見出し画像

その時はその時だ

ロックダウン下のインドに残留

3月23日からデリーが、次いで25日からインド全土がロックダウンに入り、駐在日本人の多くは、しばらく様子を見ていたと思う。ロックダウンが延長し、事態が長引く様子をみて、避難便で日本に帰国することに決めたという家族も多いかもしれない。感染の拡大ということもそうだけれど、おそらくいざというときの医療体制が日本の方が安心できる、というのが大きな理由なのだろう。

WHO勤務の夫がいる我が家は最初から帰国という選択肢はあまり考えていなかった。夫が今インドにとどまって仕事することの重要性ももちろんだが、帰っても日本に家があるわけでもなく、かといってこの状況下で実家に身を寄せるのも気が引けるし、我が家の場合は帰国することの負担のほうが大きいと見込んでいたからだ。

それでも3月末、夫の雇用主のボスから電話がかかってきたことがあった。我が家の第三子ハルが重度心身障害児であることは、入職時に報告済みだったため、ハルのことを考えて帰国してはどうか、という電話だった。もちろん日本でも感染は広がっているけれど、万が一のときのことを考えると、、、とボスは提案してくれたようだ。こうやって一人ひとりの職員の状況を把握して心配りをしてくれるのは大変なことだと想像する。頭が上がらない。

帰国するとなると、インドでの生活基盤を保留したまま日本で滞在する場所を確保しなければならず、経済的な負担は大きい。加えてハルの生活に必要なバギー、リハビリ道具、食事を準備するための道具なども必要だし、何より夫は日本に帰国したところでオンラインで仕事を続けるのに変わりはない。今はデリーの家が我が家にとってはホームなので、また新たに生活を立て直すのはそれなりにエネルギーもいるだろう。総合的に見て、家族の日常的な負担という意味ではここにどどまる方が負担は少ない。ボスの心配りには本当に感謝しかないのだけれど、夫も私も残留する気持ちが変わることはなかった。

「何かあったときは、その時はその時だよ。」

夫は言った。

「何かあった時」というのはこの場合主に、ハルがコロナウイルスに感染し、それによって重症化したり、あるいはそれによって危篤になったり、あるいはその先の悲劇が起きたとき、という意味である。もちろん他の家族も重篤化の可能性はゼロではないけれど、我が家で最も弱いのがハルだからだ。

インドに来るときも、夫は同じことを言っていた。いや、インドに来ると決まる前から、何度となく夫婦で確認しあってきた。

画像7

1850gで生まれたとき。
輸血を繰り返したとき。
発作が一日に100回以上あると言われたとき。
呼吸が止まる発作があったとき。
退院が決まったとき。
主治医から何かの決断を求められたとき。
そして、転職で海外赴任が決まったとき。

いろんな局面で、私達はいつも確認した。

「その時はその時だ」

相模原事件のこと

もう4年前になる。今でもこの事件のことを考え始めると、じわじわと首を絞められるような感覚におちいって苦しくなる。行き場を失った感情が心の中に溜まって淀み、どろりとしてくる。

2016年7月26日に起きた、相模原障害者施設殺傷事件。相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、45人の障害者が殺傷された事件だ。犯人はやまゆり園の元職員であった植松聖死刑囚(2020年3月16日に判決が出た)。その犯人像と共に報道された植松氏の犯行の動機は、日本中を震撼させた(と私は思う)。

「重度の障害者には生きる価値がない。社会に不幸をもたらすことしかできない」

私はいわゆる障害児の母になってから1年半が経過していた。事件のニュースを聞いてしばらくのあいだ、ずっと胸がざわざわしていたのをよく覚えている。

しばらくざわざわして、立ち位置がぐらつくような得体のしれない不安に襲われながら、自分に言い聞かせるように書いた日記があるのでここに転載する。

◉障害者にかんする犯人のコメントに寄せて(私見)◉

「障害がなかったらいいのに」
(目が見えればいいのに。首がすわればいいのに。歩けるようになれればいいのに。ご飯を普通に食べれるようになればいいのに。喋れるようになればいいのに。発作がなくなればいいのに。)
と思ったことは、正直なところ、何十回も何百回もあるけれど
「障害をもって生まれた我が子がいなくなればいいのに」
と思ったことはない。一度もない。

                ★

今回の事件の犯人の動機で、私がどきっとしたのは、「なかったらいいのに」という言葉を、私自身何度も考えてきたから。
えっ。私はもしかして犯人と同じ考えをもっていたの?
・・・という混乱。

でもよくよく考えたら、同じじゃなかった。
自分の子が障害をもっていたからといって、いなくなればいいなんて思ったことは一度もない。当たり前だ。

障害をもって生まれたことが、神様からのプレゼントだとか、健常に生まれた子より特別な意味があるとか、正直なところ私はあまり思ったことはない。なかったらいいのにと思うことばかり。

