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エゴを子供のように

パソコンを目の前に手が止まる。
頭の中でいつもうるさい思考は、この時だけは静まり返る。

「これを書いても無駄だ。こんなの誰が見てくれるんだ」

「いや、誰かのためではなく、自分が書きたいから書いているんだ」

「それなら早く書けばいいじゃないか。何をそんなに考えることがあるんだ」

よし、それでは書いてみよう。

自分の頭の中にはあらゆる自分が存在している。
・自分の欲求を満たしたいエゴ
・自分の理想に近づきたいエゴ
・人より高いところにいたい、劣等感を抱いたエゴ

自分の頭には、このようなエゴがいる。
そこで判断すると、それはエゴの決定に従うことになる。

エゴはエゴ自身を自分の中に存続させることのために存在しているが、それ自体は本当の自分自身の望みとは合致しない。

エゴはこれまで慣れ親しんだルールを好み、そこから逸脱しないように自分の行動を制御しようとする。

それでは、物事を判断するとき、何を基準にすればいいのか。

まず、頭の声を消すことはできるだろうか?
エゴは死ぬことはない。
しかし、エゴを服従させることは可能だ。

エゴを服従させるには、声が聞こえてきても、それをエゴだと認識し完全に無視をすることだ。

「お前は私ではない」
と力強く宣言することだ。

エゴを基準とするのではなく、自分の心がわくわくすることを基準に物事を選び続けていけば、エゴはあきらめる。
そうなれば、エゴの声が聞こえてきたとしても、自分の行動を支配する力はない。そこで、エゴは静かな子供になる。

しかし、多くの人は結局、自分の頭の声(エゴ)に従う。
それは自身が「一般常識」と呼ばれるものに大きな権威を与えているからだ。

なぜか、それは生まれてから長い間慣れ親しんだゆりかごのようなものだから。

しかし、本当に自由にこの世界を生きていくためには、慣れ親しんだところから飛び立たなければいけない。

多くの人は、見た目的に独立しているようにみえるが、内側では様々なルールに自分の道を決められている。
良いことと悪いことを教えられ、自分自身は良いほうへいなければいけない。
まるで自分自身に悪いところが一切ないように、悪を糾弾しなければいけない。

そんなように教えられる。当然周りの人間も同じような教育を受けている。
こどものころの些細な疑問は打ち消されてしまう。

しかし、これまで本当の意味で自由に生きてこれなかったことに気づいたとき、人生が再び動き出す。

ここからが本当の人生だ。
人生とは、自分で作っていくものだ。
自分がいいと思ったことを、貫く。
外側の常識や他人、人間関係などいったん忘れてしまおう。

こどものころの夢や純粋な気持ちは、決して失われていなかったことに気づく。

これまでの人生でため込んできた常識やルールによって埋もれていただけなのだ。
それらを全部取っ払ったとき、人生が輝きだす。

誤解を恐れずに言おう。
やってはいけないことなどない。

やらなくてはいけないことなどない。

外側に見えるものは、結局自分自身の内側にすべてある。

自分がこの世界を創造しているプレイヤーだとして、さあ、なにをしよう。
ルールは、自分で決める。

エゴは、これまで自分を守ってきた鎧のようなもの。
しかし、自分の本当の生き方を模索すると必ず、抵抗してくる。

人は二度生まれる。

それはこの世に生まれ出る時と、エゴから自由になった時だ。

エゴから自由になるときには、

「これまで守ってくれてありがとう」
といってあげよう。

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