1-1 えーっと、夢、みたいな……?
ふと、目が覚めた。いや、覚めていない。
ベッドの上で体を起こして首を巡らせる。カーテンの隙間から見える窓の外は夜だが、灯りもないのに部屋の中は不思議とクッキリ見えた。
だが、色がない。壁も床も天井も、本棚に並ぶ背表紙も、元の状態から色彩だけを失って完璧なグレースケールと化していた。蔵書以外に物が少なくて母親からは「男子の部屋のようだ」と言われる殺風景が余計に強調されているようであった。
枕元のスマートフォンを手に取る。本来ローズゴールドであったはずの、神経質に充電を欠かしていなかったはずのそれはどう操作しても反応しなかった。
「えーっと、夢、みたいな……?」
口をついて出た言葉は曖昧だったが、部屋の見た目以上に感覚的な確信があった。コレは夢である。
そろり、とベッドから降りる。
視界がおかしい。灰色であることを差し引いても、いつもより若干高い位置から部屋を見ている気がする。
「え、あれっ」
ふと、気がついた。視界にかかる髪の毛には色があると。ありすぎると。
慌てて姿見の前へ向かう。色のない部屋を背景に映し出されたのは、生来の黒髪とは似ても似つかない鮮やかな赤毛であった。
そのまま全身を見れば、肌も寝間着も色付きだ。思ったとおり身長がやや高く、手足はスラッと長い。胸も少し大きいようだ。現実のパッとしない容姿が全体的に上方修正され、結果として別人のようになっている。
「うわあー……」
夢には無意識下の願望が現れるという。自分にこんな変身願望があったのかと若干の自己嫌悪に陥り、またより一層夢であることに確信を深めた。
「まあ、それはそれとしまして」
しゃがみこんだままひとしきり落ち込んで、それから気を取り直して立ち上がる。
切り替えていこう。夢であるならば楽しまなければ損だし、いつ目が覚めてしまわないとも限らない。
外へ出よう。せっかくの夢なのだから、部屋の中で終わってはもったいない。
姿見の横にあるクローゼットへ手をかける。夢なんだし寝間着のままでもいいだろうが、なんとなくだ。
「おや?」
開けると、そこには現実に準拠しているならあるはずのない小洒落た服が大量に掛かっていた。どれも買った覚えどころか試着した覚えすらない、服売り場で見かけた程度のものだ。さすが夢。
せっかくなので普段絶対に着ないようなものを着てみよう。少し迷って、黒のインナーにオリーブドラブのミリタリージャケットとハーフパンツの上下を選ぶ。
「うーん……」
ついでに同系色のキャスケットもかぶってみたが、髪の色と相まってスイカかカボチャか、といった色合いになってしまった。
「まあ誰に見せるわけでもないですしね」
鏡の前で体をひねって確かめながら独りごちる。
凝りだしたらきりがなさそうなのでこのまま行こう。
念の為静かに廊下を移動し、玄関へ向かう。靴箱にはこれまた様々な靴が並んでいたが、服に合わせた濃い色のブーツを選んだ。服もそうだが靴も大きさがピッタリである。さすが夢。
「うわあ」
一歩外へ出ると冬の夜気が顔を撫でた。
色を失いのっぺりとした住宅が建ち並ぶ街の上に、墨を流したような星ひとつない空が広がっている。
街灯は点いていないがやはりクッキリと街並みが見える。夜ということを差し引いても人の気配はない。
「さて……どこへ行ったらいいのやら」
肝心の行くあてがなかった。夢の中、現実そっくりそのままの街でどこへ行ったら面白いだろうか。
「駅前……学校……?」
とりあえず歩き出す。当然のごとく車道の真ん中である。走っている車どころか路上駐車もないのでとても快適だ。
しばらく歩いて駅前の商店街へ出る。
常の活気は見る影もなく、全くの無人である。店自体は開いたままになっているので、いわゆるシャッター通りにはなっていない。面白い光景であった。
「うーん、やることがないですねえ」
見ている分には面白かったが、それだけである。食べ物屋で何か買えるわけでもなし、ゲームセンターの機械は全て止まっている。しばらくすれば飽きてくるのは必定であった。
次は学校へ行ってみることにする。
どうせ何もないだろうが、深夜の学校へ侵入するというのはそれだけで面白そうだ。
到着すると、都合よく正門が開いているので堂々と入っていく。
昇降口を下足のまま通過し、廊下を走る。危険な快感だ。
職員室の扉を勢い良く引き開け、ズカズカと入り込む。机の書類をなぎ倒しながら進み、校長の椅子に座ってみる。
「ふ、ふふふ」
三十秒で飽きた。
職員室を出て階段を駆け上がり、屋上へ出る。うちの学校では常時開放されているが、来たことはなかった。
「ふう」
空には相変わらず星ひとつなく、遠くまで見渡せる街並みはどこまでいっても無彩色だ。
風だけが現実と同じように吹き、バサバサと服をはためかせている。
「図書室にでも行きましょうかねえ」
やはり、やることがない。ひと通りのことを試してしまえばあとはただ無人の街だ。街というのは人がいて機能しているからこそ楽しくなりうるのであって、こんなことなら自室で読書でもしていた方がマシであった。空でも飛べればもう少し楽しいのかもしれないが。
「……飛べるのでは?」
そうだ、コレは夢だ。夢なんて空を飛べてなんぼではないのか。
「せーのっ」
その場でジャンプしてみる。が、飛ぶどころか高くジャンプできるわけでもなく普通に着地してしまう。何度やっても結果は同じだ。
「うーん……」
いっそこの屋上から飛び降りてみてはどうだろうか。危険が迫れば必要にかられて飛べるようになるかもしれない。
屋上を囲っている金網にしがみつき、登ってみる。登れた。意外なほどスイスイと。やはり夢なのだ。できると思えば可能になるのだ。
金網の上辺にゆっくりと立ち上がり、息を整える。登っている間に思いついた掛け声を口にする準備をする。
「アイ、キャン……」
膝を曲げ、力を溜める。
「フラーーァイッ!!」
溜めた力を解放し、飛び立つ。
一時的な浮遊感の後、落下が始まり全身が風を受ける。
「飛べる飛べる飛べる飛べる飛べる飛べる飛べる飛べる」
念仏のように繰り返しながら落ちていく。
そうして私は、地面に激突した。
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