法の下に生きる人間〈第85日〉

遺言書は、法的拘束力があり、民法の条文に従って作成された遺言書の内容は、相続にも大きな影響を与える。

一方で、近年、話題になっているエンディングノートは、遺言書のように法的拘束力がない。

だから、エンディングノートに相続に関することを書くと、正式な遺言書と認められない可能性がある。

ただし、エンディングノートの体裁が、遺言の内容を民法の条文に従って書いたもの(例えば、自筆で記してあり、遺言者自身の署名と押印があるもの)であれば、遺言者の死後に誰も開封せずに家庭裁判所に届けることで、遺言書として認められる可能性はある。

ただ、エンディングノートが、生前に親族の誰かが内容を確認できるような状況で保管されていたとしたら、それは遺言書とはいえないだろう。

だから、もしそういったリスクを回避したければ、もう1冊のエンディングノートを作っておき、これが正真正銘の遺言書だということを民法に照らし合わせても断定できるように、厳重管理しておけばよい。

もう1冊のエンディングノートの場合は、文言等を若干違ったものにしておくか、死ぬまでは親族に知られたくないことを追記しておくとよい。

とはいえ、相続に関すること以外にも、死ぬ前に(あるいは、自分が正常な意思疎通ができなくなってしまう前に)いろいろとお願いしておきたいことはあるだろう。

そういうことは、やはり正常な判断力があるうちに、エンディングノートに書き留めておき、例えば、不慮の事故で会話ができない状態になったとしても、エンディングノートの所在さえ親族に知っておいてもらっていれば、自分が困ることはない。

繰り返すが、エンディングノートに法的拘束力がなければ、親族は書いた内容に従う必要はないわけで、もし誤解をされてしまう可能性がある場合は、補足的な説明をふだんの会話でもしておくとか、より詳細な記述をエンディングノートに盛り込んでおけば安心である。

さて、次回は2月26日になるが、今週の記事で繰り返し登場した「親族」に焦点を当てよう。

親族は、自分の親兄弟や子どもだけではない。

結婚したら、配偶者の親兄弟や連れ子も関わってくる。

結婚して子どもをつくること、子どもをつくらずとも籍を入れることは、独身者以上にいろいろと法律の縛りを受けることになる。

そういったことを踏まえた上で、私たちは自分の生き方について、本当にこれで良いのか考える必要があるだろう。

周りが結婚したから自分も乗り遅れたくないとか焦って婚活を始めようとする人がいるが、そもそもそういう焦りから自分の目的を達成したところで、必ずしも幸せが待っているとは限らない。

お互い独身のままで、あるときは自分の時間を過ごし、あるときは二人の時間を一緒に過ごすという人生でも、双方の価値観が一致していれば何も問題はない。

子育ては生き甲斐になるとは思うが、人によっては重い十字架を背負うような感じにもなる。

自分に覚悟があるか、そして、一生懸命子どもに向き合えるのか自問自答して、なるべくしがらみのない生き方が選択できれば、それが一番納得できるのではないだろうか。

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