でも、この子が私にとって宝物であることは腹の底から真実で、我が子が笑う瞬間は私にとって毎回大事件(カメラカメラ!)で、宇宙一かわいいといつも思っている。本当である。
みんなそうだと思う。
「うちの子の鼻がもうちょい高かったらいいのに」
「うちの子の足がもうちょっとだけ長かったらいいのに」
って子どもに思うことがあるように、
「障害がなかったらいいのに」
と思うだけだ。

それ以上でも以下でもない。
あるがままで良い。
その時の我が子を全てあるがままで愛している。
あるがままでいられないことからは、それが何であろうと、全力で阻止したいと思う。
みんなそうだと思う。

今回の事件、どこからどこまでが真実で、何を信じたらいいのかわからないけれど、動揺を誘うようなコメントやワードに嫌悪と少しの恐怖を感じている。得体のしれない何かが刻々と迫っているような恐怖。

自分に自信を持って、安心して生活しよう。
だって私は、我が子を腹の底から愛している。
自分の感情や自分の感覚に自信を持とう。
                           2016年7月30日

そう。植松被告の犯行理由の言葉は、誰もが「あれ、もしかしたら私も同じ考えを持っているのかな?」と感じてしまうような危うさをはらんでいた。

この、障害者殺傷を正当化する内容が報道されてしまったこと自体が、私にとっては(そして多くの人にとっては)内面をえぐられるような事件であり、そしてそれに同調するコメントがメディアを通じて少なからずゆきかったことが、私は恐怖だった。

この事件のあと、「優生思想」が議論され、「内なる優生思想」という言葉もよく聞いた。そうか、そういう言葉を使うのか、と当時の私は思ったのけれど、この事件は「優生思想」という言葉とそういう切り口だけで単純に議論のできるものなのだろうかと、ずっとぐるぐるしていた。

生は死よりも優れているのか

この事件のことを考えるとき、ハルを出産してからたどった思考をいつも思い返す。

ハルが原因不明の低体重児として小さく生まれたとき、あれよあれよと言う間に目の前のNICUドクターたちがハルに救命措置を施していった。

発作を抑えるために薬を使って、その薬のせいで意識がゆっくりになって、だからおっぱいを吸うこともできなくなって、そのせいで鼻から管をいれて、意識低下で呼吸が難しくなって、そのせいで呼吸器をつけるかもしれない、と言われたとき、ちょっとまって、と心の中で叫んだ。

なぜ発作をおさえなくてはならないの
なぜ呼吸が難しくなるほど薬を使わなくてはならないの
なぜ挿管して生きていかなければいけないの
この子は私のあかちゃんなのに
なんで管だらけなの
傷つけないで、苦しめないで
ちょっとまって

画像3

実際には呼吸器をつけることなく事なきを得たのだけれど、当時の私は(たぶん夫も)つながった管を全部引っこ抜いて、ハルをこの手に抱いて、お乳をあげて、家に連れて帰りたかった。

命は尊い。けれど、命を救うことだけが、あるいはそれが一番、正しいのだろうか。私にはわからなかった。生まれたての赤ちゃんを抱っこしてお乳をあげること、やわらかいきれいな肌を傷つけずに守ること。本能的には、そういうことが大事に感じた。

たとえ命を縮めても、彼女があるがままで美しくその生を全うできるなら。むしろ、それが自然なんじゃないのか。ハルがハルらしからぬ不自然な形で生き延びるのはなんだか違うと思った。(今考えると主観的でとても曖昧な表現でごめんなさい)思いながら、でも口に出すことはできなかった。小児医療のスペシャリストたちを前に、私はなすすべがなかった。たとえ本当にそれが正しい選択だったのだとしても、なすすべがない、ついていけない、という感覚は、生きる主導権を失ったようで、少なくとも私を不安にした。本来ならハルはハルの手で生き方を決めるべきだし、生まれたばかりのハルにとっては私と夫がその代理であるべきだったのではないか。

(※注1;小児医療や周産期医療のスペシャリリストたちも、きっと日々様々に葛藤し悩みつつ最善を尽くして戦ってくれているのであろうことも付け加えておく。感謝。)

夫も同じ気持ちだったと思う。だから二人で話し合いを重ね、自分たちの感じている違和感の正体をさぐった。

画像7

ハルは愛しい。可愛い。一緒にいたい。可能性を狭めたくない。できるだけ寄り添いたい。でも、彼女の生を不自然な形で捻じ曲げてまで、私達のエゴに付き合わせてやることはない。少なくとも弱く生まれたハルはもう生まれた瞬間から十分に精一杯生きているから。ハルの精一杯を尊重するやり方を貫きたい。その上で、その時が来たら、その時だ。これはもしかしたら、覚悟、ともいうのかもしれない。

