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「水曜日が消えた」中村倫也がいて成立する映画。もっといろいろ踏み込んで行って欲しかった気はする。

日本テレビと日活の製作、吉野耕平脚本監督、中村倫也主演。人格が7つあって、曜日ごとに変わる青年の物語。よくある、ドッペルゲンガーではなく、24時間ごとに人格が変わるというような状況は、実際はほぼないと思われる。ただ、そのアイデアは面白い。

観終わって、確かに、月曜の自分と土曜の自分は人格的に違うのではないか?と思う人も多いだろう。人間生きていれば、多重人格的なことは経験する。「あの時、なんであんなに怒ったのか?」とか、「あの時、なんであれが面白かったのか?」とかいうのも、人格の振れと言ってもいいのだろう。

このドラマ、曜日を認識するのが、朝のテレビ番組のコーナーや、街に流れる音楽で表現されている。そして、確かに中村倫也は7つの人格で出てくる。そして、さすがという感じで演じ分けている。だから、そういう部分でカオスになる話ではないのが、少し物足りないところだった。

主役は、火曜日の僕である。そして、タイトルの通りに水曜日の僕が消えて、火曜日の僕が水曜日も生きることとなる。そして、今まで知らなかった世界を知りながらも、自分の変調を医者に隠しながら生活する話だ。

そう、いたって普通の流れの中で話が進む。そして、脳神経外科のプロ的な話があまり論じられない。それはいただけない。この事象が嘘であるにしても、いかにもありそうな状況で映画の世界はあって欲しいのだ。だから、途中でカルテの改竄みたいな話が出てくるが、ほぼ必要性はない。

最終的には、二つに分かれた人格、いわゆるドッペルゲンガーの状況の二人が対立することで、ことがエンディングに展開していく。 その描き方に少し難はあるが、理解はできる。

だが、こういう脳を扱った話は、もっと映像も、内容も、主役の脳の中に観客が入っていくようなカオス感が必要な気がするのだ。毎日、どのような彼がいるのかは、だいたいはわかるが、映画の冒頭でちゃんと説明していない。この辺りは、不親切というより、観客へのサービスが足りないし、彼の脳の中に入って、その変調を見ることができれば面白い。

そこを伏線にして、水曜が消える意味みたいな話をもっとサスペンス的に描くことは必要だろう。後、中村が恋をする深川麻衣の描き方も、最初に彼女との水曜日が描かれていないので、よくわからない。そういう映画の構造が面白くないし、観客を引き込む形になっていない。VFXも監督が担当しているなら、もっと不思議なパラレルワールド的なものが交錯していく感じは描けると思うのだが?

とは言え、中村倫也という役者は、ボーッとしているかと思うと、切れ味の良い演技もできる。顔の表情が結構変えられるのは、役者としては強みだろう。そう、一般的にはカメレオン俳優と呼ばれているらしいが、本格的な俳優としてもっと伸びていただきたい気がする。テレビの「美食探偵」もいい味は出しているのだが、ちょっと凡庸。彼がピタリとハマる演出家の登場が待たれる気はする。

後、中村のことを追う元同級生役の石橋菜津美はなかなか地味目だが、印象深かった。これから楽しみな存在だ。

描かれる舞台も狭く、出演者も少ないのは、人格が7つもある割には物足りない。火曜日の僕の話でもいいのだが、そこに、他の6人がみんな絡んでくる感じでもよかったのではないか?

結果的に、監督が何故これを作りたかったのか?人間の生きている意味とか、人格の曖昧さみたいなものを描きたかったのだとは思いますが、もっと、監督の頭脳の中のカオス感が出て欲しかった一作というところですね。

とりあえず、ネタバレしないようには書きましたが、イメージできちゃいますかね…?

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