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サンタさんがプレゼントできないもの

この記事は友人であるりょっちに誘われてCoaching Advent Calendar 2021のために寄稿した記事です。

茶色の煙突に雪が積もる。
これではサンタもさぞかし侵入に苦労するだろうと余計なことを考える。

サンタは偉大だ。値段のつくものなら子供が望めば喜んで運んでくる。
彼らがプレゼントできないものは何だろう?
それは「愛」や「友情」、「幸福」だ。
こうしたあげられぬものにこそ、人生における真の満足があるというのに。

コーチングは、サンタでさえ簡単には得難いものを得るための支援をする。
だからこそコーチの役割は重大なのだ。
くれぐれも半端な気持ちで取り組んではならない。

コーチに最も必要なものはスキルだと思っている者がいる。
そして、日々新しい知識や手法を得ることに満足する。
その結果、肝心の姿勢が伴っていないコーチは多い。

いくら多くの知識やスキルを持ち合わせているとはいえ、相手があなたの話を聞く理由は何だろうか?
熟練したコーチは、自然と耳を傾かせ、言うことを聞きたくなるような姿勢を持ち合わせている。

思うに、コーチは次の3つのことは片時も忘れてはならない。
・誤魔化しで生きてはいけない
・語られないことに耳を傾ける
・和の心を軽んじない

誤魔化しで生きてはいけない

コーチを名乗るのであれば、決して誤魔化しで生きてはならない。
例えば、自分を本来以上に大きく見せたり、醜さを覆い隠そうとしたりしてはならない。

他にも、おべっかで承認の言葉を並べたり、本音で向き合わないこともご法度だ。
コーチングの時だけではない。普段からその意識を持っておくべきなのだ。
日々の姿勢は、必ずコーチングの成果に関わってくる。

考えてみてほしい。
コーチが真実の姿を見せることなしに、相手が真実を語ることなどあるだろうか。
銭湯で裸になれるのは、周囲も裸だからだ。

自らが真実に正直であろうとする気迫なしに、相手があなたを信頼することなどありえない。
生半可な姿勢では必ず気付かれる。

誤魔化さないことには覚悟が求められる。
覚悟とは、人生を喜びで満たすために、伴う苦痛を引き受けることだ。

目の前の相手が向き合わざるを得ない真実が、必ずしも美しいものであるとは限らない。
むしろ、隠された真実ほど受け入れ難いものだ。見ることさえ辛いかもしれない。

だからこそコーチは、恐怖に震える相手に寄り添って「私もいますから、一緒に見てみましょう」と肩を抱いてあげる必要があるのだ。
そうして初めて、相手は真実と向き合うことができ、結果として今まで見えなかったものが見えてくる。
真実には大きな力がある。

まず自らが真実に向き合う勇気を持つことだ。
特に弱みは、一般的に醜いものと扱われる。
だから多くの者が無視したり、隠したり、否定したりする。

人は誰でも自分を大きく見せたがる。
ひ弱な身体を隠すために、立派な肩書きや実績といった、大きな鎧でカモフラージュする。

自分が自分の鎧に騙されているうちは、他人の鎧にも騙される。
人を見る目を養うとは、それを見極められることだ。

まず自分の鎧を手放すことだ。
真実に気付くためには、自分が経験しなければならない。
優れたコーチは、弱さを自覚し、それでも向き合おうとする人間らしさを兼ね備えている。


語られないことに耳を傾ける

コーチは語られることに耳を傾けながらも、語られていないことに意識を向けなければならない。
語られることが直接解決に結びつくことはほとんどないからだ。

自らが陥っている状況について相手が詳細に述べられるのなら、何故その問題は解決していないのだろうか。
人は誰しも自分の世界観の中で問題を眺め、説明するのだ。
ゆえに語られないことの方が重要なのだ。