「その時はその時だよ」

ハルに何かが起こりそうになるたび、医師から何らかの決断を迫られるたび、私達は確認し合った。

弱いヤツより強いヤツの方が優れている、病気がある人よりない人の方が優れている、障害者よりも健常者の方が優れている、という優生思想をたどっていった先にあるのは、もしかしたら「生は死よりも優れている」という考えなのかもしれない、とふと思う。けれど、はたして本当に生は死よりも優れているのだろうか。

弱く生まれたハルに、無理に武装させることなく、ただ心地よく、豊かに生きてほしい。ハルが心地よく生きるための選択を重ねた上で、「その時」が来たときに、それはもう運命だと思うことにしている私達夫婦の考えは、一見優生思想の仲間に思われてしまうかもしれないけれど、もしかしたら生き方を強制し、無理やり生を押し付けるほうがよっぽど優生思想に近いのかもしれない。

(※注2;呼吸器をつける、胃ろうをつける、手術をする、といった選択を否定したいわけではまったくない。それを本人が(あるいは本人の代理が)選び取って決めるということが大事だと思うし、そうすることで、よりその人らしく生きられるということも、私は知っている。)

苦しみも喜びも、自分で決める

ロックダウン生活も40日を越えた。ハルの薬の備蓄はあと数カ月分。デリーのかかりつけ病院からはオンライン診療の案内もきていたが、平常時でさえハルの薬をすべて入手するのが困難なインドで、薬の入手を今どれだけ期待できるのか疑問である。毎回窮地に陥ると一皮むけてきたはるるん、もういっそのこと生まれた瞬間から頼ってきた薬と手を切る、という暴挙に出ちゃう?という考えも一瞬ちらっと頭をよぎったけれど、でもやっぱりそれはちょっと怖い。なにせ生まれた直後の投薬開始前は1日に100回以上の発作が起こっていたのだから。それは多分、1日に100回以上脳にダメージを食らうということだ。

ロックダウン生活中にも何度か熱を出し、そのたびに息止め発作が起きるハル。その都度ヒヤリとしながらもなんとかやり過ごしてきたけれど、ここ数日はずっとリズムがおかしかった。夜眠っているのに昼間もウトウトしてばかりで食事を思うようにとれず、咳き込みがち。せっかく食べた食事も吐き戻すことも多く、一日中ハルを抱いている私は正直疲弊していた。特別支援学校の先生からは毎日連絡が来るのだけれど、オンライン授業どころではない。週に1回どこかのタイミングで授業を受けられればラッキーだ。

画像7

このままずっと目を閉じて眠り続けてしまったらどうしようね、という私に、夫はやはり言う。

「その時はその時だから」

疲弊しているときにこの言葉を聞くと、ふっと不安になる自分がいる。あの事件で自分が最初混乱した気持ちが思い出される。自分はもしかしたら、ハルがいなくなればいいと思っていやしないか。こんなこと、書いていて自分でも泣きそうになるけれど。

そうして4年前のあのとき書いた日記を思い出す。そうだった。そうなのだ。なにを恐れることがあろうか。私はハルを愛している。私の家族はハルを中心に回っている。だからこそハルには豊かに心地よく生きてほしいし、その時が来たら私達はそれを受け入れるのだ。

植松氏が言うように、重度障害者の家族は、たしかに負担も大きいし、大変なことも多いと思う。少なくとも、私はハルと共に生きることはカンタンではないと感じている。普通にしていてもペースト食を作って与えるだけで一日の大半が終わるし、調子が悪いときはほとんど1日中ハルに水かごはんをあげている気分になる。機嫌が悪いと手に負えないほど泣き続け、連続して大きな発作が起こると支える腕も腰も限界を感じる。時間をかけて食べさせた食事を全部戻してしまうことも度々だし、夜しっかり眠れずに朝がくることもある。

でも、社会や家族に負担ををかけずに生きている人なんているんだろうか。

よく、障害は社会の側にある、という言い方をされる。ご自身も脳性麻痺で小児科医の熊谷晋一郎さん(東京大学先端科学技術研究センター当事者研究分野准教授)は、「障害は皮膚の内側にあるのではなくて皮膚の外側にある」とおっしゃっていて、それは最もだと思うこともある。

社会の側が、合理的な範囲で生きづらさを抱えた人にに歩み寄る、ということを目指した考え方だと理解している。たとえば赤ちゃんより大きなサイズの人でもオムツ替えできるスペースがあるとか、ない場合は臨機応変に対応するとか、必要に応じて持ち込み食を温めてもらえるとか、そういうほんの少しの心遣いは、ハルと共に生きる私達家族にとっても、ハルが人間として社会の中で生きていく上で切実に必要だと思っている。

