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本のデザインから

昨日書影が公開され、予約販売が開始されました。https://ruiitasaka.theshop.jp/items/33227106​

続々と予約が入っており、それだけでモチベーション上がっているのですが、何より半分くらいの方が知り合いでないということに驚いています。こないだ書影を撮った時に、tanukiさん出原さんと話したことでもありますが、本は自分が思いもしなかった人のところにたどり着くのが面白いし嬉しいです。それが醍醐味だなと実感しています。

ふた山

今日は、寄稿者の話をしようかと思いつつも、書影が出たし、造本のことにしようと思いパソコンの前にいます。

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これはモックなので、色や質感などちょっとずつ仕上がりが変わり、実際はもう少しごつっと重量を感じるのではないかと思います。

商品ページにも書いてあるように、

『半麦ハットから』は、2つの本からできています。一方には《半麦ハット》とまわりの風景を撮った栗田萌瑛の写真と設計者である板坂留五によるテキスト、もう一方には協働設計者である西澤徹夫と板坂の対談、そしてこの建築を訪れた人たちによる小説や批評が載っています。

2つの束で構成されています。企画段階からこれは念頭にあったのですが、その順番、織り交ぜかたに苦戦していました。本は1冊であるべきなのか、という問いから始まるのですが、だからと言って簡単に2冊やバラバラにすべきでもないよね。という議論が繰り返される中で、tanukiさんから出てきたのが、「ふた山」造本でした。

これは建築の「屋根」を模しているようにも見えますが、この本としての骨格でもあります。その強度に支えられ、2つの束をその屋根の下にしまうことができました。

と言っても、次はその強さが気になってしまうのが《半麦ハット》と同じつくられかた。。強さを解くように、質感や表紙のデザイン、綴じ方の決定がなされていきました。tanukiさんのその決定の仕方には、建築家が本を作る時に垣間見られる抽象化する思考とは違う、本のスケールに合わせた思考があります。《半麦ハット》無しにしても、書籍「半麦ハットから」が自律するために重要なやり方だと思います。現に、こうしてスラスラと造本のことについて私が書けているということからして、私の手元からちょっと離れたところにこの本がいることを感じます。

組み

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この本での別の面白いこととして、中身の組み方があります。詳しいことはあまり言えませんが、文字組みとしてとても実験的なことがなされています。

この本はテキストが多く、もちろんそれはメインであるのだけれど、硬い印象にしたくないという矛盾したオーダーをtanukiさんに投げました。それに対して、さらっと帰ってくるかと思いきや、、初めてサンプルを見せてもらった時、不思議な感覚がありました。読めるんだけど、違和感がある。文章を理解する脳みそというよりは、脳みその別の部分を使っているような気持ち。

《半麦ハット》で、色々な風景から要素をサンプリングする過程と似ているものの、そのあとの「微調整」を同じようにしている様子を感じました。サンプリングするというのは、あくまで何か新しいものを生み出すきっかけであり、それをベースにオリジナルな所作によってまとめていく。そうすることで、構造はわかるのだけど、それ以上の「何か」を感じられる。(それは必ずしも「達成感」や「クライマックス」ではない。)というつくり方。

自律したもの

このようなtanukiさんとの本のデザインのやりとりを介して、自分が作ったものを別のものに置換(アップデート?変換?)されていくことへの怖さが少し減ったように思います。それは、自分が風景のサンプリングを通して、建築にするときの「転用にはしたくない」みたいな気持ちとも通じています。そこには、相手への尊敬とか配慮とかもあるかもだけれど、何よりも自作のものに対するプライドみたいなものなのかなって思います。関係性によって浮かび上がるものの価値はもちろんあって面白いけれど、自律していることで生まれる思いもよらない繋がりに悦びを感じています。自律、完結していると言ってもいいのかもしれないけれど、そういうことで持つことのできる「開かれた」態度に希望を感じているのかもしれません。