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大人になってもう一度出会いたかった

先日の友人の話の続き。(写真はあの子は白い犬が好きだったから)
私は小さな女子校に通っていて、高校のクラスは17人しかいなかった。その中でも、なんとなく気が合ったから仲良くなったんだけど、もう一度大人になって知り合ってみたかった。そしたらちょっと違った話をしていたんじゃないかな。


高校までは先史時代

そういう感覚がある。福岡での高校までも本当に楽しかった。友人にも恵まれたし、自由にいられる自由な校風が合っていた。
私、高校まで優等生だったんだ。そして自分では意思がある方の人間だと思っていた。だけど、「自分は何が好きだ」とか「何に問題意識を持っているのか」とか、そういうことは実は全く考えられていなかった。考えていなかったというよりも、出会えなかった。今思うとインプットが足りなかったのかな。田舎だとか環境のせいじゃなくて(いや少しは環境のせいもあるけど)「これだ」というものに(タイミング的にも)巡り合わなかったんだと思う。だから、与えられた問題にはそつなくこなせたけど、それから先「あなたならどうする?」と問われたら「うーん」って感じだった。今でこそ「はみだしもの」と認識しているけど、当時はそんなこと微塵も思っていなかったので「自分の軸」とか意識する必要もなかったのかもしれない。

「憧れの都会生活」を思い描いて上京したら、大学は23区外の小平市というところにあった。正直地元よりも田舎(笑)だけど、そこで過ごしたことが、私にとってはとても大きな意味があった。福岡に文化がないとかじゃなくて、自由を得たタイミングで、あの東京の端っこで「あーでもないこーでもない」と考えた時間が必要だったんだと思う。近くに美大があったことや、なんかすごいハードロックなコミュニティがあったのか駅にツンツンした髪の人がいたりとか、ちょっと先に行ったら吉祥寺や高円寺があって、なんだかゆるーいヒッピーみたいな感じの人がいて。なんか、みんな、「はみだしもの」だった。東京の西側に住んでいる人しかわからないかもしれないけど、あの中央線沿いのしみったれた感じが、本当に好きだった。都心の大学に行っていたら出会えなかったかもしれない。

もしかしたら「東京の大学に行かせてもらった」という感謝と申し訳ない気持ちとかがあって、大学時代に執着しているのかもしれない。私の考え方(サステナブル消費やローカルビジネスに興味があること、古着が好きなこと、それらひっくるめて大量生産型のものに惹かれないこと)は、高校までの自分を否定することで成立しているようにも思う。20歳くらいの時にだんだん好きなこと、自分が取り組みたいことがわかってきた。だからそれ以前は自分の中では先史時代。

友人関係もそう。(やっと本題に戻って来た)
高校までも、本当に素敵で愛らしい友達に恵まれたと思う。これは優劣の話ではなくて、でも大学時代の友達との方が、なんか、自分が育っていく過程を一緒に過ごしたように思う。高校まではあまり意識なかったお金とか仕事観(まあその時はサークルだけど)とか、そういう事を話す中で合う合わないが生じて来て、だんだんと人間関係が形成されていった。高校までは1日中同じ部屋にいるんだから、そりゃあ共通の話題はある。でも大学以降は、時間を合わせる必要があるし、反対にずっと1人でもいられるから、冷たい言い方だけど取捨選択をしたしされた。

私は映画とか小説とか、(しつこいけど)留学時代のあの事件の後に急激に好きになった。なんか切なさを求めていたのかな。留学の途中から一気に「自分はloserだ」という認識が芽生えて、ノスタルジックモードに突入した気がする。これも執着なのかもな。

(あの事件。)


私は彼女の人生を知らない


高校の時は休み時間のたびに、何かしら話してたんだと思う。もう忘れちゃったけど。毎日顔をあわせるのによくネタが尽きなかったなとも思う。
でも、個人的な有史以降(笑)(大人になってから)、あの子ときちんと話したことがない気がする。
あの子の人生を私はほとんど知らない。知ろうともしなかった。あの子だけじゃなくて他の地元の友達も、高校を卒業した後、どんな事を思って生きているのかあまり知らない。久しぶりにあっても、懐かしい話に花咲かせて時間が過ぎてしまう。(それはそれで楽しいんだけど)

たまに会うと、あの子は合コンにめちゃ行っていることとか、男と遊んでいることとかを話してた。大学を留年すること、会社を辞めたこと。タバコをふかしながら話してくれた。でもたぶん刺激が強いものは私に話さなかったんだと思う笑。全部冗談交じりに話してた。

なんだろ、映画に出てくるような、かったるい大学生だった。(半分ディスってて、半分憧れもあった)
あの子は高校生の頃からちょっと大人びてた。
私の知らない世界をたくさん知ってたし、私が7年後くらいになって好きになる映画や小説をたくさん知っていて、私が思う「大人」な言語圏に、その時から住んでいた。たまに先生に対してポツリと意見することとか、今となってふとした時に思い出して「本当にそうだよなー」と思うことが多々あった。


私たちは陰気だ


高校生の時からそうやって呼び合ってた。それに謎に誇りを持っていた。ポジティブでいること、明るい性格こそがよしとされている風潮に、その頃から違和感を持っていたんだと思う。陽気なのは薄っぺらいくらいに思っていた。なんだかちょっと似てたよね私たち。

高校の時の仲良いグループがあって、そのうちの1人がいつか、「私たち親友やん」みたいなことを言ってて、私とその子は恥ずかしさのあまり吹き出したんだよね。そういうところも似てた。(覚えてるかな?)


また会いたい

こんなことつらつら書いてもしょうがないんだけどね。
やっぱりまた会いたいな。やっと追いつきつつあったんだ、あの時のあの子の言語空間に。だから私が今思うあれやこれを彼女に聞いてもらって、「そうだよね」って共感してもらえたら嬉しかった。彼女の共感は合格点みたいな感じ。認めてもらうと嬉しい人っているじゃん?彼女はその1人だった。ロンドンに来て仕事もうまく見つからなくて、周りはワーホリの成功体験を綴っている中、失敗談のnoteを始めた時、「note好きだよ」と言ってくれたことが嬉しかったんだ。そして彼女もガン患者のブログは、みんないい人過ぎてたまに嫌になるという理由からnoteを始めた時、なんだかnoteが秘密の連絡網みたいな感じがして嬉しかった。だけど結局は、その日から私は更新しないまま、彼女は亡くなってしまった。そのことも悔やんでる。私が何か書いたからと言って、彼女の慰めになる訳じゃないのはわかっているんだけどさ。たぶん今「はじめまして」って出会っても、また仲良くなれると思う気がする。そしたら、私が知らない彼女の半生を色々話してくれるかな?似てないようでどこか似ているから、きっとお互い面白いと思えると思うんだ。

今さら言っても遅いけど、もう一度会いたい。
あの子のことをもう少し知りたかった。


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