見出し画像

幸福とは用意されないこと

暗い部屋で目を瞑っていると、誰かいる気がして目を開ける。

誰もいない。
ただ暗闇の空虚を見つめて思う。
「誰かにいてほしかった。」



魂の質は生きてきた年数に関わらない。
そう気付いてから全ての人を敬うようになった。

生まれてすぐの赤ちゃんの脳には誰も敵わない。
若ければ若いほど価値観はアップデートされやすい。
年齢が上がれば上がるほど流動性知性の恩恵に預かれる。


「私もあなたの生まれた時代に生きたかったです」
ひとまわりも下の少女に言われた。
幼い彼女にそう思わせるものはなんだろう。


子どもを不幸にしようと思ったら
方法は簡単だ。
彼らに全てを用意する。それだけだ。


こんな言葉を以前どこかで読んだ。
全てが手の届く場所にある。
容易に手に入るものに憧れは生じない。
ゆえに熱望もしない。愛着も沸かない。
彼女たちは何かを強く欲することのない世代なのかもしれない。


確かに、私はなにも用意されなかった。
誰もいない時間を知っている。

だから、誰かにいてほしい気持ちが分かる。
誰かがそばにいる幸せを知っている。
誰かに愛されることの素晴らしさを誰よりも強く感じる。


彼女はその気持ちを理解できない。
そのことに苦しんでいる。
用意されすぎた自分を嘆いている。


彼女は用意されたくないのだ。

用意されすぎる時代に生きることを余儀なくされている状況からどうしても抜け出したいのだ。

身体は幼いけれど、彼女は私の何倍も大人だつた。


私たちを幸福にするものは
ひょっとしたら用意されないことかもしれない。

そして、魂の質は年齢に比例しない。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?