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劇場文化論 「歌舞伎と宝塚」

2013年当時の文章をそのまま載せています。
今よりもさらに未熟でお恥ずかしいですが、大学時代の記録として。

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劇場文化論レポート 「歌舞伎と宝塚」

       
歌舞伎と宝塚歌劇との最大の特徴、そして最大の異なる点は

・歌舞伎は男性が女性まで演じる男性だけの舞台。
・宝塚は女性が男性まで演じる女性だけの舞台。

という点だろう。
それに加えて歌舞伎は幼少時代から既婚後、親子三代で舞台に立つという役者もいるが宝塚は20歳前後の年齢からの未婚女性しか舞台に立つ事はできない。
「市川團十郎」等をはじめとした歌舞伎役者の芸名は名跡(みょうせき)と呼ばれ、代々受け継がれていく。名跡を継ぐ事を襲名(しゅうめい)といい、役者達は経験を経るにつれ、名跡を順々に取り換えて次第に大きな名跡を継いでいく。実子が名跡を継ぐ事が多いが、「養子・兄弟・実力のある高弟など」に名跡を継がせる事もある。ただしここでいう養子は法的な意味でのそれとは限らず、いわば芸の上での養子である事もあり、これを芸養子という。
役者達は名跡とは別に家ごとにきまる屋号(やごう)も持っている。歌舞伎では上演中に大向こう(≒後ろの方の席)等から役者に掛け声をかける習慣があるが、ここで呼び掛けるのは名跡ではなく屋号であるのが基本である。
役者と音楽奏者は、世襲以外では国立劇場が研修生を募集している。


宝塚は歌劇団に入団する前に宝塚音楽学校に二年間通うことが入団の絶対条件になっている。宝塚音楽学校の入試資格は15~18歳の女子に限る。
芸名は一人一人全く違うものがあり、それは宝塚音楽学校卒業間近の時期に自己申告で第三希望まで芸名を考え提出する。丸印が付けられて却ってきたものが芸名になる。
屋号や派のようなものはないが、五組に分かれており役者はそれぞれの組に配属され、基本的にその組で行われる演目にしか出演することはない。
そして、掛け声は掛けてはいけない決まりになっている。創立当初からしばらくは日本の文化である歌舞伎に真似て、観客席からの掛け声が行われていたが、舞台上の世界観を損なわないために掛け声を廃止した。その変わり、掛け声を入れるようなタイミング、例えばお目当ての役者の登場シーンや、ソロでの歌い出しなどで拍手を鳴らすという観客の暗黙の決まり事のようなものがある。


歌舞伎の演目は「世界」という類型に基づいて構成されている。
「世界」とは物語が展開する上での時代・場所・背景・人物などの設定を、観客の誰もが知っているような伝説や物語あるいは歴史上の事件などの大枠に求めたもので、例えば「曾我物」「景清物」
「隅田川物」「義経物(判官物)」「太平記物」「忠臣蔵物」などがあり、それぞれ特有の約束ごとが設定されている。当時の観客はこれらの約束事に精通していたので世界が設定されている事により
芝居の内容が理解しやすいものになっていた。ただし世界はあくまで狂言を作る題材もしくは前提にすぎず、基本的な約束事を除けば原作の物語から大きく逸脱して自由に作られたものである事も多く、登場人物の基本設定すらも原作とかけ離れている事も珍しくない。
複数の世界を組み合わせて一つの演目を作る事もあり、これを綯交ぜ(ないまぜ)とよぶ。世界毎に描いている場所や時代が異なるはずであるが、前述のように世界はあくまで題材にすぎないので、無理やり複数の世界を結び付けて1つの演目を作りだす。
江戸時代に作られた演目のその他の特徴として「その長さが長大な事」、「本筋の話の展開の合間に数多くのサイドストーリーを挟んだり場面ごとに違った種類の演出(時代物と世話物(後述))が行われたりする事」等があげられる。前者はこれは当時の歌舞伎が日の出から日没まで上演した事による。一方後者は興行の中に様々な場面を取り込む事で多種多様な観客を満足させる事を狙ったものである。
宝塚の演目には歌舞伎でいう「世界」のようなものはないが、宝塚で何度も再演されているような名物のような演目には約束事がある。例えば、ベルサイユの薔薇などは初演の時から台詞は殆ど替わりがないし、振付も昔ながらのものを伝統として使っている。観客の中では何作もの同作品を世代を越えて見て来た人もいて、何年の誰が主演の時のベルサイユの薔薇が一番好きだ。などを論じることが出来るファンもいる。出演者たちは歴代の作品に負けないようになんとか独自の演出を取り入れようと切磋琢磨する。

