『私』と私と四畳半神話大系。

何を 隠そう 四畳半神話大系こそ 私の進路を決め 大学四年間とそこからの私の人生を決定付けた一冊である。

四畳半神話大系に初めてであったのは忘れもしない、高校一年生のときであった。
ぼんやり進路を決めねばならず、坂本龍馬に心惹かれていた私は、高知か京都か、果ては神戸か長崎か、そんなことを考えていた。

おそらくこの機会を逃したら私は一生地元に囚われ続ける。

漠然とした不安の最中にいた私に友人がさしのべたのが四畳半神話大系であった。

京都を舞台に絵にかいたような自堕落なキャンパスライフを送り、共犯者ともいえる悪友「小津」とめくるめく愛憎劇を繰り広げ自分にあったかもしれない無限の可能性と薔薇色のキャンパスライフを求めて四畳半をめぐる一人の男「私」。

うらやましい!
私もこんなキャンパスライフを送りたい!
そう思わせるには十分な本である。
かくして私の進路は決まった。

そうだ、京都いこう。

桜が咲くまで恋もゲームもマンガも我慢だと受験勉強に励んだはいいが結局我慢できたのは恋のみであった。(縁がなかったともいう。)

しかし、運命の女神が微笑み桜は咲いた。
京都でのキャンパスライフがはじまったのである。「私」に憧れた私は京都大学の時計塔に感動し、熊野寮に潜り込み、「私」のキャンパスライフの残り香を味わおうとした。

奇妙な縁は繋がるもので森見登美彦氏の描くキャンパスライフに憧れ京都に来た人間は意外と多く、光に集まる蛾のごとく鴨川で七輪を囲んだり熊野寮祭に参加し、誰のものともわからない鍋に箸を突っ込んだりチョップで作るチョップドサラダを見物したり「なぜ教授は単位をくれないのか」という不平不満が連なったビラをもらったりと、まさに 「私」の過ごしたキャンパスライフを味わった。
人に向けて花火を打ち込んだりはしないが夜が明けるまでカラオケボックスに入り浸り徹夜したふらふらの足とガラガラの声で登山する友人ができた。

がしかし、大学四年生になって読み返してみると「私」はなるほど、私である。

こんなにも文字に起こせば楽しかった記憶があるのにもし、を求めてしまう。あるいは?いや、もっと!より良い四年間があったのでは、と真っ白な卒論を前に狼狽える。
あわててキャンパスライフの残り香を胸一杯に吸い込もうとする。
もしもを求め、万年床で思考を巡らせる。

四畳半神話大系の主人公に名前はない。
これは「私」の記録であり、あなたの記録でもある。

あったかもしれない四年間、あるいは自分の身に降りかかった四年間。
ファンタジーに分類されるであろう本書はファンタジーというにはあまりにもリアルだ。

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