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よき「他者」でありたい。

娘が1歳の誕生日を迎えた。

今朝、起きた瞬間から娘を抱き上げて、飾り付けした部屋でバースデーソングを歌い、プレゼントを渡す。いつもと少しだけ違う朝にご機嫌の様子だった娘は、登園して1時間が過ぎる頃には熱を出し、保育園でお祝いしてもらう前に帰宅。ふたりで自宅で過ごすことになった。

お熱でいつもよりも甘えん坊の娘を抱っこし、授乳し、腕のなかで寝かしつける。窓からシャボン玉を飛ばしたり、絵本を読んだりもしたけれど、娘は大半、おっぱいを吸いながら、私の腕のなかで眠っていた。

1歳でも食べられるケーキをつくるのもやめちゃって、ふたりでゴロゴロ過ごす誕生日。なんにも特別なことはしていないけれど、なんだかとても特別なことをしているようにも感じる。

今日はお熱で少し弱っているけれど、最近の娘は、じっとしていることがなく、這い這いで家中を動き回るし、ソファや本棚によじ登るし、ひとりでむくっと立ち上がって、今にも歩きそうな勢いだ。私には見えない誰かとよく会話をしているし、おっぱいなんて抱きかかえなくても膝立ちで服を捲ってセルフで飲んでいる。

奇声をあげて主張もするし、食べ物をおでこにくっつけて笑いをとろうとするし、食いしん坊だし、1歳ににして「人格」がある。

産声を上げたちょうど1年前を思えば、赤ん坊から人間にどんどん近づいていて、凄まじい成長ぶりだ。

ちょうど自分の誕生日近くに寄稿したsoarにも書いたけれど、子どもの人生は子どものもので親のものじゃないし、親である私の人生もまた、私のものだと思っている。

当たり前のことだけれど、母である私と娘は別人格で、生まれたその瞬間から別の人生を歩んでいる。そのうえで私は、娘にとってよき「他者」でありたいと思う。

娘が生まれて子育てをするようになって、「人生は、他者だ。」という小説の一節をよく思い出す。

あのひとが居るから、くじけるわけにはいかんのだ、と思える「あのひと」が、誰にとっても必要だ。生きて行くために、想うことの出来る存在が。つくづく思うよ。他者の無いところに人生なんて存在しないんだって。人生は、他者だ。『永い言い訳』西川美和

私にも想うことのできる「あのひと」がいて、娘もそのひとりだ。今は私にとって一番大きな存在の「他者」であることは間違いない。

これから娘が成長して生きていくなかで、「あのひと」を見つけてほしいし、母である私がそのひとりになれたら嬉しい。









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