観客の楽しみ方として、歌舞伎は血縁で繋がった伝統や、幼い頃からの役者を見守ることが出来るが、宝塚では時代の移り変わりと共に劇団に入団してくる役者が次々と変わって行くので、応援してい
た役者が退団してしまった時のために次に応援する役者を決めておくという観客も少なくない。
歌舞伎の舞台には役者に小道具を手渡すなど演技の手助けをする役割の人物がいる事があり、この人を後見(こうけん)という。特に全身黒装束に身をつつんだ後見を黒衣後見(くろごこうけん)、あ
るいは略して黒衣(くろご)という。役者以外の人物が舞台に登場しない事が原則の通常の演劇と違い、黒衣をはじめとした後見は観客の目から見える位置に現れる。しかし後見達が舞台にいないもの
として扱うのが歌舞伎の暗黙のルールである。
宝塚の舞台は決して役者以外の姿が舞台上に見えてはいけない。
むしろ、宝塚の舞台の上には宝ジェンヌしか上がることが出来ないと、聖地のように思っている観客もいる。だが実は舞台装置の裏などに黒い作業着を着た男性スタッフなどが殆ど常にと言っていいほ
ど存在している。しかし、見ている人々の夢を壊さないためにその存在が分かってしまうことは絶対に許されない。なので、舞台上の装置を移動させるのを役者が行う時もあるし、舞台上で役者が早替わりなどをする場合はその手伝いや片付けなども役者が演技の中でごまかして行う。


舞台
歌舞伎座の舞台平面図

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舞台の各部分
歌舞伎において、花道とは舞台下手から客席を貫いてもうけられている通路状の舞台である。
宝塚の花道は上手と下手の舞台端から客席に向かってハの字に対照的に伸びている。
歌舞伎、宝塚共に正面の舞台は本舞台といい、花道は役者の入退場に用いられるばかりでなく、ここで重要な演技も行われる。観客のすぐそばを通る事で役者の存在感をアピールする等の演出が可能となる。歌舞伎の舞台の両端には大臣囲い(だいじんがこい)があり、下手側の大臣囲いには太鼓等の演奏や長唄、効果音等を演奏する為の場所で外側には黒い御簾(みす)がかけられている。ここで奏でられ
る音楽を黒御簾音楽もしくは下座音楽という。一方上手側の大臣囲いの2階は義太夫狂言等で竹本という語り物とその伴奏である三味線を奏でる場所で、床(ゆか)と呼ばれる。大臣囲いの端の柱は大
臣柱(だいじんばしら)と呼ばれている。これは現在では単なる柱にすぎないが、歴史的には歌舞伎舞台の先祖である能舞台で屋根を支える柱からきており、歌舞伎のおいても古くは舞台の屋根を支え
る為に用いられていた。
宝塚の舞台には本舞台から弧を描いた橋のような舞台が張り出していて、これを銀橋と呼ぶ。この銀橋は弧の頂点が丁度観客席のど真ん中と一番距離が近くなるようになっている。この銀橋を渡れるの
は入団してから何年か経ったベテランか人気のある役者と決められている。銀橋と本舞台の間にはオーケストラピットがあり、そこでオーケストラによる生演奏が行われている。たまに暗転中にオーケストラピットから銀橋中央に出演者が登場しており、明点と同時に観客を沸かせる演出がある。

歌舞伎、宝塚のどちらの花道にも迫り(せり)がある。歌舞伎の回り舞台は舞台中央にあって、水平に回転する舞台である。宝塚にも盆回りと呼ばれる全く同じ様な仕掛けがある。
手前側と向こう側に2つの場面の装置を仕込んでおき、回転させることによって素早く場面転換ができる。通常は役者が舞台に乗ったままの状態で、装置ごと回す。上演中であっても裏側に回った方の
装置をこわし、さらに次の場面の装置を仕込むことができる。 廻り舞台の回転は歌舞伎や宝塚の見せ場のひとつなので、照明を消さず幕を開けたまま廻り舞台を回転させ、場面転換を観客に印象付ける事ができる。この手法を明転(あかてん)という。また、例えば悪だくみをたくらむ場面とその被害者宅の2つを廻り舞台の上に乗せ、一方から他方への転換を見せ、つぎに逆回転させて元の場面に戻るというようなことができる。これを俗に「行って来い」といい、2つの場面の同時性を強く表現する演出である。迫り(せり)とは昇降装置で、奈落からせり上がって役者の登場や退場に使われる他、大道具それ自身をせり上げる事で屋敷の地下が現れる等の迫力のある演出を行う。回り舞台が場面を水平方向へ、
セリが鉛直方向に切り替えて立体感をだす。
舞台の作りや効果としては花道や銀橋以外は歌舞伎と宝塚はほぼ同じで、いかに歌舞伎に影響されて現代の日本の舞台文化があるのかが分かる。
歌舞伎の文化を遡れば1600年代のお国という女性が創始した「かぶき踊」というものが元祖と言われている。
そこから時代の流れを経て歌舞伎が出来、宝塚が出来た。
現代この二つの舞台は比較されることも多い、日本を代表する舞台だと思うが、長い歴史の中で見れば兄妹とも言えるのではないだろうか。

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