墓穴を掘る

半麦ハットができて二ヶ月が経とうとしている。
じわじわと反響があり、実感を伴い初めて胸が熱くなったりすることもある。

でも正直には、
自分で自分の墓穴を掘っているかもしれないと思っている。。。

抽象化しない・ルールを作らない・言語化しない・・・などと
心に決めて設計を進めていたことによって、
本当に言葉が与えられない建築になってしまった。

実際は与えられるのだと思うけれど、既存の言葉が見当たらない。
誰かが与えてくれるだろうと思っていたこともあったし、
その土台にされたいとも思っていた。
だけれど実際、言葉にできないという言葉をもらう。

それはとても嬉しいことでもある。
だけれども、個人的には唯一の作家になりたいというよりも、
仮説と実践の渦の中に身を置きたいので、ここで流転を止めたくない。

今まで避けていた言語化というのは、既存の言語、つまり既存の評価軸に乗って制作はしたくないということだった。
効率だとか、有用性だとか、量的に捉えられるもの。

それに対して今必要な言葉というのは、新たな評価軸で、それもまた抽象化に当たる。
実践したものに仮説を与えなければならない。
それを慎重に評価しないといけない。
早さか美しさかの世界ではない、中性的な(結局こういう曖昧な表現になるのも良くない)。

表現しない表現とかでもない。
それってそれがバレるとかっこ悪いのだから。自分のことをかっこ悪いもの扱いはできない。それもまた、かっこ悪くて帰ってかっこいいでしょみたいなナルシズムだから。

このまんま墓穴を掘りつつけて、ブラジルで生まれたい。