人見知りのワルツ

人見知りでかれこれ数十年の人生をお送りしている。
初対面の人には世界中のありとあゆる猫の面をお借りして被りまくるので、なかなか自分の意見や思っていることを瞬時に言えず、空気と同化する忍者か、とりあえずモナリザとご機嫌なyoutuberの間くらいの笑顔で乗り切っている。

思えばいつから人見知りになったのだろう。
小さい頃はそうでもなかった気がする。

ピカピカの小学一年生の頃だったか、近所中学生のお姉さん(初対面)と何故か仲良くなり、ずっと話し込んでいたらそれに気づいた母親から「知らない人についていってはいけない」とこっぴどく叱られた記憶がある。物騒な事件もある中で母親の心配は今になって理解できるが、その時は親の心子知らずを体現していて知らない人よりも母親の怒りのほうが怖かった。

それが直接の原因ではないにせよ、初対面から仲良くなって自分の意見や意志をお伝えするのに時間がかかるようになってしまった。むしろ対面で発言するより活字のほうが幾分心の持ちようが楽だ。英検なんて筆記は一発で通るのに面接を3回くらい受けてやっと受かった。それはただ単に英語力の問題であろうが、人前で話す、というと頭が真っ白になってしまうのである。

大学生から社会人にかけてこれじゃいかんと頑張ってみたものの、シャイネスとネアカのミルフィーユ仕立てになって、画面上ではハイテンションだけれどプライベートでは物静かな芸人さんのごとく日々を過ごし、一時よくわからない事態になってしまった。

随分前に「私とは何か」という新書を読んだ。この人と会う時はこういう自分、こういう行動をしている時はこういう自分と分けて考えていい、という思想に、なるほど、色んな面を持っていてもいいのだと少し腑に落ちた。


自己開示に時間がかかる、ということはもちろんパートナーを探すのも一苦労である。自分を分けることはできるが、日々の時間は分けた自分の集合体であって、その長時間を共に過ごすわけで、やはりどこかで自分の全部をさらけ出す必要があるのではなかろうかと懸念している。お化粧前の、分厚いメガネと自由気ままに生えた眉毛もみられるのだ。内面だって。自分の嫌いなものや、イライラすること、やり場のない哀しみなど。できれば穏やかな心で過ごしたいが、そのような日が365日続くというわけにもいかない。

巷でよく聞く「もうパートナーいらないと思った瞬間にできた」とか「上手くいくときはするするいく」といった人生の先輩たちの言葉が、今になって少しわかる気がする。

人見知り。でもそんな自分を受容したい。たまに面白いことを言う自分も受容したい。今日はお気に入りの洋服を着た、好きな本を読んだ、映画を観た自分を受容したい。それを少しずつ続けていれば、余裕が生まれて相手のことも受け入れられるのではなかろうか。


今日も一日、私の集合体がお疲れ様と言っている。少しきどってヨハンシュトラウス1世を聴こう。


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