
2020年のマーブルピンクちゃん
キュートなマーブルピンクの柄は、店頭で一目惚れ。
それまで柄の手帳は買ったことがなかったから、実は意外にチャレンジングな選択。
この頃は自分の「芸術が好き!」という感性に気づき始めていて、身の回りのものも自分らしいテイストでまとめたいこだわりが強く出ていた気がする。
2019年の白い子
鮮やかな色が好きな私が、珍しく白を。
大きさも初めて小さなB6を選んでいる辺り、瀟酒で都会的な何かに憧れていたのかもしれない。
社会人3年目、OLとしてのキャリアに充実感が出てきたせいだろうか。
ハイヒールに小ぶりなブランドバッグ1つ持って丸の内や青山を闊歩する、シティ・レディの理想像が間違いなくあったのだろう。今の自分とはかけ離れていて、なんだか騙されていたような変な気分になる。
2018年のピンクの子
手元に残っている中では最も古い手帳の写真。これ以前にはミント色や赤もあった気がする。
主張の強いホットピンクはなかなか攻めたチョイス。なぜこれにしたのかあまり覚えていないけれど、「絶対にこれがいい」と思って買ったのは確か。
できる限り客観的に見ると、周辺の文房具も含めて高校生時代に好きだったデザインと一致している。高校も大学も終わり、実家を出て自由になり、やっと自分のお金で自己実現できる嬉しさ爆発ゆえの原点回帰なのかもしれない。
——だとしたらちょっと、微笑ましいというより問題が根深い。
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きっと今年も来年も再来年も、私は年末が近くなればまた手帳を探しに行き、記念写真を撮るのだろう。自画像を毎年1枚描くみたいに、「〇〇年の私」を残す。
古い年の手帳は、新年が明けて名残惜しさが薄れたら捨ててしまう。そうやって新陳代謝を図らないと前には進めないし、過去は過去として清算したほうがいい。きっと私はそう。
どうでしょう、黄色くん。
365日連れ添って、薄汚れるまで私の側に居てくれるんでしょう?
直感的に言葉を書ける、あなたが好き。
おやつを恵んでいただけると、心から喜びます。