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シュライン#20. 倭(しどり)神社/【滋賀里】

倭姫王(やまとひめのおおきみ)は、ちょうど卑弥呼や瀬織津姫などを追いかけていくとたどり着いていく、秘密の多い皇后さま。
天智天皇の妻であり、万葉集の歌人、額田王(ぬかたのおおきみ)と、同一人物視する説もあり。わたしはまだ彼女を掘り下げれてはいない。

倭姫王(やまとひめのおおきみ、生没年不詳)
飛鳥時代の皇族。舒明天皇の第一皇子・古人大兄皇子の娘。母は未詳。
天智天皇の皇后。子女は無し。大化元年9月12日(645年10月7日)、
父・古人大兄皇子が謀叛の疑いで中大兄皇子(後の天智天皇)に攻め殺される。天智天皇7年2月23日(668年4月10日)、中大兄皇子が大王に即位したことにより大后となる。
天智天皇が病に倒れた際、大海人皇子(後の天武天皇)は「倭姫王が即位し、大友皇子が太政大臣として摂政を執るべき」むね進言した。また、天智天皇崩御後に倭姫王の即位または称制があったとする説もある。
天智天皇の危篤・崩御の際に詠んだ歌4首が『万葉集』に収められている。

天智天皇(兄)と天武天皇(弟)は兄弟で、歴史上、天智天皇の妻が倭姫王。額田王(ぬかたのおおきみ)は天武天皇の后であって別人。

額田王、こちらも全然まだ掘り下げられていない姫ですが、
この方は大海人皇子(のちの天武天皇)の寵愛をうけ子を産みましたが、そののち、彼の兄である天智天皇(中大兄皇子)の寵愛を受け、
天智天皇は額田王ひとりをもらいうける代わりに4人の妃を天武天皇に送っています。そのうちの一人があの持統天皇です。

壬申の乱。瀬田の唐橋で大決戦となったこの大きな戦いを取り巻く謎、物語、その中にこの「倭姫王と額田王は同じ人物ではないか」という解釈が生まれています。わたしは生まれも育ちも滋賀県。「皇子山」という地名も言葉もとても親しんで育てられ、バスケ部ではちょっちゅう「皇中(おうちゅう/皇子山中学校)」と練習試合をして皇子山へ出かけていたものですが、
実はこの場所こそ、兄弟の骨肉の争いに巻き込まれて亡くなった若き皇子、
大友皇子が眠る場所である。かつて近江の人は、若くして失われたこの命を悼んで、その場所に丘を作りました。

さてはて。実はこの「倭(しどり)神社」に来たのは全くの偶然でした。
本当の目的はこの滋賀里に新しくできた小劇場へご挨拶。
小屋付が親しい制作さんなので、お土産を持って訪れる。
石山駅から京阪へ。久しぶりに母校、石山高校の制服を眺めながら電車に揺られる。

(なんと雨が降ってきたのだ、全くもう!)

京阪の中で、そういえば、去年の9月にまわりきれなかった神社がこの界隈になかったっけ?と検索してみる。去年の8月、手塚治虫の遺作が、
「火の鳥」のー太陽編ーであることを知り、太陽編とは近江を舞台に繰り広げられる壬申の乱と狗族(くぞく)の物語であることを知り、火の鳥をめぐる旅を10月頭に母と行った。その時に行きそびれた神社が滋賀里の近くにあったはずなのである。しかし思い出せない上、じぶんも明日に新しい図書館での講演会を控えているというところ、あまりどこかへ積極的に寄るという時間もないので「滋賀里劇場」の1番近くにある神社を、劇場の産土神として参拝しようと考える。そうやって見つけたのが、
奇しくもこの倭神社であった。

(ちなみにこちらが滋賀里劇場でございます☆)
まずは駅から直接劇場へ。ご挨拶など済ませてから、帰り道に少し立ち寄ることにする。

駅から劇場に向かう一本道の、劇場より少し手前の角を曲がると、
その神社は現れる。

正面。見てわかるように、こぢんまりした、ささやかな神社です。
(樹齢400年のケヤキが有名みたい)
この時はわたしも忙しかったので「祭神が天智天皇の后? 」とちんぷんかんぷんな感じ。

倭姫という名前はこれより少し前にも出てくるのですがそれこそ全くの別人で、時代も38代天智天皇から第11代垂仁天皇の時代まで遡る。
この倭姫は巫女で垂仁天皇の4皇女でもあり、天照大御神(アマテラス)を現在の場所に祀ったとされる。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に剣を与えたと言われる姫であるが、その倭姫命(やまとひめのみこと)とこの倭姫王(やまとひめのおおきみ)は似ているが全くの別人。
別人というか前者は、ほぼ神話の登場人物。

さて、時代を進めて、38代天智天皇の妃の倭姫に戻ります。
これは鳥居をちょっとハスに構えて撮った写真。確かにそう言われて見ると、古墳かもしれない。

しかしなんで「倭(しどり)」って読むのかな?調べてわかったらまた加筆しておきます。現在わかっているのはこんな感じ。

今はいろいろわかりながら書いているけれどこの時、この場所のこと、倭姫のこと何も知らなかったので、ただただ滋賀里劇場をよろしくお願いしますということと、今年から滋賀のために頑張ります、以後おみしりおきを、とご挨拶だけをして、その場を離れた。

何か面白いことしたいなあと思ったら、おみくじがあるので振ってみる。
「二十番」が出てきた。ところが、それに相対する、みくじがない。笑。
あらら。

こういうのはもうシンクロがすべて。携帯で適当に調べてTOPに出てくる解説を採用すると決める。出てきたよ二十番。

ワオ!笑。わたしとにかく倭姫に、嫌われはしなかったみたい?
かな?笑。「少しでも我儘の気を起こして色や酒に溺れるな」
この言葉が胸に刺さります。まさにそのタイプです、色や、酒に、溺れてしまうタイプなのです。よくお分かりで!!!笑
実のところ、この2日前に久しぶりに地元の友人と会って飲みすぎて、帰宅が朝の4じ、次の日ひどい二日酔いになって夕方まで潰してしまった反省があったので(余計身につまされるわ!!)
しかし本番の前日に大吉は嬉しい。

駅の椅子。クッションすごく可愛いね。”滋賀里病院地域貢献クラブ” の皆様の寄贈のようです。手作りだねきっと。

写真だけ先に載せてしまいましたが(数枚まえ)パンチの効いたたばこ店が駅前にありました。

本当に用事のついでにふと立ち寄ってみただけの神社だったけれど、
ここに倭姫王が眠っていたのだな。自身に子はなかったけれど、大友皇子の即位に伴い大后さまになられた。壬申の乱という混沌を生き抜いた血の繋がらぬ親子よ、安らかに眠りたまえ。

滋賀県にはいたるところにこのような小さな川があります。ベネチアのようにとは言わんが、水路が張り巡らされた街なのです。
昔、香港で育った帰国子女の友人が遊びに来た時「ねえどうして道路なのに川があるの?」と訊かれてその質問の意味さえ理解できなかったことを思い出します。一昨年香港に行ってよくわかりました。
「ねえ、どうして香港には、道の合間に川がないの?」

それではla la la ♪ la la la シュライン☆


嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