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「空に住む」人が交わることなど無いからこそもがく魂。空に住むことは心に悪影響しか与えない気がする。

私も38階の街を見下ろすオフィスで働いていたことがある。確かに風景は1週間も過ごせば飽きるし、下に降りたくなくなって、行動範囲が減るような気がした。いわゆるカゴの鳥状態になるといっていい。サラリーマンが社畜と呼ばれる社会では、その環境は似合っているとも言える。でも、この経験からも、私はタワーマンションの上の方には住みたいと思わない。空に浮かんで生きることは、無機質でしかない。

青山真治監督の久々の新作。多部未華子主演。タワーマンションの上空と、古い民家の会社と、正反対の環境を行き来する主人公。その中で生きる、それなりに今風の人々。その中で特に変わったことは起きないが、上の世界と下の世界の乖離的なこととか、生と死の世界みたいなものを、少し哲学的に描こうとしている映画だと思う。

正直、面白味には欠ける後味だった。多部未華子は、この役にあっている気はするが、マンションの上で繰り広げられる、芸能人役の岩田剛典との逢瀬はイマイチ理解がし難い。いい男にうまく転がされている感じと、最後にはそれを自分も利用しようとするニュアンスが、うまく話の中に溶け込んでいない。それは、岩田の芝居がうまくないのもあると思う。EXILEの人たちは、一人になると表情的に特に面白味がない気がする。それは、やはり商売が違うからだろう。こういうキャスティングが日本映画をダメにし続ける。

多部未華子がここまでベッドシーンをやるのも珍しいだろう。最後に出てくる彼女の背中には、「お母さん」的な大きさを感じたが、それは、映画には不似合いだった。このシーンいらないだろう。多部未華子は空の上で暮らす人ではない。だから、彼女が主役なのだろうとは思う。多部とは相反的な印象のおばさん役の美村里江は、タワーマンションで暮らす人をなかなかの好演。

とはいえ、そのおじさん夫婦との関わりも、今ひとつ中途半端。やはり、両親が死んだ過去のモノローグみたいなものは必要だったのではないか?多部が「両親の葬式で泣けなかった」という意味合いが観客に訴えてこない気がしたからだ。全体的に主人公の心模様が理解しづらい。

その説明みたいに、飼い猫がマンションで病気になって死んでいくというシーンがあるのだろう。猫を火葬する、永瀬正敏が、「地上では交われない人たちが、星になって交わる」というようなことが言うが、この映画でここが一番印象的だった。結果的に映画で言いたいことが、言葉でこう言う形で溶けていってしまうのは感心できない。

あと、妊娠している岸井ゆきのの言い訳や、赤ん坊が生まれてくるシーンも今一つ溶け込んでこない。これと、本ができることが、ここでの生まれる話なのだ。そこをうまく強調すべきだ。

あと、マンションの上空とは正反対の多部の職場も、「ここを描くことが必要だったのか?」と思わせる感じ。結局、日本の未来はどちらの方向にあるのだろうか?と考えれば、やはり、私的にはこちらのように、人々が地べたで惑いながら物を作る方向だと思うだけに、どうも中途半端。

とにかくも、マンションの上はエンタメとしては面白いが、日常にそれは必要ではないのだ。人は、土の匂いがするようなところで生きるべきだ。そう言う概念は、確認できた映画だった。


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