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mindfulness

見知らぬ誰かが、なんの見返りも期待せず
私にしてくれたことを思い出して感謝する時間。


公衆トイレに並んでいたとき
「その個室には紙がありませんから
使ってください」とポケットティッシュを
渡してくれた女の人


ATMの振込みに戸惑っているとき
「お金が足りないのですか?どうぞ」
と3,000円を手渡して立ち去った男の人


韓国旅行中に立ち寄った焼肉屋さんで
「もう夜遅いから徒歩は危ないですよ」
とタクシーを手配してくれていた店員さん



落とし物を拾ってくれた人
迷っているときに助けてくれた人
場所や品物を譲ってくれた人



素性の分からない誰かからの施しは
みんなが顔見知りの社会ではありえない。

助けてくれた人たちにもう二度と会えない。
直接恩返しをすることができない。

でも、私はどうしても返さなければならない。


だからこそ私たちは人を助けるのかもしれない。
自分が不当に貰ってしまった、
予期せぬ形で受け取ってしまった施しに対する
「責任」を果たすために、
生かされたことへの感謝を示すために、
誰かの力になるのかもしれない。

ティッシュをくれた人は、
ひょっとしたらその前にティッシュを
もらった人かもしれない。

3,000円をくれた人は、ATMで困った時に
誰かがそうしてくれたのかもしれない。


誰かに優しくなれるのは、
優しくされたことをずっと覚えているからだ。

人を助けたいと強く願う人間は、
救われた経験をいつまでも忘れない。

相手を深く愛せるのは
愛される幸せを知っている人だけだ。


自分の心の向かう先は、自分自身で
決めているわけではない。
誰かへの恩や憧れや嫌悪や欺瞞によって
自分の行動は左右されている。

私の好きなものだって
誰かが好きだから好きなだけかもしれない。


つまり私は1人じゃない。
1人ではなにも決められない。
1人では自分が誰かも分からない。

1人では、恩返しもできない。


見知らぬ誰かが、なんの見返りも期待せず
私にしてくれたことを思い出して感謝する時間。


1人の時間
私は1人ではないと感じる時間。



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