現代版・芭蕉の旅(122~128日目)

芭蕉の石川県内の旅は、今週も続いている。先週の記事でも触れたが、8月1日から4日までは山中温泉に滞在し、5日と6日は、小松市に戻って連泊した。

そして、今日は、小松市から大聖寺(だいしょうじ)町に移動した。大聖寺町は、今は加賀市に統合されて存在しないが、江戸時代の初期までは大聖寺藩があったくらいであり、城下町として栄えた。

もとは、加賀藩の前田家の所領であったが、3代藩主の前田利常が、自身の息子(三男)である利治(としはる)に分封(所領を一部譲ること)を行い、利治は、大聖寺藩の初代藩主となった(1639年)。

1615年の大坂の陣で、徳川家康は豊臣家を滅ぼしたが、その直後に、一国一城令が出された。

これは、全国の大名に居城以外の城を持つことを禁じたものであるが、南北朝時代からずっとあった大聖寺城も、同年に廃城となった。

したがって、利治は藩主となったものの城は存在せず、もちろん、芭蕉が1689年に訪れたときも城はなかった。ただ、藩庁として陣屋が置かれ、そこで藩政が行われた。

ちなみに、前田利治は、1660年に43才で亡くなっている。ただ、彼は茶道を好み、彼のおかげで、九谷焼の生産につながったのは、歴史的事実である。

芭蕉は、現地でもてなしを受けたときに、九谷焼の器で、茶を出されただろうか。

今度、大聖寺を訪れる機会があったときは、九谷焼の茶器セットを買ってみるのもいいかもしれない。




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