乙女、推しという言葉に感動

「推し」という概念が割合気に入っている。
どうやら「イチオシのメンバー」という言葉から、短くなっていったらしい。

過日、ご近所のマダムが「このドラマに出てくるこの人がかっこよくて好きなの…この歳で恥ずかしいんだけれど」と照れながらこっそりスマホの画面を見せてくれて、なるほどそこには麗しい、関西弁でいうところのシュッとした男性が、シュッと納まっていた。素敵ですね、と言いながら思わず和んだ。

心をときめかせることに年齢なんて関係ない。また心をときめかせるのはモノだけでなく人であってもいいし、同性異性問わないというバリエーションが大変良い。適度な距離感で、自分の温度で応援する。恋とかグルーピーとはまた違った「推し」という言葉に共感を禁じえない。

私にも色んな「推し」があって、修羅のような日々に潤いを与えてくれる。
それは俳優さんだったり、バキバキにかっこいい音楽を作り出すミュージシャンだったり、近所の美味しいパン屋さんだったりと、枚挙に暇がない。

「推し」の俳優さんが出演される映画作品はどんなに好みではないストーリーであっても、「推しが、素敵な衣装を着て、迫真の演技をしている…!推しが全力で仕事をしている!」と高床式倉庫ばりの下駄をはかせてしまうし、推しがライブ延期になってしまっても、ライブのアーカイブが配信されると聞くと、「あ…あぁ…この大好きな曲をやってくださってどうもありがとう」と語彙力をなくしてしまうし、パン屋さんにふと「いつもありがとうございます」と言われると「いえいえこちらこそ、美味しいパンを毎度ありがとうございます…」と心の中で手を合わせてしまう。

そうなのである。推しをみると「あ…推し…あ…あ…」とどこかでみた黒くて白くてお面をかぶったキャラクターのようになってしまって、語彙力を失ってしまうのが難儀である。

あえて言語化すると、明治時代に初めて電灯をみた人の様相。

明るくて眩しくて、熱い。
そのように胸打つのである。心が高鳴るのである。恋や愛とはまた違った心情。日常から非日常へ。パッとともし火を点けてくれる存在。

そんなことを書きながら小島麻由美さんの「ハートに火をつけて」を聴く。

でもタイトルはタンポポの「乙女、パスタに感動」をもじったものというオチにもならないオチをつけてこのエッセイを記す。具体的な推しについてはまたどこかの機会に熱く語りたい。



 



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