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5月14日。友人の死。

コロナでロックダウンのロンドン。
仕事で意味わかんないハプニング続出で、今週ずっと機嫌の悪い私。面倒くさい問い合わせの電話。だるい午後。

ふと携帯を見ると、なんか日本にいる友達のグループラインが動いてる。通話してるっぽい。テキストなら見れるけど、仕事中に通話はちょっとな。と思いながらも気になってしまう。嫌な予感がする。前の人がうるさいから、いつも耳栓がわりにイヤホンをつけてるんだけど笑、もう自分のドクドクドクっていう脈の音しか聞こえない。


(Hammersmith Bridge. 落ち込むと決まって水辺に行く)

友人が癌であることを知った

2月の終わり頃、「noteを始めました」っていうツイートを見かけて、何気なくクリックした。その子が癌であることを知った。しかも、もう何年も前から患ってたらしい。全然知らなかった。それを私は数年後にnoteで知ったの。
20代と若いこともあって治る見込みはなく、だから抗がん剤治療は行わないという選択をしていたらしい。でも結局去年あたりから延命治療を始めて、それがとても辛かったみたい。

何となく、「最近よく病院に行ってるぽいなー」「ん?仕事してない?」とは思ってた。あの時に何で気づかなかったんだろう。なんか体調が悪そうだとは思っても、「はやく死なないかなー」みたいなツイートがあっても、その子の強めの冗談だと思ってた。

私は高校まで福岡にいて、大学から東京に行って、今はロンドンにいるし、物理的に離れてしまってから、地元の友達と疎遠になってしまったのは否めない。会うのが久しぶりすぎると、どんなことを話していいんだろうって感じで、結局あまり深いことは話さずに終わることもあったかな。年に1-2回くらい帰るけど、その時は普通にご飯も食べてたしお酒も飲んだしタバコも吸ってた。いつも可愛い服を着てたし、癌だなんて1ミリも疑わなかった。


**ラインでの緊急会議

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ランチの時間になったから、ラインに加わった。そのうちの1人が何日か前にその子にラインをしたら、お母さんから返信がきたとのこと。「今は緩和治療室にいて、(体力的に)携帯を見れないけど、見れるようになったら連絡します」とのことだった。でも、携帯を自分で見れない状況って?結構やばいよね?それでも、今思うと私たちはまだ楽天的だった。
5人のラインだったんだけど、その時に「ビデオメッセージ的なのを送ろう」という話になった。こんなことを言うのは悲しいけど、聴力は比較的最期まで残ってるって聞くし。木曜日だったから、じゃあ土日あたりで時間を合わせて、また集まろうって話して一旦終わった。イギリス時間で14:00頃。日本時間では22:00頃。


遅かった

金曜日の昼、前日と同じくらいの時間に、またライン通話がかかった。「緊急?まさか違うよね?」って聞いたら「うん。今日の朝4時ごろに亡くなったってお姉さんから連絡あった」とのこと。うちは小さな会社で、特に空いてる部屋とかも無いし1人になれる場所もなかったら、壊れてるトイレに入って、泣きながらラインに参加した。何も言うことができなかった。だって何もしてあげれなかったし。無力だった。

彼女はどんな思いで、癌と申告されてから今までを生きてきたのかも知らないし、その間も彼氏とかいたけど、どんな思いで付き合ってたのかとか、治療はどれほど痛かったのかとか、そんなこと、私が知ってどうすんだって感じだけど、でも全く知らないからこそ彼女の死を受け入れ難い。

コロナの中だけど、いつもは私は会社に通勤してる。17:30までがオフィスアワーだけど、なんやかんやで19:00くらいまで残業してる。でも木曜日はそんな気分じゃなかったし、金曜日に他の人と会ってHow are you? Good !みたいなノリも出来そうになかったから、必要そうなものを全てリュックに入れて、明日は家から働きますと伝えて早々に帰った。家に帰ってもすることなんてないんだけどね。


SOSに気付けなかった

彼女はインスタよりもTwitter派だったから、彼女のツイートを何年分も振り返った。全然SOSが出てた。「癌」と言う言葉こそ出てこなかったけれども、彼女の性格を考えると、ああやって冗談ぽく言っているのが最大のSOSだったと思う。もう何を言っても遅いんだけど、あの時自分が「ふーん」って素通りしてしまっていたことを、とても悔やんだ。いつも優しい人のふりをしてるくせに、結局自分のことしか可愛くないし、全然周りの人を気にかけてないじゃんか。

癌と知ってからも、もう少し連絡を取ってもよかったんじゃないか?もっと気にかけてあげれたやろ。不甲斐なかった。

フラットメイトはいるけど、そんなことを言う仲でもないし。だから泣いてるのを察されるのも面倒だったから、部屋から一歩も出なかった。
もう寝よう。寝たからと言って忘れる訳ないんだけど。起きてたらずっと考えてしまう。なのに、意外と時間はゆっくり進む。22:00を過ぎているのに、まだちょっと空が水色。いつもはご飯食べたらすぐ朝になるのに。(まあそれはお腹いっぱいになってすぐ眠くなるって言うだけなんだけど)


でもたまに笑っちゃう

ライン通話の1回目も2回目も、最初こそみんな泣いてるんだけど、その子の話になるとつい笑っちゃう。その子は見た目に似合わず短気だったから、私たちはそれをよくからかっていた。あと、あまり掃除が得意じゃなかったことも。Twitterにも名言の数々があって、おじさんが嫌いだとか、おばさんも嫌いだとか、同年代のお姉さんも嫌いとか、それらをひとつひとつ見返して笑っちゃう。

2月に癌のことを知った時、彼女にラインしたら「タイミングが無くて言えなくてごめんね」って言ってた。でも、たまにしか会えないし、気を遣ってもらってたんだなと思う。だから私の記憶の中では、元気な姿しか残ってない。ひゃひゃひゃって笑ってる顔しか思い出せない。


ギリギリ間に合ったんだと思いたい

私は中高一貫の学校に通ってたんだけど、クラスの関係で中学の時の仲良いグループ、高校のグループは違う。なんとなく中学の方が今でも繋がっている感じがしてた。(それは私以外の地元の子たちが今も繋がっているからなんだけど)大人になるにつれ、時間(休日が合う合わない)とかお金とか思想とか嗜好とか仕事(に関する考え方とかグチが理解できるとかできない)とかいろいろで、人間関係が変遷していくのはしょうがない。だから、高校のグループがちょっと崩れると言うと大袈裟だけど、少し離れていくのは仕方ないと思って、特に何もすることなく、流れに任せていた。

完全に自分勝手な解釈だし、何もできなかった自分への慰めでしかないけど、それでも金曜日の4:00に彼女が亡くなってしまう数時間前、木曜日の22:00に、みんなで集まって彼女の話をできたことはよかったと思う。本当はもっとできただろうって思うことはたくさんあるけれど。なんとなく、彼女が「よし。そんな感じでよろしく。」と思って息を引き取ったんじゃないかと思ってしまうんだ。


もう少し続く。

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