コロナウイルスの休館は終わったけど、競技生活を振り返ってみる。Part.4

 こんにちは。まるです。コロナウイルスで働いている施設は休館解除になったんですが、せっかくなので、引き続き競技生活を振り返ろうと思います。前回は、中学1年生の時のトラックシーズンまでのことを書いていましたが、今回は駅伝シーズンのことを途中まで、振り返ろうと思います。

 さて、この時には、すでに「勝つのが当たり前」というような雰囲気が出来上がっていました。「負けたらだめだ」という気持ちもありました。外部コーチからは、「格下相手に勝たせたらだめ、いいイメージを与えたらだめ。」というのを言われていました。確かにそうだなって思う気持ちもあるんですけど、それを考えるには少し時期が早かったんじゃないかなと思います。でも、大会新を出したり、たくさん賞状をもらったり、走ること、勝つことがすごく楽しかったです。でも、本当に何も考えずに走っていました。今後のこととか、どこまで陸上を続けるのかとか。もちろん中学生のうちから、そこまで考えられるわけではないと思いますが、それでも考える練習をした方がいいと思います。結果的にどうするのかを決めるのは自分です。誰かに決めてもらうことはできなくなるし、しない方がいいと思います。決断をしなくちゃいけないときに、後悔なくできるように自分のことを見つめる時間を作ってほしいと思います。そして、指導者の皆さんはそういう時間を確保してあげること、そして自分の意見を押し付けないことようにしてほしいなぁと思います。

 トラックシーズンが終わり、苦手な長い距離の練習の時間がやってきました。当時は、少数精鋭というか、部活自体の人数は少ないんですが、速い選手が揃っているような状況で、強い先輩たちと駅伝を頑張るという気持ちで、嫌いなペース走やビルドアップをした記憶があります。ペースを作るのはとても下手くそでしたが…。1000mのインターバルだけはどうしても苦手意識が払拭できず、そのメニューの日には足が痛くなるという素晴らしい体を持っていました(笑)また、故障しやすい体でもあったため、なかなか練習を積むということにおいて、コーチの思い通りにいかなかったかもしれません。私にとっては、この都合いい身体のおかげで、12年間も陸上を続けることができたのかなぁと思っています。ただ、好きな練習の時には、すこぶる調子がいい、というめんどくさいタイプだったなぁと思います。自分が指導するならすごく嫌なタイプです(笑)


 駅伝に関しては、郡の駅伝大会を完全な形(全員が区間賞)で優勝することができ、県の大会も、郡のメンバーと同じ3年生2人、2年生2人、1年生1人の5人で臨むことになりました。先輩たちは、全国大会に常連で行くようなものすごく速い人たちばかりで、本当に先輩におんぶにだっこ状態でした。距離も2キロと短い3区。県大会のコースは、1キロの折り返し、平坦というものすごくいいコースで(笑)先輩方がすごすぎて、その流れに乗って走らせてもらったような感じでした。きつかったけど、1位で襷をもらった時には、後ろに追いつかれないか不安で、ただただ必死に前に進むという…。そして、当日か前日に生理がきて、黒いスパッツの上にオレンジのランパンで走るという…。なぜ…(笑)さらに、襷を入れるときに、ひもが出てしまっていてそのまま気づかずに走るという。TV放送見て、すごく恥ずかしかった。結果的には、6‘33で区間賞をとることができ、チームとしても優勝することができました。満足のいくレースだったと思います。

 九州駅伝では、初めて2区を任され、どきどき。結果は、がちがちで全く走れませんでした。1区で、先輩から同じくらいで襷をもらったのに、私でだいぶ離されるという…。私のせいで負けたような感じでした。結局チーム的には2位だったのかな。(はっきり順位覚えてない)正直、悔しいというよりも何で走れなかったのか全くわからないような感じで、「あれ?今までどうやって走ってたっけ?」という感じでした。もう、あんまり覚えていませんが、当時はすごくしんどかった気がします。元々メンタルが強い方ではなく、でもプライド?みたいなものがあって、周りにそれを見せるのが嫌で…。本当は、すごく緊張しているのに、そんな素振りは見せないように努力していました。まぁ、今となってはどっちがいいか正直わかりませんが、弱さをきちんと受け止めてもらえるような場所があった方が良かったのかなって思います。弱さを認めてもらった上で、その背中をしっかり押してくれるような。私は、そんな指導ができたらいいなぁと思います。

 今回は、ここまで。また続きは次回。読んでいただき、ありがとうございました。