人生のフィナーレの飾り方【第2楽章】

人の一生を、植物の一生になぞらえるなら、「最後は枯れておしまい」という見方になってしまう。

もちろん、老いがきて衰弱し、息絶えたら火葬されるのは、誰にでも訪れる結末である。

それを誰もが知っているから、人は死期を悟ったとき、残された時間をどう生きるかという判断を迫られることになる。

突然のガン告知により、残された時間があまりにも短すぎる現実に直面し、恐れおののく人もいる。

だからこそ、体が元気なうちに、自分の最後をどう飾るかということを考える必要がある。

思えば、子どもの頃というのは、ピョンピョン跳んだりはねたり、無邪気に振る舞っていたなあと誰もがそう振り返ることだろう。

それは、人生の扉を開けたばかりの初々しい気持ちと、輝く未来への期待感の表れであろう。

例えるならば、シューベルトの「ます」(ピアノ五重奏・第4楽章)のイメージが近いだろうか。

人生の幼少期、第2楽章ここにあり。




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