けれど、「障害は皮膚の外側にある」はハルには当てはまらないような気もする。だってハルは確かに皮膚の内側にトラブルがあって、たとえ社会がどんなに変わったとしても、ハルの発作は収まらないし、ハルの筋緊張は収まらないし、ハルが言葉をやりとりできるようになるのは難しいと思うから。ハルは確かに障害を持って生まれたのだ、と私は思っている。ハルの皮膚の内側のトラブルが全部なかったらいいのに、と思う。

画像7

しかし、皮膚の内側にも何もトラブルがない人というのもおそらくいないだろう。多くの人は程度の差こそあれ、何かしらの障害を強いられながら生きていると思う。よく言われるように、目が悪い人はメガネをかけて、足が悪い人は杖を使って、病気の人は薬の助けを借りて、生きている。もっといえば、太った人は他の人より広い場所が必要だし、冷え性の人は人より多くの衣服に助けを借りて、ハゲが気になるひとはカツラや帽子を使って、肌に自信がない人はファンデーションの力を借りて。

仮に誰にも負担をかけず、皮膚の内側に一つもトラブルがなく、効率的で生産的な生き方に価値があるとするならば、なんて味気ない世の中なんだろう。毎食栄養ゼリーを飲んで、毎日同じような服を着て、経済負担をなくして、みんなが明るく元気で、効率的に生産的な仕事をする人だらけの世の中を想像すると、ちょっとぞっとする。誰だって病気になると薬の力を借りたいと思うし、眼鏡はおしゃれだし、腰の曲がったおばあちゃんが杖をついて歩いているのを見るとなんかホッとするし、帽子もカツラもファンデーションもあった方が良い。

私は10代後半から20代前半にかけて苦しかった時期があって、当時はもう何度もすべてを終わりにしたいと思っていた。それこそ学校に通ったり働いたりということ以前に、食べるのも立ち上がるのもお風呂に入るのもとてつもなく「大変」だった。ひたすら部屋にこもって、心配して見に来た親さえ、ドアを開けることなく居留守で追い返した。多額の教育費で東京に送り出してくれた両親にとっては大変な負担だったに違いない。

でも今は、当時の私がいるから今の私がいると思っているし、当時の経験があるからこそ自分の人生が確かなものになったとも思っている。負担はかけたと思うし、大変な時期であったことは間違いないけれど、当時の自分を否定するつもりは毛頭ない。当たり前のことだけれど、人生には苦しい時もあれば楽しい時もある。

「大変」だからといって、他人がその人の人生を終わりにしていいはずがない。「大変だから楽になりたい」と思うことはあるかもしれないけれど、そう思っていいのは、本人か、本人に準じる人だけだとも思う。そしてそういう思いは、いつかその人の糧になる。少なくとも私達家族は、ハルが生まれて、これまでなかった経験をしたし、大変なことも数多くあったけれど、社会や地域や、近くに寄り添ってくれる誰かとの関わりの中で前に進み続けることができているし、ハルのおかげで見えたことや豊かになったも負けず劣らず、ある。

私達はハルを愛しいと思うから、「大変」も「負担」も一手に引き受ける。きっと親がいなくなったら、あるいは年老いて支えきれなくなったら、たくさんのケアが必要なハルは、今まで通りにはいかないだろうと心配しているけれど、ハルが家族あってのハルなのと同じように、実は私自身も、そして多分家族のみんなも、ハルあってこそだな、と最近思う。ハルがいなかったら、医師だった夫はきっとずっと患者の気持ちをわからない医師だったかもしれないし、私はずっと人が生まれるという奇跡に気が付かなかったかもしれない。長男も長女も、ハルがいる生活が当たり前だから、人と違うこと、それぞれができないこととできることがあることが、ごく普通のことだと思っている。レンチビにとってハルは、ほとんど双子のきょうだいのような存在で、もちろんヤキモチも焼くけれど、ハルが泣くと一番に心配してすっとんでいく。

画像8

生きるのが「大変」だから、「負担が大きい」からその人の存在価値がないということは全くないどころか、むしろそれこそが価値なのではないか。大変なこと、負担のかかることのなくなった排除の社会の、なんと恐ろしいことよ。

こうして考えてくると、生も死も、他人が強制することこそが、優生思想的であるような気がしてくる。生きるも死ぬも、苦しみも喜びも、他人に決めさせてはならない。生きる営みを他人が終わらせることは、当然暴力的であるけれど、同時に死がそこに迫った人に対して、それを受け入れさせないというのもまた、同じように暴力的だと言えはしないか。

あなたの生き方を、あなたの感情を、誰かに決めさせてはダメだ。あなたが弱者か強者かなんて実はかんけいなくて、弱者も強者もいることに意味があり、あなたがあなたの生き方を決めることにこそ、価値がある。

ハルの生死を、ハルの喜怒哀楽を、ハルではない誰かに決めさせたりはしたくない。

画像8

大丈夫だ、まだまだいけるぜ、ロックダウン48日目。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?