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「窮鼠はチーズの夢を見る」現代の恋愛論に通じるボーイズラブ映画

「劇場」に続く、今年2本目の行定勲監督作品。水城せとなのコミックの映画化。この手のコミックは読むこともないし、ボーイズラブというものにも興味がない。行定作品でなければ観なかっただろうと思う。結果的には、不安定な恋愛感というか、私自身もよく理解できない現代の人の思いのありかみたいなものを表現した映画だった。それを、よくわかるという人もいれば、全く受け付けないという人もいるだろう。そういう浮遊したままの心持ちを映像に焼き付けることには成功しているし、大倉忠義、成田凌の好演で観終わった後に、誰もがいろいろと考えさせられる映画になっていた。恋愛映画としてはよくできている。

だが、男が男を愛するということ。それも、プラトニックではなく、肉体までも欲しいという感情は私には全くわからない。主人公の大倉も、そういう存在だったわけだが、大学の時から、彼に目をつけていた成田に、浮気を見つかり、「キスさせて」と迫られる。そして、成田に絡む女たちが、特に有名な女優さんでないので、とてもリアルな感じを醸し出している。みんな、普通に綺麗な方々だが、特に強いフェロモンを感じさせないように描かれているのがまた、成田の存在を恋の相手として浮かび出させる。

成田は、実にこの切ない男の役をうまく演じている。いや、ゲイ?いや、一人の人間として、愛することに真面目に向かっている感じは、人間が人間に恋するという意味の原点へと、映画を観るものを連れていく。

そんな成田に調教されるように、人の触感というものに翻弄されていく大倉は、どちらかというと世の中に流されていく感じ。仕事ではそこそこの自信、そして男としても自信を持って生きてきたのだろうと思う。だが、成田との再会で価値観が変わっていく。こういう話は、いわゆるSM映画などではよくある。そして、それらは人なんて、興奮してナンボという感じの結論が多い。それが人の弱さ?

ここでも、キスから始まり、オーラルSEX、そして男同士のそれにまで至り、映像としてもそれを表現する。それが必要なのかどうかと言われれば、この映画では必要だ。そこに愛の深淵があるという表現だからだ。初めて抱き合う前に女との行為ができないというシーンがある。そう、興奮しないものは愛ではない。だから、肉体が絡み合う姿は必要なのだろう。行定監督は、彼の映像表現として綺麗に全てを捉えている。

だが、この映画のテーマはそこではない。あくまでも、大倉の心の乱れだ。そして、そこに付き合うことなく一途な成田の心である。成田は、あくまでも美しく描かれる。だからこそ、ラストシーンは美しく見える。

個人的には、男と男がキスする世界は理解不能である。でも、ここに描かれる恋愛論は、そんなところを超越している。あくまでも、不安定なまま映画は終わるが、それが行定勲の答えだろう。そう、その不安定さをうまく映画の中に封じ込めたということが言いたかったように思えるのだ。

最後の海のシーンで成田が言う。「心底惚れるって、全てにおいてその人だけ例外になってしまう。」それが恋というものですね、確かに。


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