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唐招提寺と安と蓮


唐招提寺の最寄りの駅は奈良市近鉄西ノ京駅。
京都から見て西ではありません。平城京宮を真ん中に考えて西ってことです。京終(きょうばて)も、平城京からみてのはなし。奈良市民でもまさかの誤解をされている人が少なからずいるのですが・・・

駅から唐招提寺へ、道なりにいくと素敵なレトロ看板があります。

中学校区の後の「指」が張りなおされてるのが一番気になります。



教科書レベルの知名度の唐招提寺の目の前の店(茶店兼手荷物預かり所みたいなとこ)が閉まっているのが気になります。



初夏は唐招提寺を含め、西ノ京~西大寺の西大寺・喜光寺・唐招提寺・薬師寺がちからをあわせてロータスロードという企画をしているらしいです。共通パスとか記念品とかがあるらしいです。でもわたしはそれにに与さず、今回は唐招提寺のみ。


唐招提寺は池(滄海池)の蓮と鉢の蓮で頑張っています。
私は迂闊にも午後に参詣。蓮が観たければ、当然に午前中に訪れるべきです。



唐招提寺は鑑真和上開基の寺ですが、そもそも寺として建立されたわけではなくて新田部親王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を譲り受けたもの。唐から招聘された僧でありながら、建立されたものではなく中古住宅をリフォームしたところに寺を創建。官寺ではなく私的道場の立ち位置。




鑑真は失明して渡来ということが一般的な解釈ですが、弱視説もあり。戒律のほかにも薬草の知識もあったようで、今も敷地内に薬園を整備しています。(この一年くらいで完成しそう?)

行基が石工、土木技術集団を率いたように、やはり現実問題として「ありがたいおはなし」だけでは食べていけないし、人も集められません。これはイエズス会の布教時にもそうだけれども、人はパンのみで生きられないかもしれないけれども、そもそもパンなしで生きられないので! とりあえずまずは現世利益や!精神論を語るよりも現実問題の解決や!という姿勢は私としては大変に好感が持てます。


鑑真和上御廟



入口の案内板から考えると、訶梨帝母(鬼子母神)社。
なんで札もだされずにひっそりとたたずんでいるのでしょうか。



講堂に本尊は鎌倉時代の弥勒如来坐像となっていますが、ここの本尊の変遷には不明な点が多いらしいです。

なんで敷地内に鬼子母神がおられるのかもよくわからない。唐招提寺の鎮守は水鏡天神社で別のはず。



「醍醐井戸」
でもこれについての説明がない。



戒壇
非公開でここまでしか行けない。




金堂は写真撮れませんが、廬舎那仏を真ん中に、薬師如来と千手観音という、たぶん珍しい組み合わせ。梵天さんと帝釈天さんと四天王も構えていますが、四天王がどうにも邪鬼を踏んでいるように見えない。何の上に立ってるん?ひょっとして邪鬼が原型とどめてないだけ?



鑑真とともに来日し、唐招提寺の発展に尽力した僧に安如宝がいますが、「」姓は安息国(ペルシア)や安国(ウズベキスタン)がルーツ。正倉院の美術品の中にも碧眼の僧の画があるといいますが、安如宝も碧眼だったのでしょう。私は、現代の感覚で洋を東西に分けたり、国境線を考えるとあれこれ読み違えると思っています。この時代は現代の印象よりもずっと活動範囲が広く、長距離移動も可能だったと考えています。

長安、西安、安徽省 のような地名、 または 安禄山、安重根 のような人名に表されるように 「」はその出自を示す通し字、ソグド(胡人)姓の代表。


滄海池



鑑真が船出したのも揚州。隋の煬帝が開削させた大運河によって国際交易都市となった土地。唐代にはペルシア方面との頻繁な交易があった港です。

蓮も原産地はインド亜大陸であり、日本では固有種ではなく帰化植物。

文化の多様性と多層性を感じます。




蓮は人を淡ならしめる、淡泊超邁な花。
老師から教わりました。


松が超脱飄逸ってのもいいですね。



「藕断絲連」て言葉が中国語にあるけど、蓮根を切ったときの細い糸みたいに、か細いけれども切っても切れない縁、ていう意味。これもなかなかに趣を感じます。



今インドネシアを旅しとるらしいkummokichiさんが唐招提寺好きやね。



明日、佳い日でありますように!!🦌





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