言葉にすることは、感じ取ることよりもずっと少ない。
日々受け取る様々な情報や感情は、ごく一部しか言葉にして伝えることが出来ない。

それゆえ、コーチは言語情報以外から多くを感じ取らなければならない。
表情や、一挙手一投足から発せられるメッセージを受け取らなければならないのだ。

普段の姿勢から、自らの感覚に敏感でなければならない。
コーチでありながら、自身の身体から発するシグナルに鈍感なものもいる。

そういう者はたいてい、必要以上にお酒を飲んだり、整頓されていない部屋に住んでいたり、ネットで過剰に刺激ばかり求めていたりする。
自分に何が起きているのかをつぶさに感じ取ることが出来なければ、周囲のシグナルに気付くことなどできようはずもない。

繊細さを得るには、繊細なものを摂取するようにするべきだ。
ジャンクフードよりも日本食を好んで味わえるのと同じように、激しい体験より静かな体験に喜びを見出すことだ。

同様に、言語化する能力を高めるのも欠かせない。
感じ取ったものを言葉にするためには訓練がいる。
例えば、日々感じていることを日記やブログにまとめるのも良いだろう。

文章として書き上げるためには、その何十倍もの材料となる言葉が必要だ。
よく本を読み人と話し、繊細なボキャブラリーや論理を増やすことを怠ってはならない。

語りえないものを読み取る力を養いたければ、まず目を見ればいい。
「目は口ほどにものをいう」という言葉通り、人の心は目に現れる。

優秀なコーチは、目を見ただけで相手の人柄や今何をしているかまで読み取ることができる。
本人が口から語ること以上に雄弁にその人物のことを教えてくれるだろう。


和の心を軽んじない

何かしらのスキルを持つ者は、その価値に対して確信的な自負を持ちながらも、同時に常に批判的な目で捉えることが、最も健全な姿勢だと思う。

コーチングに対しても同様だ。
それは人の意識や行動、果ては人生まで変える強大な力を持つ。
一方で、このままではいけないと批判的に考えるのだ。

アメリカでは下火になりつつあった「自己啓発」ムーブメントの流れを汲んで生まれたのが今のコーチングだ。
そこには人間の無限の可能性を信じ、それが発揮できない障害を取り除くという思想が中心の土台にある。

僕が最初に触れたコーチングは、主に目標達成コーチングと言われた。
個人や会社が高い目標を立て固定概念を外すことで圧倒的な成長を遂げる手法のものだった。

もう一つの系譜には受容型コーチングがある。
ありのままを認め、自己の存在意義を再認識するもので、手法自体はカウンセリングに近い。

上記の2つがコーチングの主流だ。
その背景には、ありのままを受け入れるか、そうでなければ自分で環境を変えろ、というメッセージがある。

しかし、ふと現実に目を向けると、そうした自己責任論が生み出してきたのは、優生思想的な発想や、エリート層と貧困層の分断、政府や地方行政への無関心ではないだろうか。

行き過ぎた個人主義は、格差の拡大を容認するだろうし、社会における市民の役割と責任を軽視させる。
そして、「自分さえ良ければいい」という自己中心的な考えに陥る。

東洋の発想は違う。
自分とは、単一の肉体を持つと同時に、周囲と調和している存在だと考える。
世界の存在なくして、自らは存在できない。

いまだ天皇を敬うのも、先祖のお墓参りをするのも、日本人が大きなところで繋がっていることを感じるからだ。
日本人なら誰もがことごとくこうした和の心を持ち合わせている。

であれば、当然、行われるコーチングも、チューニングしなければならない。
西洋式をそのまま取り入れるから、バグが発生しているのだ。

まずは和の心を自覚しなければならない。
仮にも日本でコーチをするなら、日本の心についてきちんと学ぶべきだ。
そして、その思想をコーチングに取り入れていかなければならない。

そうすれば少なくとも、今のコーチングの大きな欠陥に気がつくはずだ。
そうして初めて真のコーチに近づくことが出来るのである。



社会に流布する技術的な学習に満足して、コーチングを分かった気になっている者がとても多い。
全く未熟であると言わざるを得ない。

もしこれを読む人が僅かでも「何も分かっていなかった」と思って、新たに研鑽の道に進んでくれるなら、僕のプレゼントも少しは役に立ったと言えるだろう。

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