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他人を見下すカリスマ達

 youtubeなどで有名になり、熱狂的な信仰の対象となっているカリスマたちがいます。彼らはその有り余る知性と知識でこの世界に跋扈する間違った価値観を滅却し、この世界をより素晴らしいものに作り替えていくことに心血を注いでいるようです。彼らが口を開くときはたいていの場合は自分より愚かな”バカ”達を非難し、自分たちの考えがいかに正しいかを説きます。

 彼らの言っていることはほとんどの場合正しい。(ジョージを除く)。だからこそ有名になっています。けれども彼らが「バカ」を「バカである」というだけで蔑み、非難する姿勢には疑問が残ります。

「頭の良さ」に対する盲目的な信仰


 結局”頭良く”生まれてきたのだって運が良かったからです。美貌や財産と同様に。地頭の良さを自慢するのは、親の金で豪遊してtiktokに投稿する人と本質的に一緒です。
 私だって全国10位以内くらいには入る高校にいますが、それだって運が良かっただけです。それに他校には私達よりももっと人間として優れていて、皆から深く尊敬されている人だって数えきれないほどいます。反対に、私たちの中には頭は良くても他人をリスペクトする習慣がなく、周りから疎まれている人だって沢山います。頭の良さなんてただの運ですし、人としての価値を決める本当にたった一つの要素でしかありません。
 それなのにほとんどの自称覚醒者のインフルエンサーは何故か、自分の頭の良さだけは自分の運ではなく実力で勝ち取ったものだと妄信しています。そしてそれだけが人間の価値だと思っています。それ故にバカな人を見つけると、蔑み、嘲笑い、自分がそんな人たちよりかは頭が良かったという事実に胸を撫で下ろすのです。誰にだってそんなふうに他人より優れている部分はあるに決まっているのに。『「頭の良さ」が人間としての価値を決めるんだ!だから自分は偉いんだ!』そう言って聞きません。
 

 自分がいかに頭のいい人であるかを主張しているならば、自分がいかに他者に与えられるかも理解しているはずです。頭の良い人が、そうでない(と一般的にみなされている)人に対してするべきことは論破ではありません。誰かのツイートを晒していかに彼らが愚かであるかを発信することでもありません。ましてや「ホームレスには税金を使わなくていい」などという戯言をいうことなどではありません。頭の良い人たちが真にすべきことは、彼らに寄り添い、彼らよりも優れていると自負するその頭脳を以て、どんな境遇の人にも生きやすい社会を作ること、そしてより良い弱者への理解を積極的に発信していくことです。類まれなる頭脳を得て為す事が、自分がいかに他人より優れているかの証明だなんて虚しい事この上ないです。

 「私は頭がいい」。もしそう自覚しているならそれはそれで結構です。しかし、それは決して”バカ”を叩く免罪符にはならない。仮に自分より”頭の悪い”人を見つけたとしても、彼らを最大限理解する努力をし(薄っぺらい憐みの情を向けるのではなく)、皆が共生できる未来を考える。それが恵まれた才を与えられた人の役割です。

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